スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ディオニュソス&命題の結論

2013-08-30 18:55:58 | 哲学
 『悲劇の誕生』でニーチェはディオニュソス的なものを詳しく説明し,それを称賛しました。そしてニーチェがほかの著書でディオニュソスを引き合いに出す場面でも,それは必ず肯定的な文脈のうちに登場します。それだけでニーチェがどれほどディオニュソスを好んだかは明らかだといえます。しかし,そのことを明瞭に示すエピソードは,もっと別のところにあると僕は考えています。
                         
 ニーチェは1888年10月に『この人を見よ』を書き始め,11月には書き上げて出版社に送りました。その校正中の翌年の1月,梅毒が直接の原因といわれていますが,ニーチェは発狂。これ以降は精神病院で生活することになりました。
                         
 発狂後,ニーチェは本を書くようなことはできなくなりました。ただ,何通かの手紙は書いています。そしてそのうちのいくつかには,ディオニュソスという署名がされているのです。非常に有名なのは作曲家のワーグナーの夫人であるコジマに宛てたもので,アリアドネよ,私はお前を愛する,ディオニュソスより,というもの。アリアドネもニーチェの著書に頻出するギリシア神話の女神です。ニーチェは多くの場面で,その耳の小ささを強調します。
 ニーチェとワーグナーは,初期には良好な関係にありました。そもそもニーチェはワーグナーの音楽のうちに,ディオニュソス的なものを見出しているくらいです。ただ,後にはニーチェはワーグナーを否定するようになりました。夫人であるコジマに対する横恋慕もあったと思いますが,それだけが原因ではなかった筈だと思います。
 発狂してなお,ニーチェは自身をディオニュソスになぞらえたのです。これ以上にニーチェのディオニュソスへの親近感を説明する事柄はないのではないでしょうか。

 限定と否定の関係については,ここでは限定は常に否定に含まれ,否定は限定よりも多岐にわたるとしています。したがって,XがAであればという仮定が,XがBではないという限定を示すのだとすれば,限定は常に否定に含まれるのですから,XがAであるという仮定を,否定であるとみなさなければなりません。よって,XはAであるならYであるという言明が,この条件を満たす限りにおいて,この言明は,Xに関するある否定を含んでいると解さなければならないということです。そして,この条件が満たされないとするなら,事実上はこの命題が何の意味も有することができないということがすでに確認されています。なので,このように単純に考えてみた場合には,XはAであるならYであるという種のすべての命題は,積極的であるといい得るような要素を構成できないと結論するべきです。
 ところが,僕の考えでは,必ずしもこのことが,この種のすべての命題に関して成立するとはいえないのです。なぜそうなるのかといえば,これに関する考察が,命題を中心に行われているからです。いい換えれば,ことばを対象objectumとしてなされているからです。ことばだけをそのobjectumに据える場合には,文法の規制に十分な注意を払わなければなりません。そしてことばと観念とは別のものであるということに目を向けるならば,すべての命題に関して,ここまでとは違った結論が出てくる場合というのがあると僕には思えます。
 今度は一般的にではなく,もう少し具体的に考えてみます。ここではある人間の知性のうちに現実的に存在するある観念,たとえばXの観念について考えることにします。
 まず,スピノザの哲学における十全な観念と混乱した観念との関係からして,このXの観念というのは,十全な観念であるか,そうでなければ混乱した観念であるかのどちらかです。ただし,このことには前提条件が必要になります。僕はここではこのXの観念が,現実的に存在するある人間の知性とだけ関連する,いい換えればそういう知性のうちにあるという仕方だけで考えます。つまり第二部定理一一系の具体的な意味の第一の意味において,Xの観念があるといわれる場合だけを念頭に置くこととします。
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