アニメプラの製作の途中から並行して始めた路面電車1/80の桃太郎電鉄が完成しました。
このプラモデルは大田鉄道様が21年7月に本命のYS11に同行させてきた代物です。
実車の黄色が施された車体なのでこのままでもいいように感じますが、艶がありすぎるので塗装処理を行いました。
車内、床下と組み立てていきますが、部品点数が少ないのであっという間に終了です。
次は正面の組み立てですが、おでこ上の2カ所の取っ手が付く印が見えにくいので、その場所には墨入れをして位置が分かるようにしてから接着しました。
車体組み立て時に窓ガラスを入れる事になっていますが、塗装をするのでガラスは後から入れる事になります。
車体が組み上がったら接着剤が緩いうちに屋根板を仮入れして位置決めをしておきます。屋根の部品はパンタグラフと台座、クーラーだけなのであっさりしていますね。なぜか避雷器やヒューズボックスとかはないんですね。
車体色は西武のレモンイエロー、屋根と床下機器はニュートラルグレイ、パンタ、台車、床板裏面はフラットブラック。車内の床は調色した明るめのブラウン、運転席部分はアニプラバイクに使用した水色、展示台の石畳はデッキタン、線路はシルバーとしました。。
塗装後に窓ガラスと床下を入れて第一段階は終了です。
次は車体にたくさんあるデカールの貼り付けです。
今回一番の難物だったのがこのデカールです。製造後からかなりの年数が経過しているので、水没させても剥がれない(焼き付き)のです。1時間水に沈めても剥がれてこないので、35度くらいのぬるま湯につけなおしたら剥がれ始めました。
これで作業が出来ると安堵したら、転写する際にピンセットが触れただけでデカールが崩れてしまいます。行先表示、出入り口、ハドソン表記、運転席扉のキャラは移動するだけで裂けて行きます。
結局キャラ1枚は粉々になり使えなくなったので、使用しないキャラを張り付けて、乾燥後塞がった窓を後から切り抜き何とかつける事が出来ました。
幸にも桃太郎電鉄の大文字は丈夫だったので助かりましたが、もう1台ある明治製菓のデカールも同じ状態かと思うと頭が痛いですね。
さて、今日は池袋MODELS IMONにて、101系キットに用いる部品と、TMSなどを購入して来ました。6両分でざっと2万超え、作る模型も高くなりましたね(苦笑)。また、頼んでおいた、「小林信夫の模型世界」も引き取りましたが、この本の前半部分は、Nゲージの小型レイアウトの作例が豊富で(かつてのTMSの記事を選り抜いた珠玉といえるもの)、これはまさにこがたローカルレイアウトを絶賛計画中の社長に寧ろ好適な参考書となるのではないか、と思った次第です。
小林先生は、わが中村汪介師匠の三津根鉄道が原点とのことで、それを、Nで再現すべく、トミーでCタンクロコを企画された、経歴の持ち主、単純に、面積4分の1にできる、スペース上の優位性を生かして創造されています。逆にいえば、汪介師匠と同じ定尺のベニヤ板を用いれば16番の4倍の規模のレイアウトが出来るので20メートル車輛もゆったり走らせ得る、ということを再確認できました。是非、ご一読を!
これっていつ頃の発売だったか記憶にないのですが、1990年代であったと思うので、この当時すぐに購入されたであろう大田鉄道様から引き継いだとすれば、30年は経過しているのかなと思います。
部品のなかで一番脆弱なのが転写式デカールですが、さすがにこのくらい年数が過ぎますと劣化しますね。
説明書にはぬるま湯に漬けるという表記がありますが、通常だと20数度の水温であればすぐにデカールは剥離するので、そう考えるとこの表記は余程しっかりと台紙に固定して、製作前のこすれなどで損傷しないようにしていたのかなと思います。
今回あまりにも固着していたので、ぬるま湯より高い水温で剥離しましたが、転写の際にピンセットで横にずらす前に触ったところから砕けるという、はじめての経験をしました。
そこでフィギア用のへらに代えたのですが、状況が変わらず砕け散る結果になりました(笑)
Fさんが組みたてをされた時期が分かりませんが、デカールの耐久性がないと思われたのか、はたまた、転写シールが多すぎて面倒だったのかは分かりませんが、年数が経過してからの組みたてならば、デカールを使わなかったのが正解かもしれませんね。
N初期のレイアウトの基本は、フレキシブルレール、外国製のポイントくらいしか使えるものがなかったです。ミニトリックスの電動ポイントがKATOから販売されていましたが、耐久性が悪くすぐにコイルの焼き付けが起きて使えない代物でしたから、使用するのはPICOポイントが多かったかなと思います。
電動化すると言う事自体、時代的に重要視されてなくて、小型レイアウトで遊ぶのが標準でしたから、手動式で問題はなかったですね。
HOと同等の物をNで作れば三分の一の大きさになるというのが当時のメイン広告でしたから。
時期未定ながら小型レイアウトの計画がありますので、「小林信夫の模型世界」をご紹介いただいたので購入してみようかなと思います。