夢鉄城の日記

模型・鉄道・旅に関係した事を中心にしています。

西武鉄道100周年に思う④

2015-04-24 22:35:00 | 西武100周年
  7.休眠時代

 高校時代は鉄道に目覚めたと同時に、小学校5年の時に買った関水金属のNゲージ車両から、16番に移り始めた時期でしたが、車を持つようになるとこちらに大半のお金が必要になり、模型どころか鉄道の方も疎遠になりました。
 西武線にも頻繁に乗ることがなくなった環境も影響していましたが、車の趣味の方が大きくて2~3年で中古車ばかりを買い替えていた為、お金に余裕なんてものがなかったので、鉄道趣味は下火になっていました。特に23歳で結婚してからの2年間は、西武線への興味が落ちていた時期だったといえます。鉄道模型は細々と続いていましたが、当時はキットを買うお金も少なくて、プラ板による自作車両が主でした。結婚を期に一眼レフカメラを買いましたが、鉄道の写真は皆無に近くて記録ものの空白は高校時代から続いていました。
 家族も車があれば移動はバスや鉄道から遠のくし、結局運転できるのは自分一人しかいないので、外出や送迎などで借り出されることも多く、趣味の時間も少なかったわけです。
 
  8.近代化更新系列の衰退
 
 休眠時代が10年ほど続いたでしょうか、その間全く西武線から遠ざかっていたわけではなく、乗り鉄だけはちょこちょこしていました。主要路線は相変わらず中央線ですが、都心に行く時は鉄道の方が早くて便利なので利用していました。当時は201系の全盛時代で中央緩行線にも黄色い車体色が使われていたので、この車両に乗ると3000系に乗っている気分になったものです。もちろんこれは妄想であって、乗り心地は全く違うから頭の中で置き換えていたわけです。
 帰宅時間に余裕があるときは、新宿駅で降りて西武新宿駅まで歩き、西武線で帰ってくることもありました。中央線一本で帰った方が安いし時間もかからないのですが、新宿線の各停で時間をかけて帰るというのもなかなか楽しいものでした。中央線のように高架ではなくて、地上を走り人間の生活圏に溶け込んでいる環境が魅力的なのかもしれません。また、西武線沿線は比較的開発も遅く、古い街並みが続く昭和時代があるので、懐古的な世界を味わうにはとてもいいからだと思います。



 2000系だと車窓がいまいちですが、701系だと窓の景色が広角になって見えるのも魅力的でした。これは3扉のお陰といえます。
 その701系も新2000系の導入により引退していくようになり、新宿線の4扉化がいよいよ本格化してきたので、学生時代はFS台車に好んで乗っていたのが、この時期にはあの固い台車で音のうるさいDT21の上に座ることが多くなりました。ごつごつとした震動が尻に伝わりはするものの、この乗り心地は10年前を呼び戻すには最高のアイテムです。



 池袋線にも4扉車を入れるため東急車両に新2000系を発注したこともあって、所沢工場と合わせて増備は進み、401系・701系・801系の本線離脱が始まりだしました。次々に第二の職場に移動して行く姿をみると、学生時代に旧型車両が淘汰された時と重なる部分もありますが、三扉車衰退といってもつい最近まで池袋線の3000系が新宿線で走っていたので、新宿線の全車両4扉化にはかなり時間がかかったといえます。

 401、701、801系の引退については特に感傷的なものはありませんでした。一時期多摩湖線に401系2連が入線して折り返し運転していた頃は、351系の3連と良い対比ができた一時期だったと思います。汎用性の高い2連の401系は解体されず、第二の職場に移動できたのは幸運でした。
 
  9.101系時代の終わり
 
 オールランドカーとして西武車両最大数を誇っていた101系グループでしたが、年月の経過は酷なもので、N2000系の大量増備が進んでくると、初期の101系が消える運命になって行きました。4000系に下回りを譲る車両もあり、一部は部品取り電車になるなど、引退の序章が始まりました。



 4000系が営業前の試運転で小手指車庫で休んでいる横では、高校時代に初めて乗車した冷房初期車両の101系4連の解体が始まっていました。分散クーラーの車体が壊されていくのをみると、まだまだ使用できるのに勿体ないなと感じたものです。

 

 初期型は運転台が低いので、先頭車の運転席後ろの座席は絶好の展望風景が堪能できました。今の車両で着座して前が見える車両はないので、この101系があった時代が最後の展望車両です。例外としては山口線のレオライナーがありますが、これは他の線路には乗り入れできない新交通システムなので、線路上を走る規格車両からは外しておきます。
 101系の特徴として、冬の暖房能力が半端ではないという事が言えます。他の民鉄に乗るとラッシュ時以外は結構足元が寒いことが多いのですが、この車両はドアが開いてもかなり暖かでした。秩父線に対応するため座席ヒーターが強力なためですが、長時間座っていると座布団の下からもかなり熱めの熱が伝わってきて、お尻がかゆくなるくらい強かったのにはある意味感動しました。



 西武秩父まで乗車したときに、ヒーターがどのくらい発熱しているのか気になって、座席下にある通風用金網に触ったら指先に火傷をした位ですから、鉄板焼き状態と言った方が分かりやすいかもしれません。
 改めて暖房のすごさを身をもって体験した貴重な出来事といえます。友人にその姿を見られそこまで確認する人はいないよと笑われました。寒い冬には101系が一番でしたから、他の車両が来るとがっかりしたものです。でも、西武線は他の会社と比べても車内は暖かいので、101系でなくてもあまり寒い思いをした記憶はありません。
 もうひとつの特徴は連結ドアが両開きで、車体側面の乗降ドアと同様の立派なものがついていた事です。このドアを開けると大開口の通路が出現するわけですが、どうしてこんなに大きい貫通ドアが必要だったのか、寒冷地を走る車両にはこの大開口はデメリットではないかと思えてしまいます。



 隣の車両への行き来が多いのならともかく、そのようなことはないわけだからあえてメリットを探すとしたら、それは片開きドアと違って全開する前に人ひとり分の空間を確保できて、連結部の冷気が車内に流れ込む量が少ないということでしょうか。それにしてもお金のかかった車両と言えるでしょう。



 N101系の顔が好きでない私にとって、低運転台の101系が本線から消えてしまったのは本当に残念でした。そういえば、ツートン色から単色のレモンイエローになってしまった時も、イメージダウンでがっかりした記憶があります。
 所沢駅に単色になった101系が入線した時、ベージュとの塗り分け線がはっきり残っていたのをみると、検査上がりの車体は単純にベージュの部分のみ塗りつぶした簡易塗装だったようです。



 この時期はツートン車両もまだ多く走っていたので、単色だと701系が来たのではないかと思えるほどよく似てしまっていました。確かに二色塗りより時間も短縮できていいかもしれませんが、401、701、801系列が引退して区別しなくてもよくなったからと言って、すぐにこの単色塗りにする事もなかったのではないでしょうか。ツートンの101系はその車体によく似合っていて、高級感もあったので残念でなりませんでした。



 初期型101系が本線から消えて多摩川線、多摩湖線に移った5編成はしばらく安泰だったものの、N101系の本線削減が始まると意外にも早くに交代となってしまいました。その後継のN101系は白塗りとなり、沿線の小学校の児童画を車体側面に張り付け、春夏秋冬号としてデビュー。ワンマン化更新工事を受けて、レモンイエローの単色から白一色になりました。この塗装変更がよく似合うのも不思議な感じがします。

コメント
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