スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&K伯母

2011-07-13 19:35:52 | 将棋
 真珠の養殖で名高い三重県志摩市での開幕となった第52期王位戦七番勝負第一局。公式戦での対局は昨年度の王位戦挑戦者決定戦以来2局目。
 振駒で羽生善治二冠の先手。個人的には意外な相振飛車。先手が金無双,後手の広瀬章人王位は美濃囲い。先に攻撃態勢を整えていた後手が先手玉頭方面から仕掛ける形で全面的な中盤の戦いに突入。観戦は終盤に入り,クライマックスのあたりから。
                         
 △4八成桂は最も平凡で手堅い手。これでよいなら一番いいと思えます。▲6三桂の王手は検討の間もなく指されましたが,こう指すと局面が決定的になりますから,どちらが勝つにしても終局は近いと思いました。△同金▲同歩成ないしは▲7ニ歩△8一王▲6三歩成となれば後手玉は受けが効かないでしょうから,それが嫌なら単に△8一王ですが実戦は△6三同金。要するに受けなしになっても先手玉を詰まして勝ちという意味の一手。実際にその形は詰むことを確認。ただし実戦は▲7ニ歩△8一王に▲6七金と受けました。後手玉に有効な王手が掛からない形なので,手数の状況は変化ありませんが,後手は金は渡せないという局面になったので,粘り方としてはこれが最善ということなのかもしれません。そこで△5八成桂は中心に検討していた手。取るのは△4九銀~△5九馬とし,8六の飛車を取れば後手が勝つという結論。実戦は▲7九玉と逃げ,すぐに△5九馬。この手は詰めろになっています。よって▲6三歩成とはできないので△8二歩の王手。△同銀▲同成桂△同王▲8四飛(第2図)と王手で逃げるところまでは一本道。
                         
 歩合い,銀合いの順で検討していましたが△8三桂でした。ここまでくればさすがに▲6三歩成しかありません。これで先手玉に詰みがあるかどうかの勝負。△6九馬▲8八玉は一直線。△8七銀と上から王手。▲同飛△同馬▲同玉も一直線。ここまで進んでようやく第2図で桂合いをした意味を把握。△8六歩。このとき▲7五玉と逃げられなくなっているので▲同玉。△9四桂も考えていましたが△8五歩の方でした。実はこれは▲9七玉で詰まないのではないかと思っていたのですが,△7七桂打という手があって詰みだったよう。ということで▲7六玉でした。ここで検討やり直し。△7九飛で▲7七銀打(第3図)は仕方ありません。
                         
 △7五金と打っていく手から考えましたがこれは詰まないよう。△7五歩でした。▲同銀は仕方なく,△7七桂成に▲同金も仕方ありません。そこで△8四桂がかっこいい決め手。どう応じても詰みですので先手の投了となりました。かなりきわどかったですが,第1図で後手の一手勝ちだったようです。
 広瀬王位の先勝。第二局は26日と27日です。

 僕たちとともに父の最期を看取った中に,僕の父からみて最も下の姉がいました。僕からみると伯母にあたるわけですが,父には5人も姉がいて,なにぶんにも伯母は何人もいますから,ここではK伯母ということにします。
 K伯母は一時期,僕が小学生から高校生の頃にかけてですが,僕の家のごく近所の借家に住んでいたことがありました。夫は配管工で,夫婦に子どもはなく,ふたり暮らし。近くということもあり,しょっちゅう行き来をしていました。僕の将棋キャリアの初めの頃は,この夫,つまり伯父ですが,この伯父ともよく指しました。先手後手とか,相手の戦法とかは関係なしに中飛車にして美濃囲い一辺倒。僕も当時は初心者ですからそんなことを理解するだけの力はありませんでしたが,今から考えると猛烈な攻め将棋でした。
 また,夫婦に子どもがなかったこともあるでしょうが,この伯父は僕の妹をとてもかわいがってくれました。妹は基本的に平和主義者であり,だれが好き,だれが嫌いというような感情は,少なくとも僕たちほどは強くないように思えるのですが,それでもこの伯父には非常によく懐きまして,週末などには泊まりにいくということもしばしばでした。
 その後,夫婦は市営住宅への入居に応募。これに当せんしまして,戸塚区,といってもこれはむしろ泉区に近い方の,横浜市内でいえばやや辺鄙なところですが,そちらへ引っ越し。このためにそれまでのような頻繁な付き合いというのはできなくなりましたが,それでも一緒に旅行に行ったりすることはありました。
 しばらく経って伯父は体調を崩して入院。これはみなと赤十字病院に移転する前の日赤病院,つまり僕の家から歩いていかれる病院に入院しました。経過は良好で,順調に回復したのですが,翌日には退院という日の深夜になって急変。そのまま永久欠番となりました。不可思議な死に方で,病院では解剖をしたのですが,死因は心疾患。このときに入院していた病気とはまったく関係がないもので,文字通りの突然死であったわけです。ふたりの間に子どもがなかったことが関係して,この後の埋葬に関して一悶着が起きてしまったのですが,これはすでに解決済みですし,あまり関係がないので割愛します。

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