スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

受動状態の現実的本性&結論

2020-09-19 18:54:12 | 哲学
 現実的本性と感情の模倣という人間の特徴から生じやすい現象について説明していくにあたり,まず以下の事柄をいっておきます。
                                   
 第三部諸感情の定義一から分かるように,欲望cupiditasというのは,人間が受動的である限り,その人間の現実的本性actualis essentiaを意味します。そして第四部定理四から明らかなように,現実的に存在する人間が受動passioを完全に免れるということは不可能です。よって欲望がある人間の現実的本性であるということは,人間が現実的に存在する限り免れ得ないことである,いい換えれば現実的本性が欲望であるという場合が現実的に存在する人間には必ず生じるということになります。そして同時にこのことから,現実的に存在する人間は必ず感情の模倣imitatio affectuumをするということも明らかです。いい換えれば現実的に存在する人間が,他人の感情を模倣しないということは不可能であるということになります。
 欲望は感情の一種なのですから,僕たちは何かを欲望するにあたって,他人の欲望を模倣するという場合があることになります。つまり欲望というのは諸個人が受動的である限りにおける現実的本性なので,その現実的本性が異なる分だけ欲望の種類や欲望の仕方が諸個人によって異なることになるのですが,だからといってその欲望は欲望する本人の現実的本性とだけ関係しているわけではありません。むしろ他人の欲望すなわち現実的本性と関係してくる場合もあるのです。もっといえば,そういう場合があるというよりは,そういう場合が多いといってもいいのかもしれません。実際に,自分はそれを欲しいとは感じていなかったけれども,ほかの人がそれを欲しがっているがゆえに,自分もそれを欲しくなるという経験を自分自身について想起できる方は,少なからず存在するのではないかと思います。
 欲望が,受動状態における現実的本性であるということは,ここに示したような意味を有しています。つまりそれは現実的に存在するある特定の人間,たとえばAならAの本性ではあるのですが,同時にそれは,A以外の人間,たとえばBとかCの現実的本性と無関係であるということはない,あるいはできない本性なのです。

 結果effectusは原因causaとは異なるものであるがゆえに結果といわれるのであるということを解するときには,ここまでの事柄をよく理解しておかなければなりません。その本性essentiaにそれ自身の存在existentiaが含まれていないもの,すなわちその存在とその本性を同一視することができないものは,存在するために外部に原因を必要とします。このとき,そのものの存在は,外部の原因による結果といわれるのであって,この意味においてのみ,その結果は原因と異なるといわれるのです。このように外部に存在を産出するproducere原因も,自己原因causa suiも,同じように起成原因causa efficiensであるのですが,自己原因の場合は,結果が何であるかを問う必要はないし,問うこと自体がナンセンスなのです。
 思惟の属性Cogitationis attributumの間接無限様態は,自己原因ではありません。いい換えれば,その本性のうちにそれ自身の存在が含まれているわけではありません。ですから存在するために外部に原因を必要とします。そしてその外部の原因というのは,思惟の属性の直接無限様態です。つまり,思惟の属性の直接無限様態は,思惟の属性の間接無限様態を結果として外部に産出する原因です。そしてこの場合は,原因と結果は異なるものでなければなりません。よって思惟の属性の直接無限様態と,思惟の属性の間接無限様態は異なるものでなければならないのです。
 思惟の属性の直接無限様態は無限知性intellectus infinitusです。この無限知性が原因となって,思惟の属性の間接無限様態が発生します。よって思惟の属性の間接無限様態は,無限知性とは異なるものであるということになります。しかるに無限知性というのは,無限に多くのinfinita観念ideaの集積であると解さなければなりません。ですから思惟の属性の間接無限様態は,無限に多くの観念の集積ではないということになります。そして,諸観念の総体というのは,無限に多くの観念の集積であるとしか僕には解せません。よって諸観念の総体というのは思惟の属性の間接無限様態であることができないと僕は考えます。なので近藤が,思惟の属性の間接無限様態を,諸観念の総体と規定していることは誤りerrorであるというのが僕の結論になるのです。
 このことの関連事項をもう少し考えていくことにします。

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