スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山グランプリ&素朴な疑問

2014-01-14 19:10:03 | 競輪
 西日本地区でも2014年の記念競輪が開幕しました。和歌山記念の決勝。並びは池田-牛山-飯嶋の関東,田中-林-福田の南関東,稲垣-村上の京都で新田は単騎。
 飯嶋がSを取ったので池田の前受け。4番手に稲垣,6番手に田中,最後尾から新田の周回に。残り2周のホームから新田まで引き連れて田中が上昇。池田を叩いてバックでは前に。これを外から稲垣が叩いて打鐘。新田が京都勢に続こうとしましたが,田中が阻んで3番手に田中。その田中はバックから発進しましたが,稲垣は掛かっていたようで村上の横で併走状態に。コーナーで村上が大きく牽制し,さらに外を捲ろうとした新田まで失速。この牽制で開いたコースに突っ込んだのが林で,直線では稲垣を捕えて優勝。林と同じコースを通った飯嶋が4分の3車輪差の2着。逃げ粘った稲垣が1車身差で3着。
 優勝した神奈川の林雄一選手は記念競輪初優勝。初日の特選が新田マークのレースに離れたものの直線だけで追い込んで1着。このレースを見て調子の良さを感じていました。コースががら空きになった利はありましたが,その好調さを生かしての優勝であったとはいえるでしょう。35歳でこれ以上の上積みがあるのかは疑問ですが,段々と力をつけてここまで来たというタイプの選手ですから,ことによるともうひとつ化ける可能性もあり得るのではないかと思います。

 強い意味が公理的性格を有するのかということについての最初の疑問は,最も素朴な形態をしています。それは,自然のうちにあるひとつの因果関係を視野に入れたときに,この関係が必然的であるといえる根拠を問うものです。
 現実的にいえば,自然のうちに何らかの因果関係が存在するということ自体が,それだけで自明であるとはいえません。ですから本当は,確かにそのようにみなすことが可能な関係が自然のうちに実在するということを,実在的な意味において確認しておく必要があるといえます。ただしここではその証明は省略します。今は第一部公理三が公理として成立するということを明らかにしようとしているのではなくて,むしろそれは公理としては成立しないのではないかという立場から議論を進めようとしていますから,この部分については省略してしまっても問題がないからです。
 再び,Aが十全な原因となってBという結果を発生させるという,最も素朴な因果関係を例材として採用しましょう。ただしここでは,この関係は名目的なものではなくて,自然のうちに実在しているものと仮定します。
 このことのうちには,Aという原因からBという結果が与えられたということは含まれていますが,それが必然的であったということが含まれているとは僕には思えません。たとえば,Aという原因からはBという結果とCという結果のふたつの結果のうちのどちらかだけが発生する可能性があって,今はそこからBという結果の方が発生したというように理解することが,明らかに可能であると考えられるからです。そしてこの場合,AからBが発生したということは,何ら必然的なものではなく,むしろ偶然のものであったと判断することができます。
 最も素朴な事例でさえ,このような理解を排除する要素は,その因果関係そのもののうちにあるとはいえません。あるいはその因果関係を十全に把握する知性のうちにあるとはいえません。それなのになぜ,一定の原因からは一定の結果だけが必然的に発生するといえるのでしょうか。

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