夢鉄城の日記

模型・鉄道・旅に関係した事を中心にしています。

西武鉄道100周年に思う③

2015-04-21 10:00:00 | 西武100周年
5.それはないだろう


(101系)

 101系冷房車が増えるのかと思っていたら、新性能化更新工事の終了した701系編成が新宿線に戻ってきました。こちらは後にレモンイエロー1色の単調なものになってしまい、赤電色の方が良かったのではないかと思いました。両開きドアはステンレスの無塗装で単調な色のアクセントとしては効果的ですが、その前の赤電色の冷房車を見ていたので、こっちの方がだんぜん良かったと今でも思っています。


(701系)

 411系改造の401系と701系の編成が多い中、101系と801系の編成は貴重なものでした。801系は量数が少ないので乗車する機会がほとんどありません。記憶では3回くらいでしょうか。改造化前までは中間車の方が乗り心地は良かったわけですが、改造化後では先頭車の方がエアばねになって圧倒的に良くなった701系と801系ですが、なぜかお互い組むことが少なく、101系と混結することが多いのも新宿線の特徴でした。それは101系だけの編成を組むと、ほかの編成との性能の差(起動・停止)が大きくなることがあったのかもしれません。モーターの出力も101系の方が大きいので、701系に乗車していると、起動時(出発時)101系に後押しや、引っ張られるような振動が伝わってきたものです。


(701系)


(上記写真の801系と701系との外観上の違いは、雨樋の位置が張り上げ屋根で高いのと、先頭車の台車がFS067でこの形式だけ使われていること)

 順次新性能化された編成が戻ってくると、今度は101系の編成が減ってしまい、新宿線の車両環境がダウンしていきました。オールエアばねの101系に対して、701、801系は中間車が以前同様コイルばねのDT21なので、乗り心地のいい先頭車両との差は歴然となり、いつのまにか私はモーターのない先頭車に乗ることが多くなりました。401系は電動車ながらFS台車に交換されて、こちらも乗り心地ではお気に入りの車両となりましたが、正面のデザインは国鉄101系もどきで、切り妻で傾斜角のない前面ガラスは平凡で、デザイン的には好きではありません。


(401系)

 2連のオール電動車ですが、101系のパワーのあるモーター音と比べると、少し音的には魅力が落ちるなと感じたものです。今も思う事がありますが、なんで新性能化した時に中間電動車の台車をFSに交換しなかったのかと思います。エアばねとコイルばねの性能の違いは当然分かっていたのですから、一気にこれも変えてしまえば編成の部品効率も良かったのではないかと思います。ここは改造資金の問題なのか、古い台車を大事に使いまわす西武のポリシーなのか不明です。一説によると国鉄から台車を使用することの許諾期間があったのが一因と言った事もあるようですが、これは本当なのか分かりません。
 更新工事を受けて新宿線に戻ってきたものの、レモンイエローの単色電車は味気なくて車両の興味は半減してしまいました。新宿線と池袋線の車両の差がまた開き、二大本線と言われながらこの歴然とした処遇に、それはないだろうといった感情が芽生えました。


(2000系 スカートは後づけで登場時からしばらくはない状態だった)

 高校3年の頃になると新宿線には4扉戸袋なしの2000系が導入されてきました。運転席はパノラミックウインドウで少し傾斜のついた豪華なものですが、見た目のデザインはお世辞にもかっこいいとは言えない60点電車です。この車両から国鉄色が消えた気がします。
 車内は戸袋窓がなくなり、外光が入りにくくなって101系などと比べると暗くていい印象ではありません。オールFS台車になったので新宿線では101系を除き乗り心地は一番いい電車になりましたが、窓は下降式の一段窓が普及し始めていた当時としては、新車でありながら二段ユニットサッシを使用し、屋根上には円形のグローブベンチレーターの採用など旧態依然としたものだったので、省エネ車両としての評価もあまり注目されず、逆に鉄仲間からは不評な形式となったのは残念です。どうもこの当時の車両のデザインは2000系も3000系も中途半端なパッケージだと言わざるを得ません。

 
(3000系)

 同じく省エネ車両として池袋線に投入された3000系は、基本設計上2000系と同じで違いは全面貫通扉がない3扉車です。側面は2000系と同じ二段ユニットサッシを採用。車内のロングシートは101系と同じ形状のものが使用されています。前面のセンターピラーが細くなりすっきりした近代型の顔ですが、側面と車内は101系の改造車に見えるところに、西武の一気に新しいものに替えるという発想が薄いことに気がつきます。もしもこの3000系が国鉄の201系のデザインを意識しなかったら、一段下降窓の3扉車として異色な存在になったかもしれません。結局101系の成功が大きくて、車内の見付け変更や、次世代のデザインに対応せずに出来上がった、マイナーチェンジ的産物だったのではないかと思われます。
 池袋線にも4扉車を入れる案もありましたが、投入に関して整列乗車の問題があり、3扉車の生産を続行した経緯から設計経費を落とし、101系の車体を基本として誕生したのだろうと思います。それが省エネ車でありながら世帯数も少なく、次世代車両の主力になることができなかった不運の要因のひとつかもしれません。
 
  6.二つの趣味
 
 学生時代にはカメラを所有していなかったので、この頃の鉄道写真がないのが残念ですが、高校時代の3年間は西武鉄道の大転換期に入った時期と言えるので、旧型車両の淘汰はかなりのスピードで行われ、気がつくと本線上にはなくなっていましたから、相当会社は頑張ったのではないでしょうか。そして私鉄でも冷房化率がトップになるなど、質より量といわれていた鉄道会社が大逆転した時代でした。


 
 学生時代に旧性能電車と合わなかったら、おそらく興味も余りなく西武ファンにはならなかったかも知れないと思うと、あの10年過去に戻ったのではないかとショックを受けた事が起爆剤であり、潜んでいた鉄道趣味へのスイッチが入った時だったと思われます。
 そういえば、高校時代に映画研究会なるものに先輩から誘われて、頭数確保で入ったのですが、映画なんてものには興味もなく、なんでここにいるのだろうとよく思いましたが、16mm映写機に触れるようになって、映画より機械に興味が出て動画の素晴らしさに気がついたのが影響して、現在もビデオカメラの趣味が続いている事を思うと、高校までは鉄道も映画も深い興味はなかったけれど、振り返ってみると今の自分の趣味については、基本が出来上がった時代だったと言えるのかもしれません。






コメント
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