桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

下僕

2013-11-21 | Weblog
選挙制度違反裁判での最高裁のヘタレには呆れるねぇ。
先の婚外子差別違憲判決のとき、自民党は家族制度が壊れる、とか言って、右翼政治家たちが「最高裁判決に従う必要はない」と反発した。
憲法は国民を縛る法律ではない。国を縛る法律だ。国と称する組織や、その構成員を律するのが憲法だが、縛られる連中は、それを理解していない。無知なのか無知を装っているのかは知らないが、日本では自民党を中心に帝国憲法当時のように国民を縛る憲法にしようとしている。
帝国憲法では国民の自由はなかった。そして治安維持法の国民監視法律が作られて、国の体制を批判する人たちを監獄に入れてしまう、今の中国や北朝鮮のような国家を作っていた。
自由な人権を保証する日本国憲法に基づいた社会であるためには、憲法判断をする最高裁の責任は重い。であるのに、残念ながら日本の最高裁は政治の下僕に成り下がっている。
政治の力関係で選ばれる最高裁判事では、これが限界なのかも知れないが、何時も自民党政権の政治が生み出す裁判に対して腰の砕けた判断をして来たから、「従う必要はない」などと舐められるのだし、そう反発する政治家を生むのだ。
三権分立によって、互いに補い合って護り、育てる民主主義社会であるのだろうに、我こそが総て!と傲慢になる存在を許しては、そこに生まれるのは独裁制の国家になるだろう。
自由と人権と平等を尊重する憲法があってこそ、国民の自由と人権と平等は護られる。最高裁には、もう少し骨のある毅然とした判断を出して欲しいよね。