桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

腐った思考に応えて、その1

2014-01-24 | Weblog

法務省にいる検察官たちが、我が弁護団が提出した「準備書面」に対して、詭弁の反論をしてきたことに付いては、先日書いたが、今日は、その鉄面皮な反論を解説したい。

再審公判で、当時の担当で、今は旭川地検の検事正に出世した園部検事は、「毛髪鑑定書」の存在について、裁判所に「既に提出した鑑定書以外は存在しない」と、嘘の書面を提出した。この嘘の書面が裁判官の心証を変えたと、俺は思っているが、この園部検事の嘘について、法務省の「腐れ脳」の持ち主たちは巧みに反論するけれども、この反論には穴がある。

まず「原告は、毛髪鑑定の結果が無罪方向の証拠である旨主張するがこの主張は失当である」と言う。

少し長くなるが、その部分を引用すると、「毛髪鑑定は指紋のように確実に異同識別は出来ないとの国の主張に対して、これまでも刑事裁判で毛髪鑑定は証拠採用されていると反論するが、国の主張は毛髪鑑定の証拠価値を否定する趣旨ではなく、飽くまでもその証明力には限界があり、他の証拠関係と相まって評価されるべきであると主張したのだ。よって、この点に関する原告の反論は失当」と言うのだ。

一見もっともだ。だが、この反論には、国の本音が隠されている。

「他の証拠と相まって評価されるべき」とある点だが、その通りだろう。事件現場に存在した証拠は、指紋や血液、毛髪など、証拠価値には異同があって、それらを総合して犯人捜査の評価物として判断するべきなのだ。だからこそ、検察官は「毛髪鑑定書」を隠したのだろう。

なぜか?

玉村象天さんは一人暮らしだ。その家の中に、誰のモノとも判らない指紋があった。茨城県警には桐原四郎さんと言う指紋のエキスパートがいて、最後は茨城県警鑑識課長補佐で退官したようだが、その方は布川事件の捜査に関わって他県警に指紋を持って捜査に行ったと言明している。そこに誰のモノとも判らない毛髪が加われば、どうなる?誰が考えても、その指紋と毛髪と一致する人間が犯人だと判るだろう。

ところが、我々とは、どちらも一致しない。困った検察と警察は「指紋は存在しなかった。あったのは判定の出来ない指痕だ」と、偽証して裁判を切り抜けて、毛髪の存在は裁判に隠し通したのだ。

国・検察は、その鑑定書の記載に「被害者の頭髪と類似する性質を有するも判定し得られないもの」とあることから「被害者及び原告ら以外の第三者の毛髪であったと結論づけるものではない」とも言い、「当時の鑑定技術が未熟であったから」として、弁護団の主張を否定する。

自分たちに有利ならば、何でも利用して、不利になると「当時に技術が未熟」と逃げる。実に巧みだが、「判定し得られない」のは判定し得られないのだ。

毛髪鑑定書が提出されると、我々を犯人とするのには不都合だからこそ、園部検事が隠して、裁判所に「存在しない」と嘘の書面を提出したのだ。そう、「他の証拠と相まって評価」されることを恐れてだ。

 


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