スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

馬場とハンセン&制限

2014-02-01 20:07:49 | NOAH
 夢のカードでは馬場と不沈艦が組んでいました。このタッグの結成には,ちょっとした事情がありました。
                         
 全日本プロレスの年末は最強タッグ決定リーグ戦。馬場もパートナーを変えながらずっと出場し続けていたのですが,この前年,1993年は不参加でした。ところがこのリーグ戦中に,ハンセンのパートナーであったテッド・デビアスが頸椎を負傷。リーグ戦に参加できなくなりました。チームが結成できない以上,不戦敗となるのが自然です。しかしこの離脱がシリーズが始まって間もなくのことであったため,新しいチームを結成して,最初からやり直すのに十分な時間がありました。そこでハンセンのパートナーとなったのが馬場だったのです。ハンセンとデビアスは優勝候補のチームのひとつでしたから,営業上の問題も考慮した上で,こうした異例の措置が採用されたものだと思います。
 ハンセンのパートナーでしたから,優勝することが可能な選手である必要があります。このとき,表向きはハンセンが新パートナーとして馬場を指名したということになっていたのですが,実情はそうではなく,プロモーターとしての馬場が,こうした事情を考慮して,自分自身をハンセンのパートナーに指名したということであったようです。新チームの結成が決まった後,馬場とハンセンは並んで記者発表を行ったのですが,そのときのハンセンは写真でみただけでもひどく緊張しているのが分かりました。
 馬場は全日本プロレスの設立後,人間発電所と組んで,インドの狂虎上田馬之助のチームと戦っています。ハンセンとサンマルチノの間にある種の遺恨があったのは事実。馬場はその両者と友情を結んだというだけでなく,リング上ではライバルとして戦い,またパートナーとしてチームを結成しました。馬場の懐の深さを感じさせるエピソードだといえるのではないでしょうか。

 第一部公理三懐疑の解消のために第一部定理一一が必要です。いい換えれば,知性は第一部公理三が真理であることを認識するために,第一部定理一一を先に知っておく必要があります。すると知性が第一部定理一一をどのような仕方で把握するのかということに関して,一定の制限が課せられることになります。
 まず第一に,もしも知性が第一部定理一一の真理性を認識するために,第一部公理三でいわれていること,とりわけその強い意味が示している事柄を必要とすることはできません。第一部定理一一の真理性が確保される前には,第一部公理三の真理性は明らかではないということになっているのですから,これは当然のことでしょう。
 そして第二に,仮に強い意味にまったく依存することなく第一部定理一一の真理性が明らかになるとしても,それだけで十分なのかといえばそうでもありません。というのは,第一部定理一一が第一部公理三の前提条件となるということは,方法論的懐疑を通じて解明されたという経緯があるからです。したがって,第一部定理一一の真理性が解明される際に,その方法論的懐疑で問題になったような事柄が蒸し返されるようなことがあってはなりません。もしもそうした事柄を含むような手続きで第一部定理一一の真理性が明らかになるならば,再び同じ種類の方法論的懐疑が繰り返されることになり,堂々巡りの無限連鎖に陥ってしまうからです。
 第三に,強い意味の真理性を,ここでは実在的な意味として把握しています。なので,第一部定理一一の真理性が確立されるとしても,それが単に名目的に知性に認識されるようなあり方であるなら,これは無効です。この第三の条件は,絶対的条件というよりは,現在の考察と関連しての条件といえるでしょう。
 これらの制限は,強い意味の成立条件のさらにひとつ上のレベルにあるといえます。ただ僕が第四段階を最終段階と設定したのは,それまでの問いがただ第一部公理三とだけ関係するのに対して,こちらは『エチカ』の公理系の全体に関わる内容を有するからです。ある意味ではこの制限の解除は,『エチカ』における最重要課題であるといえると思います。
コメント
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