夢鉄城の日記

模型・鉄道・旅に関係した事を中心にしています。

西武鉄道100周年に思う⑦

2015-04-30 23:36:00 | 西武100周年
 15.最後に

 100周年に思いをはせて、あれこれと好き勝手な妄想をし、個人的な偏見があちこち散在しているわけですが、西武線の魅力は何かと聞かれたら、豊富な車両系列と網の目のような路線が魅力という答えになると思います。
 近年JR主体のE231系を基本とした車両から新車を送り出している民鉄が複数ありますが、独自の車両設計を行っていることは、効率だけを求めず企業アイデンティティを重視している証ではないでしょうか。
 日立製の30000系はこれからの西武車両の基礎となる系列だけに、今後どのように発展していくのか興味深いところです。



 20000系が日立の提唱する基本設計を使用し、東武も50000系で使用。小田急、東急、相鉄がJRを基本にしている事を考えると、中央線を境に関東の北側と南側では基本設計グループが分かれていることが面白いと感じます。
 これからの高齢社会において、通勤輸送体系は10~20年後にはかなり変わることが予想されます。朝のラッシュ時とその他の時間帯では、乗降客数はかなり差が出るでしょう。今のダイヤを守るのか、それとも間引きしていくのか、または車両の連結数を減らして本数を維持していくのかなど、高齢社会と少子化は公共輸送企業にとっても重要な課題と言えます。
 東京一極集中化と言われますが、人口はあるものの生産人口の比率は大きく変わる時代が近いだけに、公共輸送を担うそれぞれの鉄道会社は難しい時代を迎えるかもしれません。

 

 路線については他社線と比べても、相互乗り入れをしているのは池袋線と秩父線のみ。中央線と接続している多摩川線、国分寺線、多摩湖線は乗り入れなんてことは全く気配もありません。JR側の過密ダイヤではそこに割って入ることは無理な状況ですが、将来ダイヤに余裕が出たときには乗り入れの可能性がないともいえません。
 新宿線は新宿駅に乗り入れる事が出来ないのは立地の関係なので、やはりそれを補完するためにもメトロ東西線乗り入れが出来れば、利便性は格段に向上し都心への足として重要な線になる気がします。
 本川越駅は東武、JRとの接続は難しいでしょうが、脇田信号所の単線を複線に解消できれば、本川越発の本数も増やせるはずです。飯能駅が長らく単線でしたが、今は複線になり駅の許容量が増え便利になったわけですから、いつまでも放っておくことは得策ではないと思います。
 国分寺~本川越の本数が増えれば、小平から本川越行きの本数が減る新宿線の現行ダイヤは多少なりとも改善されるでしょう。



 新宿線の急行(朝の通勤急行を除く)が田無から各駅停車になり所沢までの所要時間がかかるのに対して、池袋線はほぼ同じ位置にあるひばりが丘以降も急行ダイヤが持続出来るのは、新宿線のように接続線がないからですが、小平、東村山停車の急行があれば所要時間の短縮になります。通過する駅の本数減には小平~新所沢の区間列車のダイヤを作れば、小平で拝島線と新宿線が接続待ちする時間が不要になり、全体的な時間短縮になると思われます。上りについては田無駅には折り返しの列車運用があるのですから、この本数を増やせば、小平で拝島線との接続待ちをしている2~3分停車は必要なくなります。所沢で2分近く停車し小平でも2~3分連絡停車すると、この短い区間だけで4分~5分近く遅くなるのですから、これが解消されれば到達時間がもっと短縮され利便性が上がると考えられます。



 区間列車設定で現行の小平~玉川上水の電車はどうなるのかというと、現行の4両編成で運行する乗車率は低いので廃止して良いのではないかと思います。本来この系統は萩山で多摩湖線との接続本数を増やすためだと思うのですが、拝島線の列車種別には玉川上水があるので、拝島線の本数を増やす方が全体をみると得策のように思えます。この拝島線は第3の幹線として整備が進んできています。踏切の立体化工事や本数増などで新宿線への影響が大きくなっています。
 立地的に見ても萩山で多摩湖線、小川で国分寺線と2線が接続する唯一の経路です。この線が本線化されることによって、国分寺への乗客の流れをそのまま新宿線に留める事が出来るダイヤになれば、新宿線の所沢~本川越より重要な路線になる可能性があります。
 拝島駅は島式ホーム1本と終端駅としては貧相なものですが、西武立川~拝島間の一部単線も高架線による複線になれば、より使い勝手のいいものになります。その場合拝島駅も高架ホームとなりホームが増設しやすくなるでしょう。



 青梅線、五日市線とはホームがかなり離れていますが、乗り入れをしようと思えばいつでもできる環境が残っています。拝島線が出来た当時には乗り入れを提案したものの、当時の国鉄から拒否されて実現には至りませんでしたが、中央線は度々ダイヤが乱れる事があり、結果青梅線は立川から折り返し運転となり、東京への直通がキャンセルされますので、乗り入れできればお互い足りないところを補完できて便利な線になる要素を含んでいます。西武新宿発奥多摩行きなんていう種別も出来るかも知れません。
 このほか休止線になっている安比奈線もありますが、この線の復活はほぼ望み薄になった感があります。まだまだ気になる線はありますが、未来に向かってどのように変貌していくのか興味はつきません。



 ここまで長々と空想話を書いてきましたが、西武鉄道100周年という節目に当たり、より発展する鉄道になる事を願って終わりとしたいと思います。長文にお付き合いいただきまして厚くお礼申しあげます。
 
 





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西武鉄道100周年に思う⑥

2015-04-29 23:32:00 | 西武100周年
 13.資料館
  
 民鉄として大きな規模を誇りながら、資料館として独立したものがないのは不思議に思うところです。東武も東急も規模こそ大きくはないものの、一般の人や沿線住民への鉄道認知のため博物館を所有しており、他の鉄道会社も博物館とまでは行かなくても、資料室のようなものを持っている所も有りますから、西武もこのあたりを一考して欲しいなと思います。


保谷留置線跡)

 横瀬機関区に保存車両を保管して、年に1回フェステイバルを行っていますが、昨年の大雪で機関庫が壊れているので、今後の保存場所は空き地となっている保谷電車区か、所沢工場の跡地に複合ビルを建て、その中に保存展示スペースを設ければと妄想を抱いているわけですが、どこにでも作ればいいという代物ではないので、やはり集客率や利便性を考えると、上記の2箇所が最適ではないかと思われます。


(横瀬機関庫)

ただ、所沢工場跡地は再開発に絡む問題があるようなので適正な場所と言えるかわかりませんが、新宿線と池袋線が交わる拠点で本社もあるですから、あの跡地の利用をしない手はないと思います。
 保存するにはお金がかかりますが、自社の歴史を守ることは必要なので、いつでもだれでもが見学できる施設がほしいものです。
 
  14.現役車両について
 
 現役の車両で車齢が進んでいるのは、N101、2000系、4000系、10000系。この中でも看板電車である10000系は登場してから22年経ち、特急車両としてアコモや、デザイン的にも古くなってきていると思います。デビュー時からニューレッドアローという名称になっていますが、カラーリングは暗い色主体で赤帯は小さく、初代のレッドアローと比較すると目立ちません。



 丸みのある正面や全体のフォルムがあの塗装で暗く感じられる要因です。そのためアピール面では地味と言えるでしょう。その中でレッドアロークラシックとして塗色変更された車両は遠くからも目立ち、やはりこのカラーリングの方が名称共々合っています。


(10000系車内)

 10000系は新宿線に定時特急の設定をという事で小江戸として登場しましたが、観光特急という位置づけより通勤特急として見た方がよく、車内設備はあっさりとしたものになっています。汎用性を考えればこれで良いともいえるわけですが、近年はゆとりをもった感性に訴えるインテリアが主流になっているので、そろそろ新しい設計の特急専用車両が必要になってきているのではないかと思います。副都心線の開通で秩父とみなと未来まで直通できるようになったので、地下鉄乗り入れ対応の直通専用の特急車両の誕生も夢ではないように思います。新型が出たときには現行の10000系のインテリア変更を行うというのも手でしょう。2種類の違った性格の特急があれば趣味的には面白いと勝手に思って期待しているわけです。


(東伏見)

 一方新宿線にも休日の直通秩父行きがあってもいいように思います。4000系が昨年2日間だけ運用されましたが、もっとこの車両を活用する事が出来れば利便性も上がるのではないでしょうか。その4000系も初期導入車両は27年を過ぎているので、N4000系が出ても不思議ではないといえます。



 可変ホームドアが主要駅に設置されれば、2扉のこの電車も定期運用で本線に入線する事も多くできるようになるかもしれません。私個人としては西武車両のなかでこの4000系が個性的で旅情を誘うという点で一番好きな車両です。



 2000系初期車両は通勤車としてすでに39年を経過していますが、なぜか事故を起こした車両以外は廃車されずに、車体の更新工事を受けながら永らえている貴重な車両と言えます。いまだに本線で運用され大切にされているわけですが、近年は座布団が区分けタイプで固くなり、あまり座り心地の良い車両とは言えません。もともと戸袋窓がないので車内は他の車両と比べると暗いことは前にも述べました。内装更新工事も行われているのですが、それでも古さ感はぬぐえないものがあります。



N101系も同じ年数を経過していますが、こちらは3000系との入れ替えを免れているので、今後もしばらくは使用されていくのでしょう。



 30000系はユニークな顔と西武では初めて裾絞りのワイド車両となりました。車内デザインはソフトでシートも遊び心があって面白い車両だと思います。座布団も20000系よりは厚くなり乗り心地は少し良くなっていますが、先頭車の運転席後ろの裾絞りのドアは走行中の風圧でガタガタ音が出るのが気になるのと、他の車両より開閉時のドアの音がうるさいのがマイナス点です。20000系に引き続き日立製になっているので、今後も日立がメインメーカーになるのではないかと思いますが、細かい部分を改良した編成が出てくる事を望みます。



 他社線乗り入れ用の6000系は、3タイプの車体をもつユニークな形式で、製造年によって作り分けているところが興味深いです。有楽町線に乗り入れするのに時間を要し、新宿線にも数本使用されていたが、ようやく本来の目的を果たしているといえます。
 車両デザインは東急タイプのデザインともいわれますが、よくまとまっていて出来のいい車両だと思います。車内も白基調で明るく座布団も座り心地はいいのが特徴です。ユニークなのはこの車両の製造時には他社ではワンハンドルが主流になっていたのに、ツーハンドルを採用した事です。ワンハンドルより停止の際のショックが少ないのがツーハンドルの利点ですが、運転手の技量がはっきりとわかるので、他車線での運転手乗り比べを体験してみるのも面白いでしょう。
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西武鉄道100周年に思う⑤

2015-04-28 21:39:00 | 西武100周年
  10.20000系

 

 西武車両の中で唯一青帯の6000系はしばらく孤軍奮闘状態でしたが、これはメトロ乗り入れ用車両なので区分け上そうなったのかなと思っていました。実際西武カラーのレモンイエローの帯でも良かったのではないかと広報室にメールしたところ、メトロ7000系が黄色のラインを付けていたので、区別するため青にしたと回答をもらいました。メトロの車両と西武の車両は全く違う形なので混同する人は少ないと思いますが、一般人や車両に疎い人が一目で区別するとなるとこの方が良いのかも知れません。



 そんな納得をしていたところが、1999年にデビューした20000系も青帯だったので、えっ!と驚きました。地上線しか走らず他社線に乗り入れもしない車両が青帯というのは、西武カラーが変わるのかと思ったほどです。これじゃ小田急の車両と側面がそっくりになってしまうではありませんか。
 おまけに番号は20000とくりゃ、これまた随分でかい番号が付いたものだと思いました。6000系の間には5000、7000の空き番号があるのに、一気に特急の後の万番台がついてしまったのだからどうしてと言いたくなります。NRAだって10000にしなくても、当時の空き番号の7000で良かったのではないだろうかと今でも思います。その他の3ケタ空き番号も多いのだから使いまわしをしても問題ないと思うのですが。

 

 20000系は新宿線に投入されたことで、それまで比較的車鈴の高かった新宿線の若返りを果たすことになりますが、乗り心地はと言うと固いFRPのベンチに薄い座布団で、JR231系と同じく長時間の座位はきついものがあります。車内は戸袋窓がないものの、2000系とは違い側面の窓が大きくなったおかげで、外光の入りはいい車両になっています。外観は正面のデザインに今までの西武にはない斬新なものを持ってきたと感じました。大きな一枚窓の曲面ガラスの運転席はソフトな感じを受けますし、前照灯と尾灯を縦に配置し、細かい青と白帯でライトユニットの間をT型に埋めるなど、平凡になりがちな顔にアクセントを入れている処理は良いのではないでしょうか。
 走行音は静かでタイヤから出る騒音もかなり低く抑えられていますし、座席を除けば明るく広い車内は好感を持てます。



 N2000系生産終了後は、この車両がずっと生産されるのかと思っていましたが、意外にも所帯数は伸びませんでした。
 初めて実車を見たときにTVゲームのボンバーマンに似ていたので、個人的に呼称は20000系ではなく、ボンバーマンで通しています。
 
 模型の世界でも何故かこの車両は人気がないようで、同じ工法でそっくりの東武の50000系が模型化されているのに、西武の方が先輩でありながら模型化されていないという事情があります。西武ファンにもあまり評判が良くないのは、個性的すぎる前面の形状があるのでしょうか。
 
  11.狂った順番
 
 小所帯の3000系の編成が国分寺線に入るにあたり、中間電動車2両を廃車にして6連になったのが最初の廃車だったと思います。当時の国分寺線は本線より早くに4扉車で統一されていましたが、なぜか3扉の3000系がここに充てられました。



 本線の3扉車が追い出されていく中、この処置は国分寺線を3000系省エネ車で統一し、2000系とN2000系4扉車を本線に入れる処置ではないかと思いましたが、いつまでたってもその様にはなりませんでした。
 もともと2000系と同じ省エネ車両なので、車体を4扉に代えて2000系グループに編入もありかなと考えていましたが、それもなく廃車が始まりだしたので意外な展開となりました。N101系がまだ支線に君臨しているのに、それを置き換えることなく省エネ車両の方が先にさよならしていくというのは、どう考えても順番が違うのではないでしょうか。



 4連化すれば、多摩湖線、多摩川線で十分使用できるはずなのに、抵抗制御の車両の方が残ってしまうのが不思議でした。999号だけは一編成残してイベント時に運用してくれたらという思いもむなしく、保存される事はありませんでした。廃車が出る一方で第二の職場に行ける仲間もあり、すべてが廃棄処分にならずに済んだことは幸いと言えます。
 
  12.新宿線の扱い
 
 4扉化に際しては新宿線の優先順位が高く、N2000系、20000系と新型車両が先行導入されて、以前のように池袋線に新車が入り、そのお流れが入ってくるという形ではなくなったように思えますが、実際のイメージウエイトは相変わらず池袋線の方が先行しているのが現実です。



 池袋線には999号、ライオンズ号といったラッピング電車が長期間存在していましたが、新宿線には全くそのようなものは存在していません。西武沿線で同じようにアニメの会社を持つ両線なので、新宿線にガンダム号やドラえもん号などがあっても不思議ではないのですが、そのような遊び心の車両がありません。ヘッドマーク付きの車両が一時期ありましたが、編成全体をいじった、レッドアロークラシック、コラボの京急色やレモンイエロー色の6000系などのような、一目で他の編成と違いがわかるような車両がありません。





 池袋線で走っている車両の新宿線乗り入れもありません。昨年初めて4000系が新宿線に入線しましたが、これは2日間だけのプチイベントで定期運用にはなっていません。池袋線は他社との相互乗り入れを行っているという事情がありますが、大体のイベントは池袋線が主になっています。



 新宿線には小江戸と言われる玄関口の本川越があるですから、特急色を変更した車両くらい存在してもいいのではないでしょうか。
 西武新宿駅がJR新宿駅に直結していたなら、現在のような池袋線偏重のアンバランスなことも少ないのではないでしょうか。また今のような中途半端な駅位置ではなくてJR新宿駅に直結できたら、JR乗り換えのための東村山や高田馬場の比率が下がるでしょう。


(新大久保駅から西武新宿駅方向を望む)

 地形上3線しかない西武新宿駅はターミナルとしては許容量が小さく、ダイヤの増加ができないといった問題もあります。単純に埼京線の上に駅を増設出来れば一番いいのではないかなと考えますが、そこはJRが首を縦に振らないでしょうから、複々線化を断念した鷺宮~西武新宿地下増線を復活させて、少しでもJR新宿駅に近づける事が出来れば乗り換え時間の短縮になります。


(沼袋駅)

 今回沼袋~中井間が地下化されるのですから、そのまま延長も視野に入れるというのはどうでしょうか。
 新宿線が便利になれば更に乗客も増えると思うし、地下化で中井手前辺りから分岐して東京メトロ東西線と乗り入れる事ができれば、都心にも直結できて利便性は向上するわけですから、このルートは私以外にも考えている方も多いのではないでしょうか。
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西武鉄道100周年に思う④

2015-04-24 22:35:00 | 西武100周年
  7.休眠時代

 高校時代は鉄道に目覚めたと同時に、小学校5年の時に買った関水金属のNゲージ車両から、16番に移り始めた時期でしたが、車を持つようになるとこちらに大半のお金が必要になり、模型どころか鉄道の方も疎遠になりました。
 西武線にも頻繁に乗ることがなくなった環境も影響していましたが、車の趣味の方が大きくて2~3年で中古車ばかりを買い替えていた為、お金に余裕なんてものがなかったので、鉄道趣味は下火になっていました。特に23歳で結婚してからの2年間は、西武線への興味が落ちていた時期だったといえます。鉄道模型は細々と続いていましたが、当時はキットを買うお金も少なくて、プラ板による自作車両が主でした。結婚を期に一眼レフカメラを買いましたが、鉄道の写真は皆無に近くて記録ものの空白は高校時代から続いていました。
 家族も車があれば移動はバスや鉄道から遠のくし、結局運転できるのは自分一人しかいないので、外出や送迎などで借り出されることも多く、趣味の時間も少なかったわけです。
 
  8.近代化更新系列の衰退
 
 休眠時代が10年ほど続いたでしょうか、その間全く西武線から遠ざかっていたわけではなく、乗り鉄だけはちょこちょこしていました。主要路線は相変わらず中央線ですが、都心に行く時は鉄道の方が早くて便利なので利用していました。当時は201系の全盛時代で中央緩行線にも黄色い車体色が使われていたので、この車両に乗ると3000系に乗っている気分になったものです。もちろんこれは妄想であって、乗り心地は全く違うから頭の中で置き換えていたわけです。
 帰宅時間に余裕があるときは、新宿駅で降りて西武新宿駅まで歩き、西武線で帰ってくることもありました。中央線一本で帰った方が安いし時間もかからないのですが、新宿線の各停で時間をかけて帰るというのもなかなか楽しいものでした。中央線のように高架ではなくて、地上を走り人間の生活圏に溶け込んでいる環境が魅力的なのかもしれません。また、西武線沿線は比較的開発も遅く、古い街並みが続く昭和時代があるので、懐古的な世界を味わうにはとてもいいからだと思います。



 2000系だと車窓がいまいちですが、701系だと窓の景色が広角になって見えるのも魅力的でした。これは3扉のお陰といえます。
 その701系も新2000系の導入により引退していくようになり、新宿線の4扉化がいよいよ本格化してきたので、学生時代はFS台車に好んで乗っていたのが、この時期にはあの固い台車で音のうるさいDT21の上に座ることが多くなりました。ごつごつとした震動が尻に伝わりはするものの、この乗り心地は10年前を呼び戻すには最高のアイテムです。



 池袋線にも4扉車を入れるため東急車両に新2000系を発注したこともあって、所沢工場と合わせて増備は進み、401系・701系・801系の本線離脱が始まりだしました。次々に第二の職場に移動して行く姿をみると、学生時代に旧型車両が淘汰された時と重なる部分もありますが、三扉車衰退といってもつい最近まで池袋線の3000系が新宿線で走っていたので、新宿線の全車両4扉化にはかなり時間がかかったといえます。

 401、701、801系の引退については特に感傷的なものはありませんでした。一時期多摩湖線に401系2連が入線して折り返し運転していた頃は、351系の3連と良い対比ができた一時期だったと思います。汎用性の高い2連の401系は解体されず、第二の職場に移動できたのは幸運でした。
 
  9.101系時代の終わり
 
 オールランドカーとして西武車両最大数を誇っていた101系グループでしたが、年月の経過は酷なもので、N2000系の大量増備が進んでくると、初期の101系が消える運命になって行きました。4000系に下回りを譲る車両もあり、一部は部品取り電車になるなど、引退の序章が始まりました。



 4000系が営業前の試運転で小手指車庫で休んでいる横では、高校時代に初めて乗車した冷房初期車両の101系4連の解体が始まっていました。分散クーラーの車体が壊されていくのをみると、まだまだ使用できるのに勿体ないなと感じたものです。

 

 初期型は運転台が低いので、先頭車の運転席後ろの座席は絶好の展望風景が堪能できました。今の車両で着座して前が見える車両はないので、この101系があった時代が最後の展望車両です。例外としては山口線のレオライナーがありますが、これは他の線路には乗り入れできない新交通システムなので、線路上を走る規格車両からは外しておきます。
 101系の特徴として、冬の暖房能力が半端ではないという事が言えます。他の民鉄に乗るとラッシュ時以外は結構足元が寒いことが多いのですが、この車両はドアが開いてもかなり暖かでした。秩父線に対応するため座席ヒーターが強力なためですが、長時間座っていると座布団の下からもかなり熱めの熱が伝わってきて、お尻がかゆくなるくらい強かったのにはある意味感動しました。



 西武秩父まで乗車したときに、ヒーターがどのくらい発熱しているのか気になって、座席下にある通風用金網に触ったら指先に火傷をした位ですから、鉄板焼き状態と言った方が分かりやすいかもしれません。
 改めて暖房のすごさを身をもって体験した貴重な出来事といえます。友人にその姿を見られそこまで確認する人はいないよと笑われました。寒い冬には101系が一番でしたから、他の車両が来るとがっかりしたものです。でも、西武線は他の会社と比べても車内は暖かいので、101系でなくてもあまり寒い思いをした記憶はありません。
 もうひとつの特徴は連結ドアが両開きで、車体側面の乗降ドアと同様の立派なものがついていた事です。このドアを開けると大開口の通路が出現するわけですが、どうしてこんなに大きい貫通ドアが必要だったのか、寒冷地を走る車両にはこの大開口はデメリットではないかと思えてしまいます。



 隣の車両への行き来が多いのならともかく、そのようなことはないわけだからあえてメリットを探すとしたら、それは片開きドアと違って全開する前に人ひとり分の空間を確保できて、連結部の冷気が車内に流れ込む量が少ないということでしょうか。それにしてもお金のかかった車両と言えるでしょう。



 N101系の顔が好きでない私にとって、低運転台の101系が本線から消えてしまったのは本当に残念でした。そういえば、ツートン色から単色のレモンイエローになってしまった時も、イメージダウンでがっかりした記憶があります。
 所沢駅に単色になった101系が入線した時、ベージュとの塗り分け線がはっきり残っていたのをみると、検査上がりの車体は単純にベージュの部分のみ塗りつぶした簡易塗装だったようです。



 この時期はツートン車両もまだ多く走っていたので、単色だと701系が来たのではないかと思えるほどよく似てしまっていました。確かに二色塗りより時間も短縮できていいかもしれませんが、401、701、801系列が引退して区別しなくてもよくなったからと言って、すぐにこの単色塗りにする事もなかったのではないでしょうか。ツートンの101系はその車体によく似合っていて、高級感もあったので残念でなりませんでした。



 初期型101系が本線から消えて多摩川線、多摩湖線に移った5編成はしばらく安泰だったものの、N101系の本線削減が始まると意外にも早くに交代となってしまいました。その後継のN101系は白塗りとなり、沿線の小学校の児童画を車体側面に張り付け、春夏秋冬号としてデビュー。ワンマン化更新工事を受けて、レモンイエローの単色から白一色になりました。この塗装変更がよく似合うのも不思議な感じがします。

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西武鉄道100周年に思う③

2015-04-21 10:00:00 | 西武100周年
5.それはないだろう


(101系)

 101系冷房車が増えるのかと思っていたら、新性能化更新工事の終了した701系編成が新宿線に戻ってきました。こちらは後にレモンイエロー1色の単調なものになってしまい、赤電色の方が良かったのではないかと思いました。両開きドアはステンレスの無塗装で単調な色のアクセントとしては効果的ですが、その前の赤電色の冷房車を見ていたので、こっちの方がだんぜん良かったと今でも思っています。


(701系)

 411系改造の401系と701系の編成が多い中、101系と801系の編成は貴重なものでした。801系は量数が少ないので乗車する機会がほとんどありません。記憶では3回くらいでしょうか。改造化前までは中間車の方が乗り心地は良かったわけですが、改造化後では先頭車の方がエアばねになって圧倒的に良くなった701系と801系ですが、なぜかお互い組むことが少なく、101系と混結することが多いのも新宿線の特徴でした。それは101系だけの編成を組むと、ほかの編成との性能の差(起動・停止)が大きくなることがあったのかもしれません。モーターの出力も101系の方が大きいので、701系に乗車していると、起動時(出発時)101系に後押しや、引っ張られるような振動が伝わってきたものです。


(701系)


(上記写真の801系と701系との外観上の違いは、雨樋の位置が張り上げ屋根で高いのと、先頭車の台車がFS067でこの形式だけ使われていること)

 順次新性能化された編成が戻ってくると、今度は101系の編成が減ってしまい、新宿線の車両環境がダウンしていきました。オールエアばねの101系に対して、701、801系は中間車が以前同様コイルばねのDT21なので、乗り心地のいい先頭車両との差は歴然となり、いつのまにか私はモーターのない先頭車に乗ることが多くなりました。401系は電動車ながらFS台車に交換されて、こちらも乗り心地ではお気に入りの車両となりましたが、正面のデザインは国鉄101系もどきで、切り妻で傾斜角のない前面ガラスは平凡で、デザイン的には好きではありません。


(401系)

 2連のオール電動車ですが、101系のパワーのあるモーター音と比べると、少し音的には魅力が落ちるなと感じたものです。今も思う事がありますが、なんで新性能化した時に中間電動車の台車をFSに交換しなかったのかと思います。エアばねとコイルばねの性能の違いは当然分かっていたのですから、一気にこれも変えてしまえば編成の部品効率も良かったのではないかと思います。ここは改造資金の問題なのか、古い台車を大事に使いまわす西武のポリシーなのか不明です。一説によると国鉄から台車を使用することの許諾期間があったのが一因と言った事もあるようですが、これは本当なのか分かりません。
 更新工事を受けて新宿線に戻ってきたものの、レモンイエローの単色電車は味気なくて車両の興味は半減してしまいました。新宿線と池袋線の車両の差がまた開き、二大本線と言われながらこの歴然とした処遇に、それはないだろうといった感情が芽生えました。


(2000系 スカートは後づけで登場時からしばらくはない状態だった)

 高校3年の頃になると新宿線には4扉戸袋なしの2000系が導入されてきました。運転席はパノラミックウインドウで少し傾斜のついた豪華なものですが、見た目のデザインはお世辞にもかっこいいとは言えない60点電車です。この車両から国鉄色が消えた気がします。
 車内は戸袋窓がなくなり、外光が入りにくくなって101系などと比べると暗くていい印象ではありません。オールFS台車になったので新宿線では101系を除き乗り心地は一番いい電車になりましたが、窓は下降式の一段窓が普及し始めていた当時としては、新車でありながら二段ユニットサッシを使用し、屋根上には円形のグローブベンチレーターの採用など旧態依然としたものだったので、省エネ車両としての評価もあまり注目されず、逆に鉄仲間からは不評な形式となったのは残念です。どうもこの当時の車両のデザインは2000系も3000系も中途半端なパッケージだと言わざるを得ません。

 
(3000系)

 同じく省エネ車両として池袋線に投入された3000系は、基本設計上2000系と同じで違いは全面貫通扉がない3扉車です。側面は2000系と同じ二段ユニットサッシを採用。車内のロングシートは101系と同じ形状のものが使用されています。前面のセンターピラーが細くなりすっきりした近代型の顔ですが、側面と車内は101系の改造車に見えるところに、西武の一気に新しいものに替えるという発想が薄いことに気がつきます。もしもこの3000系が国鉄の201系のデザインを意識しなかったら、一段下降窓の3扉車として異色な存在になったかもしれません。結局101系の成功が大きくて、車内の見付け変更や、次世代のデザインに対応せずに出来上がった、マイナーチェンジ的産物だったのではないかと思われます。
 池袋線にも4扉車を入れる案もありましたが、投入に関して整列乗車の問題があり、3扉車の生産を続行した経緯から設計経費を落とし、101系の車体を基本として誕生したのだろうと思います。それが省エネ車でありながら世帯数も少なく、次世代車両の主力になることができなかった不運の要因のひとつかもしれません。
 
  6.二つの趣味
 
 学生時代にはカメラを所有していなかったので、この頃の鉄道写真がないのが残念ですが、高校時代の3年間は西武鉄道の大転換期に入った時期と言えるので、旧型車両の淘汰はかなりのスピードで行われ、気がつくと本線上にはなくなっていましたから、相当会社は頑張ったのではないでしょうか。そして私鉄でも冷房化率がトップになるなど、質より量といわれていた鉄道会社が大逆転した時代でした。


 
 学生時代に旧性能電車と合わなかったら、おそらく興味も余りなく西武ファンにはならなかったかも知れないと思うと、あの10年過去に戻ったのではないかとショックを受けた事が起爆剤であり、潜んでいた鉄道趣味へのスイッチが入った時だったと思われます。
 そういえば、高校時代に映画研究会なるものに先輩から誘われて、頭数確保で入ったのですが、映画なんてものには興味もなく、なんでここにいるのだろうとよく思いましたが、16mm映写機に触れるようになって、映画より機械に興味が出て動画の素晴らしさに気がついたのが影響して、現在もビデオカメラの趣味が続いている事を思うと、高校までは鉄道も映画も深い興味はなかったけれど、振り返ってみると今の自分の趣味については、基本が出来上がった時代だったと言えるのかもしれません。






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