スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&真理

2014-06-04 19:48:29 | 将棋
 塩田温泉で指された第25期女流王位戦五番勝負第四局。
 清水市代女流六段の先手で甲斐智美女流王位が横歩取りに誘導。しかし先手は横歩を取ることなく浮き飛車。後手は高飛車にし,先手に☗7七桂と跳ねさせておいて引き飛車。流れから先手のひねり飛車に。手順からすると後手が誘ったとも解釈できます。先手は左の金を7六に構えて抑え込みの狙い。後手は銀冠に組んで待ち受けました。先手は抑え込みに手順を掛けたので玉を堅く囲うことができず,このように組まれてしまった時点で作戦がうまくいかなかったのではないかと思えます。一応は先手から攻める形になりましたが,わりと早い段階で切れ模様になってしまい,終盤に入る前に大きな差がつきました。
                         
 ここで☖7六桂と打っていますが,なるほどこういう将棋はこのように勝ちにいくものなのでしょう。☗9五歩に☖5七歩と垂らしました。先手は☗7九角ですが,これはかなり辛そうな手。☖6二飛に☗1五歩と紛れを求めました。以下☖同歩☗5三成桂☖6一飛で☗8七飛ですが,これもかなり辛い手。☖6八桂成で打った桂馬が働くことになり,☗6二歩☖5一飛☗6八角☖7六金☗9七飛☖6七歩成。
                         
 と金を作るために桂馬を捨ててはいますが,それは5三の成桂を取ることで解消できます。つまりほとんど無条件に近い形でと金を作ったに等しく,また差が開いたといえるでしょう。この後も急ぐことなく着実に指した後手の快勝でした。
 3勝1敗で甲斐女流王位の防衛第21期,22期,24期に続き,2期連続4期目の女流王位です。

 どんな事物であれ,それが存在するならば,その存在existentiaを定立する本性essentiaがあります。そしてその本性は観念対象ideatumになり得ます。このとき,一般に事物の本性が永遠の真理veritasであるということに目を向ければ,何のことはありません,どんな事物にもある永遠性aeternitasが含まれるということになるのです。僕はそもそも永遠の相と持続の相という具合に,因果性を分類すること自体に懐疑的であると述べましたが,そのことの最大の理由はこの部分にあります。確かにある種の事物は持続duratioのうちに存在します。いい換えれば現実的に存在します。しかしそれが現実的に存在しているからといって,そのものは持続によってのみ説明が可能であるわけではありません。むしろ持続のうちに,現実的に存在しているその事物のうちに,永遠性が含まれているのです。
 ただし,ある有限知性,ここでも僕は人間の知性intellectusを念頭に置きますが,こうした知性が存在するとき,その知性は,事物を必然的にnecessario十全に認識するわけではありません。有限知性は,十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの両方によって組織されていると考えなければなりません。このとき,混乱した観念というのをそれ単独で注視した場合には,そこに永遠性が含まれるとはいうことはできません。これを主張することは,ある虚偽falsitasに永遠性が含まれるといっているのと同じことで,こんな不条理はないからです。
 どんな事物にも永遠性が含まれるといっても,それは真理として含まれているのであり,虚偽のうちに含まれるのではありません。逆にいえば虚偽は持続のうちにのみ成立します。人間の精神mens humanaにだけ注目するならこれは第二部定理一三から明らかです。虚偽を成立させるのは,つまりその一部が混乱した観念によって組織されるのは,現実的に存在する,つまり持続のうちに存在する人間の身体corpusをideatumとする観念,その身体を有する人間の精神であるからです。
 真理とは何かといえば,それは真の観念idea veraの総体のことです。つまり真理が永遠であるとは,真の観念は永遠であるということにほかなりません。第二部定理七系の意味からすれば,ここからもあらゆる事物に永遠性が含まれることが帰結します。
コメント
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