一昨日の皐月賞を勝ったゴールドシップの基礎輸入繁殖牝馬は,1924年にアメリカで産まれた星旗。明治から続く日本古来の血統のひとつで,小岩井農場とともに日本競馬の発展に寄与した宮内省下総牧場の輸入で,ファミリーナンバーは16‐h。星旗はもちろん輸入後につけられた和名で,英名はFairy Maidenです。直訳すれば妖精少女といったところでしょうか。
歴史が長いですから活躍馬は多数あり,現在もいくつかの分枝が残っています。日本競馬史の中で有名な馬といえばまずは星旗直仔で第8回の日本ダービーに優勝,種牡馬として13頭もの大レース勝ち馬を出し,殿堂入りを果たしたクモハタ。ダービーの前に蹄の病気を起こし,戦後には伝染病に罹患し,殺処分されてしまった馬です。
そしてもう1頭,星旗の曾孫で第23回の日本ダービーを優勝したのがハクチカラ。その翌年に秋の天皇賞と有馬記念を連覇し年度代表馬に選出されるとその翌年夏からアメリカ遠征を敢行。ずっと現地に滞在し続け,11戦目となるワシントンバースデイステークスを優勝。これが記念すべき日本馬による史上初の海外重賞制覇でした。この馬も殿堂入りを果たしています。
実は大レースの勝ち馬は僕が産まれた翌年の菊花賞を勝ったニホンピロムーテーを最後に途絶えていました。よってゴールドシップの皐月賞は,実に41年ぶりのこの一族による大レース制覇。ただし活力が完全に衰えていたというわけではなく,たとえば一昨年の目黒記念を勝っている現役のコパノジングーもこの一族を祖に持つ馬です。
今回の考察における第一部定理二四系証明や第一部定理三六別の証明のように,事物の実在ないしは事物が自身の実在に固執する傾向conatusを力potentiaという観点から把握してみるということは,さらに『エチカ』のほかの部分,ひいてはスピノザの哲学の全体に関する理解という観点からも,多大な影響を及ぼしてくるであろうと僕は考えています。それは主だってはふたつの点に関係してきます。そこで,今回の考察の主旨からはやや逸れるかもしれませんが,僕の考え方をここで示しておきます。
スピノザの哲学は一般的に汎神論であると評されています。僕自身は必ずしもそうであるとは認識していないのですが,それはここではおいておきましょう。ところで,一般的に汎神論という考え方がどのようなイメージで把握されるだろうかということを考えてみれば,それはごく簡単に示すなら,万物には神Deusが宿っている,というようなものだろうと思います。第一部公理一の実在的意味というのは,自然Naturaのうちに実在し得るものは,神であるか,そうでなければ神のある属性attributumの変状affectioであるということでしたから,一般的な意味における汎神論のイメージに『エチカ』の哲学を合致させるならば,この点が該当するということになると思います。
しかし,実際に神のある属性の変状というのが何を意味するのかといえば,それは神の有する力を分有したものであるということです。そしてそうであるがゆえに,第一部定理三六で意味されていることは,ここから直ちに結論されてくるのです。つまり,スピノザの哲学における汎神論というのは,ただ単に万物には神が宿っているというように理解されるような,いわば静態的なあるシステムないしは組織に関わるような言及ではありません。むしろダイナミックな自然の生成に関わるような言及であると理解されなければならないわけです。以前にも説明したように,スピノザの哲学における神は,信仰fidesの対象ではなくむしろ認識cognitioの対象ですから,万物に神が宿るということを,森羅万象に対する信仰のようなものと考えることは大いなる誤りですが,ただ単に万物に神が宿っていると理解することも,同様に誤解であると僕は考えているのです。
歴史が長いですから活躍馬は多数あり,現在もいくつかの分枝が残っています。日本競馬史の中で有名な馬といえばまずは星旗直仔で第8回の日本ダービーに優勝,種牡馬として13頭もの大レース勝ち馬を出し,殿堂入りを果たしたクモハタ。ダービーの前に蹄の病気を起こし,戦後には伝染病に罹患し,殺処分されてしまった馬です。
そしてもう1頭,星旗の曾孫で第23回の日本ダービーを優勝したのがハクチカラ。その翌年に秋の天皇賞と有馬記念を連覇し年度代表馬に選出されるとその翌年夏からアメリカ遠征を敢行。ずっと現地に滞在し続け,11戦目となるワシントンバースデイステークスを優勝。これが記念すべき日本馬による史上初の海外重賞制覇でした。この馬も殿堂入りを果たしています。
実は大レースの勝ち馬は僕が産まれた翌年の菊花賞を勝ったニホンピロムーテーを最後に途絶えていました。よってゴールドシップの皐月賞は,実に41年ぶりのこの一族による大レース制覇。ただし活力が完全に衰えていたというわけではなく,たとえば一昨年の目黒記念を勝っている現役のコパノジングーもこの一族を祖に持つ馬です。
今回の考察における第一部定理二四系証明や第一部定理三六別の証明のように,事物の実在ないしは事物が自身の実在に固執する傾向conatusを力potentiaという観点から把握してみるということは,さらに『エチカ』のほかの部分,ひいてはスピノザの哲学の全体に関する理解という観点からも,多大な影響を及ぼしてくるであろうと僕は考えています。それは主だってはふたつの点に関係してきます。そこで,今回の考察の主旨からはやや逸れるかもしれませんが,僕の考え方をここで示しておきます。
スピノザの哲学は一般的に汎神論であると評されています。僕自身は必ずしもそうであるとは認識していないのですが,それはここではおいておきましょう。ところで,一般的に汎神論という考え方がどのようなイメージで把握されるだろうかということを考えてみれば,それはごく簡単に示すなら,万物には神Deusが宿っている,というようなものだろうと思います。第一部公理一の実在的意味というのは,自然Naturaのうちに実在し得るものは,神であるか,そうでなければ神のある属性attributumの変状affectioであるということでしたから,一般的な意味における汎神論のイメージに『エチカ』の哲学を合致させるならば,この点が該当するということになると思います。
しかし,実際に神のある属性の変状というのが何を意味するのかといえば,それは神の有する力を分有したものであるということです。そしてそうであるがゆえに,第一部定理三六で意味されていることは,ここから直ちに結論されてくるのです。つまり,スピノザの哲学における汎神論というのは,ただ単に万物には神が宿っているというように理解されるような,いわば静態的なあるシステムないしは組織に関わるような言及ではありません。むしろダイナミックな自然の生成に関わるような言及であると理解されなければならないわけです。以前にも説明したように,スピノザの哲学における神は,信仰fidesの対象ではなくむしろ認識cognitioの対象ですから,万物に神が宿るということを,森羅万象に対する信仰のようなものと考えることは大いなる誤りですが,ただ単に万物に神が宿っていると理解することも,同様に誤解であると僕は考えているのです。