東京拘置所にいたとき、4舎2階は死刑囚が収容されていた。
俺は、4舎3階と4階を経験したから、同じ建物にいる死刑囚とは、4舎用の運動場で隣になったりした。扇状に作られ、8個くらいに区切られたスペースの隣になったとしても、もちろん会話は出来ない。死刑囚と他の収容者の接触は許されなかったし、扇状の要部分に見張りに立つ職員がいるからだ。
死刑囚たちは、月に何度か、雑居房だった5舎の運動場に行ってソフトボールをしていることもあった。今はなくなったらしいが、死刑囚に擦れ違ったり、運動場の隣になったり、ソフトボールで遊んでいるのを見るたびに、死刑囚はどんな心境だろうと思っていた。今日は、今から、渋谷の映画館、ユーロスペースに行って死刑に付いて語る。
死刑映画の特集をしているのだが、正直、俺は死刑を語るのに適任ではない。死刑囚ではなかったからだ。でも、冤罪を体験する中で死を見つめる恐怖を味わったし、国家が人を殺すのは間違いだと思っている、その思いを語るつもりだ。
俺は、4舎3階と4階を経験したから、同じ建物にいる死刑囚とは、4舎用の運動場で隣になったりした。扇状に作られ、8個くらいに区切られたスペースの隣になったとしても、もちろん会話は出来ない。死刑囚と他の収容者の接触は許されなかったし、扇状の要部分に見張りに立つ職員がいるからだ。
死刑囚たちは、月に何度か、雑居房だった5舎の運動場に行ってソフトボールをしていることもあった。今はなくなったらしいが、死刑囚に擦れ違ったり、運動場の隣になったり、ソフトボールで遊んでいるのを見るたびに、死刑囚はどんな心境だろうと思っていた。今日は、今から、渋谷の映画館、ユーロスペースに行って死刑に付いて語る。
死刑映画の特集をしているのだが、正直、俺は死刑を語るのに適任ではない。死刑囚ではなかったからだ。でも、冤罪を体験する中で死を見つめる恐怖を味わったし、国家が人を殺すのは間違いだと思っている、その思いを語るつもりだ。