スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑭-7&強力な排他的思想

2018-02-10 18:54:05 | ポカと妙手etc
 ⑭-6のような罠が仕掛けられていることを見破った後手は,⑭-5の第2図から☖6五飛と王手を掛けました。
                                     
 先手はこの手は見落としていたそうです。ですから⑭-4の第1図では☗4四香としておくのが優りましたし,⑭-5の第2図で☗8八金と打った局面でも☗4四龍~☗3二金と進めた方が本当はよかったという結論になるでしょう。実際には第1図も先手が勝っているのですが,安全な橋があったのに最も危険な橋を渡り切るような形になりました。
 ☖6五飛は王手ですが,真の狙いは飛車を5段目に利かせて後手玉の詰めろを消すことです。ただ王手ですからこれは☗6六歩と受ける一手。さらに詰めろを消した後手がそこで☖8八馬と金を取った手に対しても,後手玉が詰まない以上は先手は☗6五歩と飛車を取る一手です。見落としがあったのですが,必然の手順に進めなければならなくなっていたことは,逆に先手には幸いしたかもしれません。
                                     
 後手は一時的に詰めろを解消して金を取って馬を先手玉に近付けましたが,その代償に飛車を先手に渡しました。こうなれば後手は受けることはできません。よって第2図は先手玉が詰めば後手の勝ち,詰まなければ先手の勝ちという分かりやすい局面になっています。AbemaTVの解説では一目は詰みと言われていたのですが,実際には詰まないので先手の勝ちです。ただ,最後のところで,別の観点から印象的な出来事がありましたので,終局付近まで進めることにします。

 自分が希望spesという感情affectusを抱いている事柄に対して,それは必然的にnecessario偽であるのに真verumだと妄信するとき,その事柄が対人間,個人であろうと集団であろうと対人間の場合に生じると,その個人や人間集団に対する強力な排他的思想になりやすいことは,それ自体で明らかでしょう。なぜならその人は,単にその個人あるいは人間集団が,自分の希望を破壊する,あるいはその希望によって消し去った不安metusを蘇らせるという意味での悪malumと判断しているだけでなく,その個人あるいは集団が,偽であると認識していることになるからです。一般的にいっても,ある人を偽であると判断すれば,その人を信用することは困難です。嘘つきと思っている人の言っていることを信じよといっても,それが容易でないことは,経験的にも理解できると思いますし,またそうした経験がないとしても,それが困難なことであるということは理解できるでしょう。したがってそこでは人間の融和は発生せず,分断だけが発生することになります。
 とはいっても,その人がひとりでそのように妄信しているだけなら,確かにその人はある個人や集団に強力な排他的思想を有し,そうした個人や集団を敵視するでしょうが,一定の数の市民Civesのうちでその人だけがそういう思想を有するだけですから,そこまで大きな問題とはなりません。市民の間ではその排他的思想が誤りであるという認識cognitioが共有されているからです。ところが不安と希望は表裏一体の感情であるがゆえに,他人の不安をそれと相反する希望によって打ち消すような操作をすることは不可能なことではありません。第四部定理六三備考でスピノザがいっているのは,まさにそういう操作をする人間が迷信家であるということです。また,すでに示したような,他人の不安につけこむ詐欺行為が成立するのは,実際にそのような操作をすることが可能であるからです。
 さらに,恐怖metusというのはあくまでも個別的なものではありますが,異なった人間が同一の対象に対して同じような不安を抱くということはあり得ます。そこでそれらの人びとが同じように自身の希望を真と妄信すれば,排他的思想はそれだけ大きな力を有することになります。

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