桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

誕生日

2014-01-24 | Weblog

今日は、我がファミリー、川上家と食事の約束をしていた。
川上家の長男、マサトは、5歳のとき、俺の歌「母ちゃん」を聴くたびに涙を流し、「なぜショウジの母ちゃんは死んだの?可哀想だから、ボクがお母さんになってあげる」と言ったそうだ。
そのことから、全く布川事件に興味のなかった両親が布川事件に関心を持ち、運動に係わるようになり、父親は仕事も転職することになったし、マサトは「弁護士になってショウジを助ける」と言うようになったとか。
今日は、そのマサトが、幼くして「水戸1高から東大に行って弁護士になる」と、宣言した高校受験の激励会と言うことで約束したが、行ってみると、俺の誕生日プレゼントを用意してくれ、誕生日祝いを兼ねたマサトの激励会だった。
マサトの祖父母が連れ合いの古い友人で、それで俺の歌のCDを買って自宅に置いたことから、川上家との付き合いが始まるわけだが、人の出会いの面白さ、不思議さを感じ、大きな喜びを味わった。
「ショウジに出会って、マサトが弁護士になると言うから、それじゃ勉強させなくてはと思ったことから、今日がある。本当にショウジに出会って始まった」と言われて、別に俺は何もしてないが、何だか満たされる思いになって胸が一杯になった。
マサトは、今は弁護士ではなくて天文学者希望に変わったが、まずは第一関門の水戸1高合格を果たしたらば、また食事会をしようと約束して帰った、楽しい愉しい夜だった。
俺は幸せな男だなぁ。
写真、誕生日プレゼントのトマトとサンダル。

腐った思考に応えて、その2

2014-01-24 | Weblog

毛髪鑑定書に関する反論の最大眼目は、園部検事の嘘についての反論だ。

「毛髪鑑定書が1通しか存在しないと虚偽の説明をして隠蔽しようとした旨主張するが、確か客観的には誤りであったが、検察官が同回答をした後、速やかにもう1通を提出した状況からして、検察官が存在を認識していながら虚偽の説明をして隠蔽したなどとは到底認められない」と書く。

更に、事細かに弁明するには「2003年10月7日、毛髪に関する鑑定書を提出して頂きたい、と裁判所に申し出たので、検察官は、同年11月25日原告らとの検査鑑定書を提出した。そもそもこの時点で開示を求められていないのに任意に開示したのであるから、2通あると認識しながら、そのうちの1通を隠蔽した事実がなかったことは、この点からだけでも明らかだ」と言うのだ。そして、「12月16日、他にも毛髪鑑定書があれば提出して欲しい、と要望があったのに答えて、検察官は、1月27日、他には存在しないと回答した。しかし、同回答から1カ月も経過しない2月19日、もう1通を開示したのである。かかる経緯をみれば、その時点では存在しないと判断されて回答したものの、その回答が誤りであり、もう1通が存在すると判明して速やかに提出したものと考えられる。従って、検察官が虚偽の回答をして鑑定書を隠蔽しようとした事実は認められない。また、刑事裁判に特段の影響が生じなかったことも明らかだ」と言うのだ。

まさに腐れ脳としか言いようがない。

これだけを読めば、そうかなと思うだろうが、ここには重大な事実が抜けている。

弁護団も俺も、園部検事には「俺たちの毛髪と鑑定する前に被害者とやってるはず。違う毛髪があったからこそ、俺たちと鑑定したのだろう」と、再三にわたって聞いている、それに対して、園部検事は「それがないんだよ、当時の警察はいい加減で」と、俺に答えた。

この事実を国・法務省・検察は抜かして弁明している。本当に便利な脳味噌だねえ。

園部検事が、2004年2月19日になって、何ゆえに「隠そうとした毛髪鑑定書を提出した」かは、亡くなられた秋元弁護士が「領置調書の中に、玉村象天、毛髪若干、領置、鑑定中、と書いある。もう1通の鑑定書があるだろう」と、追求したことから、その事実を突きつけられて逃れられなくなって提出して来た物だ。あの時、秋元弁護士が「領置調書記載」の、言い逃れできない事実を突きつけなければ、きっと今でも「もう1通の鑑定書」は検察庁の倉庫に眠ったままだったろう。

この経緯は、国の反論にはない。書けないのだろうが、毛髪鑑定書を隠そうとしたことは事実だ。

先の反論と合わせた結論になるが、「被害者と類似した可能性のある毛髪だった。刑事裁判に影響はない」と、腐れ脳たちが思うならば、なぜ警察は、我々の毛髪と検査、鑑定をしたと言うのだろうか。

いかに当時の鑑定技術が未熟だったとは言え、比較して無意味な鑑定をする訳がない。それを犯人の遺留物と認識すればこその、我々の毛髪との鑑定だったろう。

有罪にするために不都合は隠し、隠し通せなかったことは事実を不正確に書いて姑息な反論をし、絶対に非を認めない、この国・法務省(本籍検察庁)の連中を、俺が「腐れ脳」と書く気持ちを判って貰えるだろうか。

 

 


祝電

2014-01-24 | Weblog
朝ご飯を食べていたらば、電報が来た。
祝電だった。
誰からだろうと思ったらば、塀の中にいる冤罪仲間からだった。苦悩を味わうだろう日々の中から届く思いは、素直に嬉しかったが、この想いが自分に返って人生を楽しむ日々を取り戻して欲しいとも願った朝だった。

腐った思考に応えて、その1

2014-01-24 | Weblog

法務省にいる検察官たちが、我が弁護団が提出した「準備書面」に対して、詭弁の反論をしてきたことに付いては、先日書いたが、今日は、その鉄面皮な反論を解説したい。

再審公判で、当時の担当で、今は旭川地検の検事正に出世した園部検事は、「毛髪鑑定書」の存在について、裁判所に「既に提出した鑑定書以外は存在しない」と、嘘の書面を提出した。この嘘の書面が裁判官の心証を変えたと、俺は思っているが、この園部検事の嘘について、法務省の「腐れ脳」の持ち主たちは巧みに反論するけれども、この反論には穴がある。

まず「原告は、毛髪鑑定の結果が無罪方向の証拠である旨主張するがこの主張は失当である」と言う。

少し長くなるが、その部分を引用すると、「毛髪鑑定は指紋のように確実に異同識別は出来ないとの国の主張に対して、これまでも刑事裁判で毛髪鑑定は証拠採用されていると反論するが、国の主張は毛髪鑑定の証拠価値を否定する趣旨ではなく、飽くまでもその証明力には限界があり、他の証拠関係と相まって評価されるべきであると主張したのだ。よって、この点に関する原告の反論は失当」と言うのだ。

一見もっともだ。だが、この反論には、国の本音が隠されている。

「他の証拠と相まって評価されるべき」とある点だが、その通りだろう。事件現場に存在した証拠は、指紋や血液、毛髪など、証拠価値には異同があって、それらを総合して犯人捜査の評価物として判断するべきなのだ。だからこそ、検察官は「毛髪鑑定書」を隠したのだろう。

なぜか?

玉村象天さんは一人暮らしだ。その家の中に、誰のモノとも判らない指紋があった。茨城県警には桐原四郎さんと言う指紋のエキスパートがいて、最後は茨城県警鑑識課長補佐で退官したようだが、その方は布川事件の捜査に関わって他県警に指紋を持って捜査に行ったと言明している。そこに誰のモノとも判らない毛髪が加われば、どうなる?誰が考えても、その指紋と毛髪と一致する人間が犯人だと判るだろう。

ところが、我々とは、どちらも一致しない。困った検察と警察は「指紋は存在しなかった。あったのは判定の出来ない指痕だ」と、偽証して裁判を切り抜けて、毛髪の存在は裁判に隠し通したのだ。

国・検察は、その鑑定書の記載に「被害者の頭髪と類似する性質を有するも判定し得られないもの」とあることから「被害者及び原告ら以外の第三者の毛髪であったと結論づけるものではない」とも言い、「当時の鑑定技術が未熟であったから」として、弁護団の主張を否定する。

自分たちに有利ならば、何でも利用して、不利になると「当時に技術が未熟」と逃げる。実に巧みだが、「判定し得られない」のは判定し得られないのだ。

毛髪鑑定書が提出されると、我々を犯人とするのには不都合だからこそ、園部検事が隠して、裁判所に「存在しない」と嘘の書面を提出したのだ。そう、「他の証拠と相まって評価」されることを恐れてだ。