スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&母数

2022-05-16 19:11:29 | 将棋
 14日に遊行寺で指された第5期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 里見香奈女流四冠の先手で中飛車。後手の西山朋佳女王の三間飛車で相振飛車。この将棋は後手が玉の囲いに工夫をしたところ,先手が咎めに出て,それがうまくいった将棋でした。
                                        
 第1図で後手は☖3四飛と浮きました。これは☗2六歩☖同歩☗同飛に☖2四歩と受けるためだったと思います。ただそこから☗7九角☖4五歩☗2五歩と合わされると,後手は角が負担になってしまいました。
                                        
 この展開は後手にとってまずかったので,第1図では☖1四歩~☖1三角と上がるか,単に☖3三角と上がるかして,2二に飛車を回る余地を作るべきだったと思われます。工夫を凝らすにしては後手の準備が足りていなかったという印象です。
 里見四冠が勝って2勝1敗。第四局は30日に指される予定です。

 僕たちは,自分が悲しみtristitiaを与えたと表象するimaginariことは稀で,自分が喜びlaetitiaを与えたというように表象することはしばしば生じます。良心の呵責conscientiae morsusは自分が悲しみを与えたないしは悲しみを与えるであろうという表象像imagoがそれを感じるための必要条件であり,その反対感情である歓喜gaudiumは,自分が喜びを与えたないしは喜びを与えるであろうという表象像がそれを感じるための前提条件です。したがって,僕たちは良心の呵責を感じることは稀であり,歓喜はしばしば感じる,あるいはしばしばではないとしても,良心の呵責を感じるよりは多く感じるのです。
 良心の呵責は他人の悲しみが自分の悲しみに結び付く感情affectusであり,歓喜は他人の喜びが自分の喜びと結びつく感情です。この観点からは,良心の呵責も歓喜も原則的に推奨される感情です。いい換えれば人を敬虔pietasにさせるような感情です。しかしこれはあくまでも原則であって,僕が示した例のように,その原則からは外れる良心の呵責もありますし歓喜もあります。どのような場合に例外とされるのか,いい換えればどのような場合に良心の呵責や歓喜が人を敬虔から遠ざけてしまうのかということは,個々の良心の呵責あるいは歓喜を吟味するほかありません。そもそも第三部定理五六により,Aに対する良心の呵責とBに対する良心の呵責は,同じように良心の呵責であったとしても別の感情であると考えなければなりませんし,同様にXに対する歓喜とYに対する歓喜は同じ歓喜であっても別の感情であると考えなければなりません。ですから,どの良心の呵責が,またどの歓喜が,推奨されないのかということは,本来は個別に考えなければならないのです。僕が例を出したのは,原則外の推奨されない良心の呵責や歓喜があるということを示すためだったのです。
 それでも,良心の呵責と歓喜では,母数は異なるのですから,原則的には推奨されるとか,推奨されない例外があるということについては,良心の呵責と歓喜とで,完全に同じような意味で解するのは避けておく方が安全です。当然ながら母数が多い方が,例外もまた多く生じるからです。同じ割合で例外が生じるなら,母数が多い方が例外も多くなるでしょう。
コメント
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