スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

船中の日記&第一部定理一二

2014-02-15 19:16:31 | 歌・小説
 夏目漱石は不定期に日記をつけていまして,それは残されています。船内での論争などがあった渡英中は日記を書いている時期でしたから,そこでの記述から僕が気になったものをいくつか抜き出しておきます。
                         
 まず僕にとって意外だったのは,この船に乗っていたのは漱石とその同行者を除けばほぼ外国人であったということ。よく考えてみればこれは当然のことなのですが,一定数の日本人がいるものだと僕は思い込んでいました。
 9月23日の日記に,宣教師が歌を歌いだして説教をしているという記述があります。日曜日なのでという書き出しなので,日曜に乗船していた宣教師がこうしたことをするのは恒例であったのでしょう。
 10月4日に甲板で読書をしていたら「夏目さん」と声を掛けられ,おそらく苗字だったからでしょう,驚いて見てみたら熊本時代に知り合ったノット夫人であったとあります。漱石は二等室,夫人は一等室にいて,漱石の方から訪ねて来ないので,声を掛けてきたと言われたようです。
 翌10月5日,一等室にノット夫人を訪ねました。この日は宗教関係の記述はなく,イギリスに到着した後の紹介状を頼んで自室に戻ったと記されています。
                         
 『漱石の道程』によれば,10月10日に漱石の聖書を夫人からもらったそうですが,この日の日記にその記述はありません。ただし10月15日の日記には,聖書の説明を聞くという記述があります。また,17日,これは船が最終目的地であったナポリに着く日のことですが,この日にも単に説明を聞くという記述があり,これもおそらく聖書の説明ということなのだと思います。
 再び『漱石の道程』によれば,船内での論争は10月11日にあったと思われ,これらの説明というのはそのことではないでしょう。また,11日の日記にはそれらしいことは書いてありません。さらにこの説明をだれから聞いたのかということも,日記だけでは不明。10日の夜にウィルソン教授と談話したとありますが,説明は昼に聞いたものと思われます。

 各々の属性の区別は実在的区別なので,数的に区別され得る属性は存在せず,各属性はそれ自体が唯一のもの,あるいは唯一性を有するものです。そうであるならそれら各々の属性に必然性があるのだとしても,その必然性も唯一性をもつと理解しなければなりません。これだけでも十分ではありますが,さらに先に歩を進めることもできます。
 スピノザは第一部定理一二で次のようにいっています。
 「ある実体をその属性のゆえに分割可能であるとするような考え方は,実体のいかなる属性についてもあてはまらない」。
 この定理は名目的な定理と考える余地があります。『エチカ』の全体の中においては,神が分割され得ないということを証明するための準備段階という意味合いがあるからです。しかし今はそのことは考えなくてよいです。
 AとBが属性によって区別されるならば,それは実在的区別です。一方,Xは分割することが可能であるというのは,たとえばそれがふたつ,みっつ,よっつという具合に,数的に分けられるということを意味します。したがってこの定理のうちには,仮にAとBとが実在的に区別され得たとしても,そのことによって数的に区別はされ得ないということが含まれると僕は考えます。さらにいうならこの定理は,数的には区別され得ないものとして,実体を例示しています。つまり実体が数的に区別され得ないということが意味として含まれていると理解できるのです。
 このことから次のことが帰結します。神は第一部定義六により実体です。したがってそれは数的に区別され得るようなものではありません。しかも神には無限に多くの属性が属するので,神と実在的に区別され得る実体もやはり存在しません。第一部定理五により,同一の属性を有する複数の,というのは唯一ではない,実体は存在し得ないからです。したがって各属性に必然性が属していたとしても,それは神という唯一の実体の必然性にほかなりません。よってこの必然性とは,数的にはもちろん,実在的にすら区別可能な別の必然性は存在し得ないということになるでしょう。
コメント
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