スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&誤解の誘因①

2016-09-02 19:15:18 | 将棋
 昨日の第6期女流王座戦挑戦者決定戦。対戦成績は里見香奈女流名人が2勝,西山朋佳奨励会三段が0勝。これは女流の公式戦での対局結果のみです。
 振駒で里見名人の先手。先手の向飛車,後手の三間飛車という相振飛車になりました。
                                     
 ここで後手が△4五歩と突いたのですが,この手は軽率だったということになると思います。第1図の直前に△4四歩と突いているので,当初からの構想だったと推測できますから,その構想に難があったということでしょう。もっとも咎めた先手の方を褒めるべきかもしれません。
 すぐに▲5六銀と出て伸ばした歩を狙いにいきました。後手は△3三桂と受けることに。そこで▲3八飛とぶつけたのが機敏な動き。交換して飛車を打ち込むというより,桂馬の頭の弱さを狙った手順でした。
 △同飛成▲同金までは必然。先手は3八の金が浮いているのですぐに▲3四歩と打っても後手は△3五飛で切り返せます。というわけで△7二玉▲7八金△1四歩▲5八王と駒組の手順が続きました。
 そこで△2四歩と突いたのも軽率だったかもしれません。先手は▲3九金と引いて▲3四歩と▲2三飛のふたつを狙いに。両方を受けるために△3四飛と打ちました。
                                     
 さすがに後手だけ飛車を手放しては先手がうまく動いてリードしたということになるでしょう。第2図から後手が石田流のように組んだのはなかなかの構想だったと思いますが,先手の攻めが決まって終局となりました。
 里見名人が挑戦権獲得第3期に奪取して後に返上して以来,3期ぶりの五番勝負出場。第一局は来月26日です。

 ジャレットがいわんとすることを文脈上の文意から判断すれば誤りではないけれど,入門者がそれを一般的に解すれば誤解するかもしれないと思われる記述が『知の教科書 スピノザ』にはほかにも含まれています。僕が重要と思うところを抽出しておきます。
 第七章の最後でスピノザの感情論がデカルトの感情論と比較されています。その部分に,能動的な感情には適切な観念すなわち十全な観念から生じるものがあるとスピノザは主張しているという主旨の記述があります。これもそれ自体では誤りとはいえません。ですがこの記述ですと,混乱した観念から生じる能動的な感情もあるとスピノザが考えているという解釈の余地を残します。しかしそのようなことはありません。能動的な感情は十全な観念からしか生じません。第三部定理一からして,人間の精神は十全な観念を有する限りで能動的です。感情affectusは第三部定義三から物体とも思惟の様態cogitandi modiとも解することができる特殊なものですが,それを思惟の様態としてみる限り,第二部公理三から観念ideaがなければ感情もないということになるので,能動的な感情も十全な観念を有する限りである人間の精神のうちに発生するということになります。
 第八章で善悪の認識について説明されるとき,第四部定理五二が援用され,自己満足acquiescentia in se ipsoが理性ratioから生じ得ることが示されます。ここでも自己満足に自尊心という訳が与えられていて,これは不親切であるというべきでしょう。第三部諸感情の定義三〇には名誉gloriaという感情があって,自尊心と訳されると自己満足よりも名誉と解されるおそれもあると僕は思います。
 さらにここは訳し方だけの問題ではありません。ジャレットの記述だと,この自己満足が十全な観念にのみ依存する,すなわち十全な観念からのみ自己満足が生じると解せるようになっています。ですがそれは誤りです。自己満足は理性から生じる場合もありますが,受動的なものもあります。第三部諸感情の定義二八の高慢は自己満足の一種と解せることからこれは明白でしょう。この部分のジャレットの記述は,それを肯定してみたり否定してみたりとはなはだしく混乱しているように僕には感じられました。

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