桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

真相の究明

2010-08-03 | Weblog
布川事件でのDNA鑑定請求棄却では、真相究明のために必要だと、今でも言う連中があるらしい。
全くバカげてる。
なぜ布川事件でDNAの型を鑑定するのが真相の究明に繋がると言うのか、直接に、それを語る言葉を聞いていないために反論は出来ないが、少し冷静に考えれば無駄なことだと判るはずだ。
まずは、混入の問題がある。俺は、何日も調べで使われた机に出された証拠品を見せられた。目の前に出されたのだ。あのときに混入したことはないのか!
検察は「証拠品を目の前に出すはずはない」と憶測で否定するが、実際に出されたのだ。ウソを言っては困る。検察がウソを言うところに、俺は検察の不正行為の意思を感じてしまう。
それに、なぜ検察はDNA鑑定の意向を裁判所に隠したまま、鑑定品であるワイシャツやパンツを裁判所から持ち出したのだ。しかも、我々から43年前に採取した髪の毛を、そのワイシャツなどと一緒に鑑定するべく警察の科学捜査員と調べたのだ。
これはおかしくないか。
今、有罪か無罪か、それを決める唯一の証拠品だと検察自身が認める重要な証拠を、裁判所に意向を隠して借り出すのも不審ならば、更に我々のDNAが存在する毛髪も一緒に検討したなど、余りにもやり方がウロンに過ぎる。怪し過ぎる。汚な過ぎる。
このような証拠品のDNA鑑定をして、本当に真相の究明が可能だと考えるのだとすれば、その人には裁判の大前提である公正の認識が欠けているのではなかろうか。
何度でも書くが、検察がDNA鑑定に拘るのは真相究明が理由ではない。あくまでも我々を犯人だと主張する根拠にしたいがためだ。鑑定をして出ないことは判ってるだろうが、ダメならば「古いから出なかった。新しければ出た」と言う。もし俺たちのDNAを混入してあったり、調べ時に混入していれば、「犯人の証拠」と騒ぐ。
決まってる。
そもそも我々の無罪など、最早、明白だろう。自白しか証拠がないのに、その自白テープが改ざんされていた。自白内容を実演してみれば、総てが矛盾している。指紋が残っているのに、我々のとは合わない。自白と合わない「死体検案書」を隠していた。現場で採取された毛髪を35年間も隠していた。
これでは不充分なのだろうか?
事件現場で杉山ではない人を見たと目撃を語る女性は、これも存在を隠し続けた上、自分たちが作った書面を「信用性がない」などと否定し、43年も過ぎて証言を求めるなどと言うのは、天に唾する行為ではないのか!
俺にはアリバイがある。今も、そのアリバイ証人になる人は生きている。本当に真相を究明したいならば、その証人に聞けば良い。
不確かなDNA鑑定が真相の究明だなどと、判り易そうで嘘の混じる行為を求める検察の真意を見抜けずに、さも正義の味方であるかのように検察に同調する人を見ると、このような人の存在こそ、検察に不正を許す根源だと怒りを感じてならない。

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