夢鉄城の日記

模型・鉄道・旅に関係した事を中心にしています。

LPカバー他

2024-04-27 22:59:38 | ノンジャンル

いつもは吉祥寺の中古レコード店で購入しているLP用のジャケットカバーですが、ほかに注文する物があったのでネットで一緒に購入しました。

20枚入りと50枚入りとあったのですが、値段が安かったので50枚入りを購入しました。

ビニールジャケットは出し入れしたり年数が経過すると、劣化してくるので定期的に交換が必要です。ちょっと50枚は多いかなと思いました。

劣化し始めているカバーの確認をすると10枚ほどありましたのですべて交換しました。

EPレコードの方は在庫が残っていますが、だいぶ少なく成ってきたのでまた買い足さないといけないかもしれません。

今回のメインの買い物はスマホ充電器とDVD保管ケースです。

PC接続している時にもスマホの充電は出来ますが、時間が掛かるので急速充電が出来るものを購入しました。

今回購入したDVDケースは前回のサンワ製ではなく、エレコム製を購入しました。サンワ製より少し幅が狭いようです。

使い勝手は変わらないようですが、ブックカバーはエレコムの方がしっかりしているように感じます。

実際に120枚入れてみないとどのような感じになるのか分かりませんが、構造的には同じなので大差はないのだろうと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登視察

2024-04-25 16:53:01 | 余暇

能登の被災状況はテレビでも見る事が出来ますが、実際には現地の事を細かく報道しているとは言えません。放送しやすいところから発信しているだけではないかと感じていました。

能登支援のクラウドファンディングに参加させてもらっている関係で、自分の目で見て現状を知る事も大事ではないかと思い2月に計画を立てました。

4月中旬にはのと鉄道が全線開通したので、最初の行程を変更して奥に進む事が出来ました。

穴水駅も被害があって一部使えない場所もあるようですが、営業するには支障がないところまでになっていました。

七尾駅から穴水駅の間の沿線の状況は、国道が開通していますがところどころ修復がされていないような場所もあり、車窓からですが亀裂や凹凸があるように見えました。

沿線の住宅は黒い瓦屋根の住宅が多く、穴水に向かうほど屋根の頂上にある棟瓦(かんぶり、のしかわら)が崩壊またはずれて養生シート(青シート)で応急処置をしている住宅が増えて行きました。

東日本の時のように、屋根全体に養生シートが張られている住宅はかなり少なかったです。

それとは対照的に倒壊している建物が少しずつ増えていくので、揺れ方が地域によってかなり違っていたのかもしれません。

遠目では住宅がしっかり建っているので、住む事が出来るように見えましたが、現地の視察をするにつれて、実はかなりの被害であることが分かってきました。

沿岸の防波堤や側道は陥没がひどく、路地などは陥没した道路に砂利を入れて高さを調整していましたし、防波堤については崩落している個所も多く、その近くにある建物は半壊、全壊、建物の傾斜でほぼ壊滅的状態になっていました。

駅近くにある立派な穴水神社は社周辺で大きな被害が出ていましたし、街中を通る国道の橋の両端は陥没が激しく、盛り土で高さを調整して使用していました。

橋の欄干も折れ曲がっているので、この状態でよくこの橋が落ちずに堪えたなと感じました。橋両端の道路が陥没したことで、電柱も低くなり橋の頂上では、手を伸ばせば電線に触れるくらいの高さになっていたので、道路側面は2m近く陥没したのではないかと思われます。

 

現地では仮設住宅の建設をしていましたが、作業員の数はさほど多くはなかったところを見ると、人員不足なのかなと感じました。

ある集落で高齢の方が二人いたので、当時の状況と現状を伺う事が出来ましたが、電気・水道が使えるようになったので、自宅で生活しているが、倒壊家屋や危険家屋が多いので、住民の多くは仮設に移動していると言われました。

今後の展望もある程度復興したとしても、一次産業が主力の地域なので、若い人たちが働く場所がないし、地方に住んでいる跡継ぎが戻るのは難しいだろうから、人口の減少は止められないだろうと話されていました。

同じ町でも場所によっては壊滅的な状態があったり、軽微な被害で済んでいる地域もあったりして、復興と言う概念が複雑だと言う事を実感しました。

今後も微力ながら支援をしていきたいと改めて思いました。

次回の訪問時にはもう一つの支援先の能登町まで入れればと思っています。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のと鉄道

2024-04-24 22:40:00 | 鉄分診療所

朝食を摂る間もなくホテルを7時過ぎに出て、路線バスで金沢駅に向かいました。

7時半過ぎに駅に到着しましたが、駅前のバス停はどこも学生たちの長蛇の列が出来ていました。金沢のバスの本数はかなり多いので便利な地域だと感じましたが、11番線まであるバス停のほとんどが通学生というのも異様な光景に見えます。もちろん社会人もいますが、これだけの長蛇だと1台のバスでは乗りきれないでしょうね。

そんな状況を横目にしながら切符売り場に向かいました。のと鉄道は七尾駅で乗り換えですが、金沢駅で直通切符が購入できるので便利です。券売機に行くとなんと販売されていませんでした。すぐ横にある有人の窓口で尋ねると購入できるとの事で往復切符を購入しました。40分の乗車まで5分ほどしか残っていなかったので、急いでホームに向かいました。

すでに4両編成の七尾行が入線していましたが、この車両も学生で埋まっています!まさか地方でラッシュアワーに遭遇するとは・・・・・

学生たちはドア付近で固まっていて邪魔でしたが何とか入り込みました。なんで奥まで詰めないのかはすぐにわかりました。次の駅で降りるからでした。この子たちが降りると中ほどの座席に空席が出来ましたので座る事が出来ました。

521系3扉車に1時間半ほど乗車して七尾駅に着きましたが、降車したのは10人程度とかなりローカルな人数になりました。全線乗り降りは乗客がドアスイッチを押さなくてはいけませんでした。ワンマン運転とはいえ終着駅くらい自動で開けたらいいのにと思うのでした。

有人改札を出て、のと鉄道の無人改札に入ります。同じホームですが柵が付いていて回り道をする事になります。

9:23発の気動車が1両待機しています。発車まであまり時間が残っていなかったので周辺の撮影はビデオにしました。

七尾からの乗車は自分を入れて5人でした。NT200形にトイレはついていますが、震災で車庫の浄化槽が使えなくなったため、車内のトイレも使用不可になっていました。

七尾駅から和倉温泉に近付くとだんだん震災でダメージを受けた建物が増えてきました。終点の穴水に近付くにつれその被害も増えているように感じました。現地の報告は別のコーナーとします。

穴水到着は10:08、金沢から約2時間半でほぼ能登半島の中心地近くに来たことになります。

穴水駅構内は結構広くてかなり余裕があります。これは23年前まで輪島までつながっていた名残でしょうか。

構内の端にはNT100・NT800形が留置されていましたが、コロナの影響もあって使用されずに放置されていたからでしょうか、かなりくたびれていました。

14:44で帰路に就く予定でしたが、震災で町全体が大きな被害を受けていて、飲食店もほぼ全滅状態だったので、13:35に早めて金沢に向かう事にしました。

往復ともトラブルもなく定刻通りに進んだので帰りの新幹線には余裕で乗車する事が出来ました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸新幹線

2024-04-23 16:33:54 | 鉄分診療所

23日の午後仕事を早退して東京駅東日本新幹線乗り場へ行きました。

今回初めてēチケットに登録して🆋カードを使い乗車しました。

乗車日1日前からメールで案内が届くのは便利です。もっともそのメールの中には該当しない部分も含まれているので、初めて受け取った時には🆋カードに予約が紐づけされていないのかと不安になりマイページで確認してしまいました( ´艸`)

改札を通過するとすぐにメールが来て、乗車列車名と発車時刻、指定席の案内が来ました。

予定の時間より40分ほど早く到着したので、入線してくる新幹線の撮影や、ホームの真下に来る在来線の撮影をして過ごしました。

また、乗車位置が室内清掃員が出入りする階段でした。暗証キーがドア横についていますから分かりやすいですね。

北陸新幹線が敦賀まで開業して間もないですが、平日の15時頃なのでホームは混雑していませんでした。

3月でE2系が引退しているので少し寂しい気分になります。この車両に乗ることができなかったのが残念です。

この後のE3系もE8系が増備されれば、E5系との連結シーンも見られなくなりますから、今回同じホームに入ってきた合体編成はラッキーでした。

撮影をしていると時間が経つのは早い物で乗車時間が近づいてきました。

はくたか569号(北陸新幹線)
区 間:東京(15時24分)→金沢(18時20分)
設 備:指定席
割引等:トクだ値30%OFF
座 席:10号車 9番E席

金沢まで1万円ちょっとで行けますからお得ですね。

かがやきがない時間帯なので金沢まではゆっくり乗車となります。

本日の車両は西日本所属のW7系でした。

座席は硬めです。3時間弱の乗車での印象はもう少しソフトな方がいいように感じました。また、意外と走行時の振動がありますから、硬いシートだとお尻に直で伝わるのであまり座り心地がいいとは言えません。

山線なので東海道と比べてはいけませんが、速度もこちらの方が遅い割に揺れるので、東海道・山陽になれている人には印象が悪いかもしれません。

あと、長野を過ぎるとトンネルだらけだし、外に出ても高い防音壁があったりして景色が見られないのは山陽と同じだなと感じました。

定刻金沢に到着。先日から滞在している妻と合流してホテルに入りました。夕食はホテルの近くにある料理店に入りましたが、観光地金沢だけあって結構外国人が外を歩いていましたね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本海軍の塗装

2024-04-14 21:32:29 | ノンジャンル

そろそろ溜まってきているプラモデルを作って、在庫整理をしなくてはと考えています。

まず手始めという事ではないのですが、タミヤの伊ー400(1/350)からと思っています。

ところが、この潜水艦に関しては、どうもプラモデル完成写真の塗装ではないという事が判明しています。

日本海軍艦艇図鑑では、伊ー400は同型艦も含めてレーダー感知をしにくい塗装がされていて、全体的に黒塗装になっている図面が掲載されています。

写真ではカラーがないので、本当に黒色であるかも疑わしいところです。

このため図鑑に出ていた写真をコピーして、モノクロをカラー化するソフトを使用して検証する事にしました。

写真はモノクロで鮮明なとは言えない状態です。スキャナーで取り込みカラー化ソフトに入れてみました。

終戦後に撮影された伊ー400と401は後方からのものですが、処理した写真では黒一色という状態でもないようです。

艦橋のある部分はかなり黒く、格納庫に当たる部分から甲板にかけては鉄錆状のような色になっています。また機関砲は砲身がやや青く見えます。艦橋より下は赤黒い塗装なのかもしれません。

潜水中であれば一番目立つ艦橋と上段甲板がより真っ黒な方が上空からは見えにくいと言えるのだと思います。

吃水線下も通常の色ではないようです。やはり全体黒色になっているのかもしれません。一般的な艦船プラモデルの艦底色はブドウ色を使う事が多いのですが、実際は赤に近い塗装であってこの部分は違っていると思われますが、艦艇によっても違う可能性もあるのでよくわかりません。

軍事機密の高い海軍艦艇の写真は戦後に処分されてしまったのか、それとも終戦まじかに廃棄されているのか、竣工時の写真は見る機会が少ないです。また有ったとしても機密度の高い戦艦、潜水艦、航空母艦は詳細写真が隠蔽されているので塗装の再現は難しいですね。

今回カラー化出来たので、これを参考にして作ろうかと思います。まだ他の写真もあるでしょうから、それもカラー化して参考に出来ればいいかなと考えています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする