スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヴィクトリアマイル&頻度

2022-05-15 19:29:56 | 中央競馬
 第17回ヴィクトリアマイル
 ソダシとレシステンシアがまず前に出ましたが,押して外から追い抜いていったローザノワールの逃げに。2番手にレシステンシアで3番手にソダシという並びに落ち着きました。4番手にレイパパレ。5番手にディヴィーナとクリノプレミアム。7番手にデアリングタクトとファインルージュ。9番手にソングライン。10番手にミスニューヨークとアンドヴァラナウト。2馬身差でマジックキャッスルとデゼル。14番手にアカイイト。2馬身差でメイショウミモザとアブレイズとシャドウディーヴァ。1馬身半差の最後尾にテルツェットという隊列。前半の800mは46秒3のスローペース。
 直線の入口でローザノワールのリードは3馬身ほど。2番手がレシステンシアで3番手は外のレイパパレに。ソダシはローザノワールとレシステンシアの間に進路を取りました。離しての逃げでしたがペースはスローだったのでローザノワールはかなり頑張りましたが,ソダシの末脚が強烈。単独の2番手に上がるとローザノワールも差し,そのまま突き抜けて優勝。逃げ粘ったローザノワール,ローザノワールとレシステンシアの間に突っ込んできたソングライン,レシステンシア,レシステンシアのすぐ外から迫ったファインルージュの4頭がほぼ横に並んでフィニッシュ。2馬身差の2着は一番外のファインルージュ。レシステンシアがクビ差で3着。ローザノワールがハナ差の4着でソングラインがハナ差で5着。
 優勝したソダシは札幌記念以来の勝利。大レースは昨年の桜花賞以来となる3勝目。この馬は秋華賞で負けてからダート路線へ。チャンピオンズカップは大敗でしたがフェブラリーステークスは3着と頑張りました。この結果から,ターンが1回の1600m戦がよいだろうという判断の下,ここに参戦。芝に戻ることはまったく不安はありませんでした。その陣営の判断が的確であったということになるでしょう。適性が判明しましたので,これからのレース選択も楽になってくるのではないかと思います。父はクロフネ。母の父はキングカメハメハ。3代母がウェイブウインド。母の7つ上の半姉に2010年のNARグランプリの最優秀牝馬に選出されたユキチャン。馬名はサンスクリット語で純粋。
                                        
 騎乗した吉田隼人騎手はかしわ記念以来の大レース7勝目。ヴィクトリアマイルは初勝利。管理している須貝尚介調教師はかしわ記念以来の大レース16勝目。第12回以来5年ぶりのヴィクトリアマイル2勝目。

 僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusとその反対感情としての歓喜gaudiumについては,もうひとつだけいっておきたいことがあります。
 スピノザは第三部定理四〇で,自分が憎まれる原因causaがないと表象しているのにある人から憎まれていると表象したら,その人のことを憎み返すといっています。次の第三部定理四一では,自分には愛される原因がないと表象しているのにある人から愛されていると表象した場合には,その人のことを愛し返すといっています。一方,もしも自分が憎まれる原因を与えていると表象している場合は,自分を憎んでいると表象している人のことを憎み返すのではなく,第三部諸感情の定義三一にある恥辱pudorを感じることになります。同様にもし自分が愛される原因を与えていると表象している場合には,自分のことを愛していると表象している人のことを愛し返すのではなく,第三部諸感情の定義三〇にある名誉gloriaを感じることになります。
 このときにスピノザは,憎み返しと名誉はしばしば生じる感情affectusであって,愛し返しと恥辱は稀にしか生じない感情であるといっています。なぜそうであるのかというと,僕たちは自分が愛される原因を与えているということはしばしば表象するimaginariのに対して,自分が憎まれる原因を与えているということは稀にしか表象しないからです。よって,愛される原因を与えていない人から愛されているという表象imaginatioは,愛される原因を与えている人から愛されているという表象ほどには多く生じることがありません。同じように,憎まれる原因を与えていない人から憎まれているという表象は,憎まれる原因を与えている人から憎まれているという表象よりもずっと多く生じることになるのです。よって愛し返しは名誉ほど多くは生じませんし,憎み返しは恥辱よりも頻繁に生じることになるのです。
 このことは,僕が定義した良心の呵責とその反対感情としての歓喜とも関係します。というのは,憎まれる原因を与えるとか愛される原因を与えるというのは,感情としてみれば,何らかの悲しみtristitiaを与えたとか何らかの喜びlaetitiaを与えたといっているのと同じことだからです。そして良心の呵責と歓喜は,与えた喜びおよび悲しみと関係しています。
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