スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メルボルンカップ&第二部自然学①補助定理一

2015-11-06 18:59:36 | 海外競馬
 3日にオーストラリアのフレミントン競馬場で行われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 ホッコーブレーヴはゲートの中で行儀が悪かったように見えましたが,発馬には問題なし。7番ゲートから発走したフェイムゲームは,すぐに内に寄せようとしていたように見えたのですが,結果的に位置取りは後方の外になりました。ホッコーブレーヴは最初はフェイムゲームの斜め前くらいにいたのですが,掛かってしまったようで上がっていき,中団くらいで抑える競馬に。位置はあまり変わりませんでしたが,ホッコーブレーヴは馬群のまん真中に,フェイムゲームは大外へとかなり異なった進路を選択して直線に。ホッコーブレーヴはほかの馬と何度かぶつかっていたように思いますが,伸びなかったのは前半に行きたがっていた影響が大きかったと思います。勝ち馬から約6馬身半差の17着。フェイムゲームは伸びていて,とくに直線の半ばくらいからはエンジンが掛かったように思いますが,いかんせん内の馬も止まらず,勝ち馬から約5馬身半差の13着でした。
 フェイムゲームは距離が伸びたのはよかったと思いますが,騎乗振りが冴えなかったと思います。後方に控えるのはともかく,あんなに横並びになった馬群の大外ではよほど力の差がない限り勝てるものではないでしょう。ただ,この馬はこれまではわりと間隔を開けてレースを使っていましたので,中1週だった今回は何らかの止むを得ない事情があったのかもしれません。ただそういった部分も含めて競走馬の力量ですから、そちらの方が敗因の大きな比重を占めているのなら、単純に力が足りなかったということです。ホッコーブレーヴの方がフェイムゲームにしてほしかったコース取りでした。ただこちらはもしかしたらレース前に消耗していて,馬に早くレースを終りたいという気持ちが強かったかもしれません。

 1666年にプロテスタント教会の宗務局にクールバッハ兄弟が尋問されたとき,弟のヤンJohannes Koerbaghには非伝統的な考えを抱いているという嫌疑がありましたので,神学に関連する尋問が行われました。対してヤンは,神はその外側には何もない無限の存在であるということ,被造物は休息と運動によって決定ないしは延長される変状であると解答したと『ある哲学者の人生』にはあります。
 この解答の前半部分,神に関わる部分は,第一部定義六第一部定理一八をミックスしたようなものとなっています。なので僕は神に関してスピノザとヤンの間にかなり深い議論があったか,そうでなければヤンは『エチカ』の草稿を部分的に入手していて,それを綿密に検討していたかのどちらかであると考えます。いずれにしてもスピノザとヤンの関係がかなり親密であったのは間違いありません。後者の場合でも,スピノザは特定の人物にしか草稿を読ませないようにしていたからです。
 ナドラーは,解答全体についてスピノザ的な説明としています。ですがヤンがいう被造物というのが所産的自然のすべてを指すのなら,この部分の説明はスピノザ的というより唯物論的という方が正確であると僕は考えます。この本は直訳なのではっきりとはいいかねるのですが,休息と訳されている部分は静止のことだと僕は判断します。それでみればヤンがいう被造物は物体と同じ意味であると解せるからです。ただこの説明が,以下に示す岩波文庫版111ページの第二部自然学①補助定理一と見事に符牒しているのは認めます。
                         
 「物体は運動および静止,迅速および遅緩に関して相互に区別され,実体に関しては区別されない」。
 スピノザは延長の属性の直接無限様態を運動と静止であると考え,したがって第二部定義一の延長属性の個物res particularisである物体に対して,運動と静止が本性の上で「先立つ」と考えていたのでした。ヤンの解答がそれに準じたものになっている点に注目してください。だから物体に関しても,スピノザとヤンの間で議論が交わされたか,ヤンがスピノザの思想を綿密に研究したかのどちらかであると思えるのです。

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