スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サウジカップデー&真理の規範

2024-02-25 19:13:58 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜から今日の未明にかけてサウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われたサウジカップデーの諸競走
 サウジダービーGⅢダート1600m。セットアップは3頭が併走した先行集団の真中から3コーナーを回って先頭に。フォーエバーヤングは7番手の外でサトノフェニックスはその後ろから。途中から外を捲ったフォーエバーヤングが,直線もかなり外を回って,抜け出していた馬をぎりぎりで差し切って優勝。サトノフェニックスは10着でセットアップは11着。
                                        
 優勝したフォーエバーヤング全日本2歳優駿以来のレース。デビューから4連勝で重賞3勝目。父はリアルスティール。3代母がローミンレイチェルでその産駒にゼンノロブロイ。日本馬による海外重賞制覇はゴールデンイーグル以来。格付けのある海外重賞はコリアカップ以来。騎乗した坂井瑠星騎手は昨年の1351ターフスプリント以来の海外重賞3勝目。管理している矢作芳人調教師は昨年のサウジカップ以来の海外重賞13勝目。
 リヤドダートスプリントGⅢダート1200m。ジャスパークローネが2番手,リメイクが7~8番手の内。発馬で立ち上がったケイアイドリーは最後尾を追走。直線に入ってから外に出されたリメイクが,前をいく各馬を差し切って優勝。ジャスパークローネが4着でケイアイドリーは6着。
                                        
 優勝したリメイクはコリアスプリント以来の勝利で重賞4勝目。父は2016年のUAEダービーを勝ったラニでその母がヘヴンリーロマンス。母の父はキングカメハメハ。騎乗した川田将雅騎手はコリアカップ以来の海外重賞6勝目。管理している新谷功一調教師はコリアカップ以来の海外重賞4勝目。
 1351ターフスプリントGⅡ芝1351m。ウイングレイテストが4番手,アグリが6番手,ララクリスティーヌがその後ろで発走後に挟まれてしまったバスラットレオンは最後尾。直線で外から追い込んだララクリスティーヌが2着,一端は先頭に立ったウイングレイテストが4着,アグリが6着でバスラットレオンは10着。
 ネオムターフカップGⅡ芝2100m。キラーアビリティは5番手の内,スタッドリーが後方2番手でハーツコンチェルトが最後尾。内の苦しい位置にいたキラーアビリティが直線で少し外に出されて2着。スタッドリーは9着でハーツコンチェルトは11着。
 レッドシーターフハンデキャップGⅢ芝3000m。発馬後に押していったリビアングラスの逃げ。エヒトは2番手の内でしたが,4番手のアイアンバローズが道中で動いて単独の2番手に。ブレークアップは7番手の外。直線でアイアンバローズの外に出てきたエヒトが5着。ブレークアップは9着。直線入口では先頭を守っていたリビアングラスは10着でアイアンバローズは12着。
 サウジカップGⅠダート1800m。このレースは先行各馬が横にずらりと広がってレースは繰り広げられました。日本馬の中ではレモンポップが最も前にいてクラウンプライド,デルマソトガケの順。馬群から大きく離れた2頭のうちの1頭がウシュバテソーロ。徐々に前との差を詰めていったウシュバテソーロは直線では外目から前にいたすべての馬を差し切ったのですが,並んで最後尾にいて後から動いた馬にはぎりぎりで差し切られて2着。デルマソトガケが5着。クラウンプライドが9着でレモンポップは12着。

 もしXの十全な観念idea adaequataがAの精神mensのうちにない場合には,AはXについて確実ではありません。しかしこのことだけでは,Aは自身がXについて確実ではないということを知ることができません。スピノザの哲学では真理veritasと虚偽falsitasの相違を知性intellectusに教えるのが十全な観念で,混乱した観念idea inadaequataはその役には立たないことになっているからです。ではAがXについて確実ではないということを知るためには,Xの十全な観念を有する必要があるというのかといえば,必ずしもそうではないのです。というか,もしもこの条件の下でしか,AがXについて確実でないということを知ることができないとすれば,十全な観念を有する限りでは確実なのですから,AはXについて確実である場合しか確実でないということになり,これは不条理であるとしかいえません。
 十全な観念が真理と虚偽を分かつ指標となるということは,スピノザの哲学では一般的にいえることです。したがって,仮にAの知性のうちにXの十全な観念がないとしても,別の十全な観念,たとえばYの十全な観念があるのであれば,AはXについて確実ではないということを知ることができるのです。それは,この場合でいえば,AはYについての確実性certitudoを有するようにはXについて確実性を有していないということを知ることができるからです。いい換えれば,AはYについて疑い得ないようにXについて疑い得ないわけではないということを知ることができるからです。したがって,もしも現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに,何らかの十全な観念があるのであるとすれば,その人間は,混乱した観念についてはそれが確実性を有していないということを知ることができるのです。つまりもっと一般的にいえば,現実的に存在する人間の精神のうちに何らかの真理があるのなら,その人間は一般的にすべての真理と虚偽を分かつことができます。スピノザの哲学では真理の規範は真理それ自身であるといわれていますが,これはこのような意味での一般性をもっていると解さなければならないと僕は考えています。
 実はこの条件というのは,スピノザの哲学では,現実的に存在するすべての人間に充足されています。

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