昨日の第28回NHKマイルカップ。クルゼイロドスルは感冒のため出走取消となり17頭。
発馬はあまりよくなかったのですが,巻き返していったフロムダスクの逃げ。2番手はオールパルフェとセッションとユリーシャの集団。2馬身差でシングザットソングとドルチェモアとタマモブラックタイ。8番手にダノンタッチダウン。9番手にエエヤンとカルロヴェローチェ。11番手にミシシッピテソーロ。12番手にモリアーナとショーモンとシャンパンカラー。15番手にオオバンブルマイ。2馬身差でウンブライル。3馬身差の最後尾にナヴォーナ。前半の800mは46秒3のハイペース。
直線に入ったところではフロムダスク,オールパルフェ,ユリーシャの3頭が併走でしたが,この3頭は直線に入るとほどなく一杯。先頭に立ったのはタマモブラックタイでその外に楽な手応えでダノンタッチダウン。さらに外からシャンパンカラーが伸びてきて,その外からはオオバンブルマイの追い込み。シャンパンカラーが先頭に立つとオオバンブルマイが追いすがりましたが,最後は力尽きて離されました。そこに外からウンブライルが追ってきて,2番手に上がるとシャンパンカラーに詰め寄りました。ですがわずかに届かず,優勝はシャンパンカラー。ウンブライルがアタマ差の2着。オオバンブルマイが1馬身4分の1差の3着でダノンタッチダウンが1馬身4分の1差で4着。
優勝したシャンパンカラーは重賞初制覇での大レース制覇。このレースはかなり混戦模様。この馬は前哨戦であるニュージーランドトロフィーで3着でしたから一応は候補の1頭。デビューからの2戦は東京の1600mで連勝していましたので,その部分の経験の差が生きたのではないでしょうか。京成杯で負けてマイル路線に転じていますので,距離の延長は現状ではマイナスになるのだろうと思います。父はドゥラメンテ。祖母のふたつ下の半妹が2009年にフィリーズレビュー,2010年に函館スプリントステークスとキーンランドカップ,2012年にオーシャンステークスを勝ったワンカラットで,その七つ下の半妹が2016年の桜花賞を勝ったジュエラー。
騎乗した内田博幸騎手は2018年のフェブラリーステークス以来となる大レース26勝目。第12回以来となる16年ぶりのNHKマイルカップ2勝目。管理している田中剛調教師は2016年の安田記念以来となる大レース6勝目。NHKマイルカップは初勝利。
法的に自由libertasが保障されているからといって,その法lexの下に暮らす人びとが自由であるとはいえません。ですから民主主義とか自由主義といった何らかの政治体制があれば,その政治体制下にある民衆が自由であるというわけもありません。もちろん自由は現実的に存在する人間の自然権jus naturaeのひとつに属するのですから,そうしたことは体制が保障しなければならないと僕は考えますが,だからといって現に存在する人間が自由であるためには,体制が自由を保障するというだけでは不十分なのです。
僕がここで投票行動をひとつの例材としたのは,民主主義下における民衆の投票行動は,各々の個人の能動的な行動であると信じられていると思ったからです。しかし僕が示したように,多くの人が能動actioと信じている投票という行動ですら,能動ではなく受動passioであるという場合があるのです。ここから容易に類推することができるように,僕たちの行動の中には,自分では能動であると思い込んでいても,実は受動であるということが数多くあるのです。こうしたことが生じるのは,第四部定理四系にあるように,どんなときでも,つまりある現実的に存在するある人間が十全に力potentiaを発揮しているときでも,いくらかの受動には隷属しているからであって,そのことを弁えておかなければ,実際には受動である自分の行動が,自分の能動であるかのように感じられることがあるからです。
以前に政治論あるいは国家論について考察したときに言及したように,スピノザの国家論というのは,たとえばヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの国家論のような,進化論的な性格をもっていません。『国家論Tractatus Politicus』では貴族制,共和制,民主制というみっつの制度が考察の対象となっています。しかしスピノザは,人間の社会societasは貴族制から共和制へ,そして民主制へと移行していくというようには考えていません。むしろ第六章第四節でいわれているように,民主国家ほど長続きしたものはないといわれています。つまり民主国家は容易に共和国家にもなるし貴族国家にもなるとみているのです。このことはおそらく,体制が自由を保障してもその体制下の民衆が自由であるとは限らないということといくらかの関係をもつのです。
発馬はあまりよくなかったのですが,巻き返していったフロムダスクの逃げ。2番手はオールパルフェとセッションとユリーシャの集団。2馬身差でシングザットソングとドルチェモアとタマモブラックタイ。8番手にダノンタッチダウン。9番手にエエヤンとカルロヴェローチェ。11番手にミシシッピテソーロ。12番手にモリアーナとショーモンとシャンパンカラー。15番手にオオバンブルマイ。2馬身差でウンブライル。3馬身差の最後尾にナヴォーナ。前半の800mは46秒3のハイペース。
直線に入ったところではフロムダスク,オールパルフェ,ユリーシャの3頭が併走でしたが,この3頭は直線に入るとほどなく一杯。先頭に立ったのはタマモブラックタイでその外に楽な手応えでダノンタッチダウン。さらに外からシャンパンカラーが伸びてきて,その外からはオオバンブルマイの追い込み。シャンパンカラーが先頭に立つとオオバンブルマイが追いすがりましたが,最後は力尽きて離されました。そこに外からウンブライルが追ってきて,2番手に上がるとシャンパンカラーに詰め寄りました。ですがわずかに届かず,優勝はシャンパンカラー。ウンブライルがアタマ差の2着。オオバンブルマイが1馬身4分の1差の3着でダノンタッチダウンが1馬身4分の1差で4着。
優勝したシャンパンカラーは重賞初制覇での大レース制覇。このレースはかなり混戦模様。この馬は前哨戦であるニュージーランドトロフィーで3着でしたから一応は候補の1頭。デビューからの2戦は東京の1600mで連勝していましたので,その部分の経験の差が生きたのではないでしょうか。京成杯で負けてマイル路線に転じていますので,距離の延長は現状ではマイナスになるのだろうと思います。父はドゥラメンテ。祖母のふたつ下の半妹が2009年にフィリーズレビュー,2010年に函館スプリントステークスとキーンランドカップ,2012年にオーシャンステークスを勝ったワンカラットで,その七つ下の半妹が2016年の桜花賞を勝ったジュエラー。
騎乗した内田博幸騎手は2018年のフェブラリーステークス以来となる大レース26勝目。第12回以来となる16年ぶりのNHKマイルカップ2勝目。管理している田中剛調教師は2016年の安田記念以来となる大レース6勝目。NHKマイルカップは初勝利。
法的に自由libertasが保障されているからといって,その法lexの下に暮らす人びとが自由であるとはいえません。ですから民主主義とか自由主義といった何らかの政治体制があれば,その政治体制下にある民衆が自由であるというわけもありません。もちろん自由は現実的に存在する人間の自然権jus naturaeのひとつに属するのですから,そうしたことは体制が保障しなければならないと僕は考えますが,だからといって現に存在する人間が自由であるためには,体制が自由を保障するというだけでは不十分なのです。
僕がここで投票行動をひとつの例材としたのは,民主主義下における民衆の投票行動は,各々の個人の能動的な行動であると信じられていると思ったからです。しかし僕が示したように,多くの人が能動actioと信じている投票という行動ですら,能動ではなく受動passioであるという場合があるのです。ここから容易に類推することができるように,僕たちの行動の中には,自分では能動であると思い込んでいても,実は受動であるということが数多くあるのです。こうしたことが生じるのは,第四部定理四系にあるように,どんなときでも,つまりある現実的に存在するある人間が十全に力potentiaを発揮しているときでも,いくらかの受動には隷属しているからであって,そのことを弁えておかなければ,実際には受動である自分の行動が,自分の能動であるかのように感じられることがあるからです。
以前に政治論あるいは国家論について考察したときに言及したように,スピノザの国家論というのは,たとえばヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの国家論のような,進化論的な性格をもっていません。『国家論Tractatus Politicus』では貴族制,共和制,民主制というみっつの制度が考察の対象となっています。しかしスピノザは,人間の社会societasは貴族制から共和制へ,そして民主制へと移行していくというようには考えていません。むしろ第六章第四節でいわれているように,民主国家ほど長続きしたものはないといわれています。つまり民主国家は容易に共和国家にもなるし貴族国家にもなるとみているのです。このことはおそらく,体制が自由を保障してもその体制下の民衆が自由であるとは限らないということといくらかの関係をもつのです。
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