5日の第34回かしわ記念。
ショウナンナデシコの逃げになり2番手にテイエムサウスダン。3番手のソリストサンダーとカジノフォンテンまでが先行集団。3馬身差でタイムフライヤー。6番手にエアスピネル。3馬身差でサンライズノヴァ。4馬身差でギャルダルとインティ。7馬身差でナラ。大きく離れてユアマイラブ。大きく離れてマイネルヘルツアス。また離れてグレートコマンダー。さらに離れてサンライズサーカスという隊列。前半の800mは48秒6のミドルペース。
3コーナーからショウナンナデシコとテイエムサウスダンは雁行。その後ろのソリストサンダーとカジノフォンテンも併走で続きました。手応えはテイエムサウスダンがよく見えたのですが,直線では一杯になり,再び突き放したショウナンナデシコが鋭く逃げ切って優勝。直線でテイエムサウスダンの外に出したソリストサンダーが1馬身差で2着。一杯になったテイエムサウスダンが3馬身差で3着。カジノフォンテンも4馬身差の4着で,典型的なインを回った馬が有利な前残りの決着となりました。
優勝したショウナンナデシコはマリーンカップに続いての勝利。重賞3連勝で大レースは初制覇。重賞連勝中といっても牝馬限定戦でしたから,格は下。ただ格上の馬は近況はこの馬ほどではなかったので,勝つチャンスもあるだろうとみていました。いきなり牡馬相手の大レースに出走して勝ったということは評価しなければなりませんが,1番枠から逃げることができたというのは大きな勝因となっているでしょうから,たとえば次に帝王賞に出走して,同じように互角に走れるかというと,必ずしもそうはいえないところもあるのではないかと思います。父はオルフェーヴル。母の父はダイワメジャー。従兄に2017年のシンザン記念を勝っている現役のキョウヘイ。
騎乗した吉田隼人騎手は大阪杯以来の大レース6勝目。かしわ記念は初勝利。管理している須貝尚介調教師は昨年の桜花賞以来の大レース15勝目。かしわ記念は初勝利。
良心の呵責conscientiae morsusは,それをどう解するとしても,スピノザによって,少なくとも部分的には推奨されるでしょう。これがこの考察の結論ですが,関連した補足をしておきます。
第三部諸感情の定義一七の感情affectusは,第三部諸感情の定義一六の歓喜gaudiumの反対感情です。そしてニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは,スピノザが歓喜と良心の呵責を反対感情として規定していることをおそらく重視しています。そのために,ここでは良心の呵責をどう解するとしても,つまり第三部諸感情の定義一七に定義されている通りに解するとしても,あるいは後悔poenitentiaの類似感情として解するとしても,または僕が定義したような仕方で解したとしても,それは歓喜の反対感情であるということを前提としました。そして,良心の呵責はどのように解するにしても,スピノザはそれを部分的には推奨するのですから,その反対感情となる歓喜については,たとえそれが喜びlaetitiaであったとしても,スピノザが全面的に推奨することはありません。
まず,第三部諸感情の定義一六の感情について,スピノザがそれを全面的に推奨することはないということは,この定義Definitioから明白です。というのも,この感情は喜びなので,人間の現実的本性actualis essentiaには反しません。なのでこの観点からは歓喜が否定されることはありません。このことは,歓喜をこの定義から外れた感情,つまり良心の呵責を第三部諸感情の定義一七とは異なった感情と解したときの反対感情としてみた場合も同様です。どのように解するとしても良心の呵責は悲しみなのですから,その反対感情である歓喜は,悲しみの反対感情である喜びでなければならないからです。しかしこの定義は同時に,この感情が観念ideaとしてみた場合は混乱した観念idea inadaequataである場合もあるということを排除していません。そしてその場合には,道徳的な観点から否定されることになるのです。実際に僕たちは,何らかの誤った情報によって歓喜する,第三部諸感情の定義一六の意味で歓喜するということがあるのであって,その場合には混乱した観念によって歓喜していることは明白です。だから歓喜が喜びであるという理由で,それが全面的に推奨されるということはないのです。むしろ部分的に否定されます。
ショウナンナデシコの逃げになり2番手にテイエムサウスダン。3番手のソリストサンダーとカジノフォンテンまでが先行集団。3馬身差でタイムフライヤー。6番手にエアスピネル。3馬身差でサンライズノヴァ。4馬身差でギャルダルとインティ。7馬身差でナラ。大きく離れてユアマイラブ。大きく離れてマイネルヘルツアス。また離れてグレートコマンダー。さらに離れてサンライズサーカスという隊列。前半の800mは48秒6のミドルペース。
3コーナーからショウナンナデシコとテイエムサウスダンは雁行。その後ろのソリストサンダーとカジノフォンテンも併走で続きました。手応えはテイエムサウスダンがよく見えたのですが,直線では一杯になり,再び突き放したショウナンナデシコが鋭く逃げ切って優勝。直線でテイエムサウスダンの外に出したソリストサンダーが1馬身差で2着。一杯になったテイエムサウスダンが3馬身差で3着。カジノフォンテンも4馬身差の4着で,典型的なインを回った馬が有利な前残りの決着となりました。
優勝したショウナンナデシコはマリーンカップに続いての勝利。重賞3連勝で大レースは初制覇。重賞連勝中といっても牝馬限定戦でしたから,格は下。ただ格上の馬は近況はこの馬ほどではなかったので,勝つチャンスもあるだろうとみていました。いきなり牡馬相手の大レースに出走して勝ったということは評価しなければなりませんが,1番枠から逃げることができたというのは大きな勝因となっているでしょうから,たとえば次に帝王賞に出走して,同じように互角に走れるかというと,必ずしもそうはいえないところもあるのではないかと思います。父はオルフェーヴル。母の父はダイワメジャー。従兄に2017年のシンザン記念を勝っている現役のキョウヘイ。
騎乗した吉田隼人騎手は大阪杯以来の大レース6勝目。かしわ記念は初勝利。管理している須貝尚介調教師は昨年の桜花賞以来の大レース15勝目。かしわ記念は初勝利。
良心の呵責conscientiae morsusは,それをどう解するとしても,スピノザによって,少なくとも部分的には推奨されるでしょう。これがこの考察の結論ですが,関連した補足をしておきます。
第三部諸感情の定義一七の感情affectusは,第三部諸感情の定義一六の歓喜gaudiumの反対感情です。そしてニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは,スピノザが歓喜と良心の呵責を反対感情として規定していることをおそらく重視しています。そのために,ここでは良心の呵責をどう解するとしても,つまり第三部諸感情の定義一七に定義されている通りに解するとしても,あるいは後悔poenitentiaの類似感情として解するとしても,または僕が定義したような仕方で解したとしても,それは歓喜の反対感情であるということを前提としました。そして,良心の呵責はどのように解するにしても,スピノザはそれを部分的には推奨するのですから,その反対感情となる歓喜については,たとえそれが喜びlaetitiaであったとしても,スピノザが全面的に推奨することはありません。
まず,第三部諸感情の定義一六の感情について,スピノザがそれを全面的に推奨することはないということは,この定義Definitioから明白です。というのも,この感情は喜びなので,人間の現実的本性actualis essentiaには反しません。なのでこの観点からは歓喜が否定されることはありません。このことは,歓喜をこの定義から外れた感情,つまり良心の呵責を第三部諸感情の定義一七とは異なった感情と解したときの反対感情としてみた場合も同様です。どのように解するとしても良心の呵責は悲しみなのですから,その反対感情である歓喜は,悲しみの反対感情である喜びでなければならないからです。しかしこの定義は同時に,この感情が観念ideaとしてみた場合は混乱した観念idea inadaequataである場合もあるということを排除していません。そしてその場合には,道徳的な観点から否定されることになるのです。実際に僕たちは,何らかの誤った情報によって歓喜する,第三部諸感情の定義一六の意味で歓喜するということがあるのであって,その場合には混乱した観念によって歓喜していることは明白です。だから歓喜が喜びであるという理由で,それが全面的に推奨されるということはないのです。むしろ部分的に否定されます。