スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

先生の善悪&実証主義的見解

2016-07-12 19:10:04 | 哲学
 Kの自殺の後,それをKの家族に知らせる電報を打って下宿先に戻ったとき,先生が奥さんと静の涙を見ることによって自分もそれまでには感じずにいた悲しみを感じ,その悲しみが先生にとって「一滴の潤い」になったという出来事は,スピノザの哲学における善悪をどう把握すればよいのかという点のよい例になります。
                                     
 第四部定理八によれば,人間は自分が悲しんでいるということを意識する限りにおいて悪を認識するといわれています。したがって先生が自分の悲しみを認識するということは,それ自体では悪を認識したという意味にほかなりません。ところが先生は,悪を認識したのにも関わらず,それは「一滴の潤い」であったと告白しているのです。
 なぜこのようなことが生じるのかといえば,実は善も悪も絶対的なものではなく,相対的なものだからです。他面からいえば,善も悪もある事物に備わっている性質ではなくて,喜びおよび悲しみを感じる当人の身体および精神の状態であるからです。このことはたとえば第四部定理六八から明らかです。そこでは自由な人は悪だけを認識しないとはいわれず,善も悪も認識しないといわれているからです。すなわち悪の認識なしに善の認識はあり得ず,善の認識なしに悪の認識はあり得ないのです。
 ある人間が悲しみAを感じているときに,別の悲しみBによってAの悲しみから逃れるということは,第四部定理七から生じ得ます。このときBの悲しみがAの悲しみよりも弱い悲しみであるならば,その人間はAを悪と認識する限りでBを善と認識するでしょう。先生はそれ以前に第三部諸感情の定義一三不安metusおよび第三部定理一一備考の憂鬱という悲しみを感じていました。静や奥さんへの感情の模倣affectum imitatioによる悲しみは,それらの悲しみよりは弱い悲しみだったのです。だから先生はそれを「一滴の潤い」と感じることができたのです。

 『スピノザ哲学研究』には,ロバート・ボイルRobert Boyleと論争していた時点でのスピノザは合理主義者であったけれども,後には実証主義者になった,あるいは実証主義的見解を取り入れるようになったという主旨の記述があります。ただし工藤はそれがボイルによる影響であったかどうかは確定できないとしています。
 もしも哲学的方法論という観点からいうなら,この見解は受け入れられません。すでにみたように『エチカ』においてもこの点における合理主義的観点は保持されているのであって,したがって,たとえば共通概念notiones communesに基づいて何かを推論して得られた結果について,それを実証するということがスピノザにとって無意味だし不要であったということは,スピノザが死ぬまで保持していた見解であると僕は考えるからです。確かに共通概念というのは『エチカ』において導入されているのであり,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』ではその片鱗も見られないということはでき,スピノザの合理主義的見解の内容に関しては変化があったかもしれません。ですがそれは成熟とでもいうべきもので,方法論に限定するならば,むしろより合理主義者になっていったと考えるのが妥当だと思います。ただし,実証主義という考え方を理解するようになった,いい換えればそういう立場のことを尊重することもできるようになったという可能性については僕は否定しません。
 一方,硝石の本性に関するボイルとスピノザとの間で交わされた論争の方に重点を置くなら,スピノザが合理主義的立場から実証主義的見解も受け入れるようになったということについて,僕は両義的に解します。『エチカ』の第二部で展開されている自然学の,とくに物体のあり方に関係する部分については,ボイルと論争していた当時のスピノザには,まだ確たる見解がなかった,少なくとも『エチカ』にみられるような物体のあり方と同じようには理解していなかった可能性が大いにあり得ると僕にも思えるからです。
 この変化を合理主義から実証主義への変化と断定していいかは僕には疑問です。けれどもここから述べるように,そのように表現することが著しく非妥当的であるとまではいえないと思うのです。

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