徳島市で指された第54期王位戦七番勝負第五局。
羽生善治王位の先手で行方尚史八段の一手損角換り1-Ⅱ。ただし9筋を突き合っていて,これが得になると後手は判断していると推測できます。先手は早繰り銀からの棒銀。後手は腰掛銀で6筋の位を取りました。

先手から仕掛けた局面。後手は△6四角と飛車取りに打ちました。角には角で先手は▲4六角と受け,△同角▲同歩。後手は再び△6四角。
ここが封じ手で,▲4八飛も予想されていたようですが,きっと実戦のように▲3四歩と取り込むだろうと思っていました。△同銀に▲3八飛と寄り,△3五歩と上から受けたのに対し,▲2八角と自陣角で応戦しました。

仕掛けた後とはいえ,まだ本格的な戦いになる以前の段階であることは間違いありません。ただ,この局面では後手から手を作っていくのが難しく,それなら玉型にも差がありますので,先手がわりと大きめのリードを奪っているように思えます。実際,今日はあまり後手にいいところがなかったように感じられました。

4勝1敗で羽生王位が防衛。52期に奪取して53期に続く3連覇。通算では15期目となります。
もうひとつ,ある命題のうちに否定的要素が含まれていると僕が理解する例があります。こちらの方は少し複雑です。きわめて概略化していうならば,XはYであるという命題があるとき,Xがある条件を付帯されているという場合があり得ます。この場合に,その付帯条件がXについて否定的であるならば,僕はこの命題のうちには否定的要素が含まれていると解します。つまり命題文がたとえばXはAでないならばYであると示されるような場合には,Xについての否定的要素が入っていると判断するのです。もちろんこの場合にも,命題自体は真の命題であるということを前提しています。
この例の場合には数多くの注意が必要とされます。そのうち最初に僕が指摘しておきたいのは次のことです。
もしもXはAでないならばYであるという命題が真であるならば,XはAである場合にはYではないという命題も真の命題でなければなりません。これは論理的にいってそうなる筈です。そしてこの命題も否定的要素を含んでいます。ただし,こちらの命題というのは,XはYではないという命題のバリエーションのひとつであると僕は理解します。よってこれは第一の条件によって否定的要素を含みます。つまり積極的な言明ではあり得ません。そしてこれが第一の場合の条件のバリエーションであるということは,Xの付帯条件がXに関して否定的であるか否かとは無関係なのです。つまりXはAであるならばYではないが積極的ではあり得ないのと同じ理由によって,XはAでないならばYではないという言明も,積極的とはみなせないと僕は考えるのです。
XはAでないならばYではないという命題が今度は真の命題だと仮定します。すると論理的には,XはAであるならばYであるという命題が真の命題であるという可能性が生じます。そしてこの種の命題に関しては,僕はそこにXに関する否定的要素が含まれているとは考えません。というか,正確にいうならば,この命題自体を注視する限りでは,それがXについての否定を含んではいない可能性が残るというように考えます。つまりある命題からは論理的に別のパターンの命題が生じ得ますが,それを同一には解釈しないということです。
羽生善治王位の先手で行方尚史八段の一手損角換り1-Ⅱ。ただし9筋を突き合っていて,これが得になると後手は判断していると推測できます。先手は早繰り銀からの棒銀。後手は腰掛銀で6筋の位を取りました。

先手から仕掛けた局面。後手は△6四角と飛車取りに打ちました。角には角で先手は▲4六角と受け,△同角▲同歩。後手は再び△6四角。
ここが封じ手で,▲4八飛も予想されていたようですが,きっと実戦のように▲3四歩と取り込むだろうと思っていました。△同銀に▲3八飛と寄り,△3五歩と上から受けたのに対し,▲2八角と自陣角で応戦しました。

仕掛けた後とはいえ,まだ本格的な戦いになる以前の段階であることは間違いありません。ただ,この局面では後手から手を作っていくのが難しく,それなら玉型にも差がありますので,先手がわりと大きめのリードを奪っているように思えます。実際,今日はあまり後手にいいところがなかったように感じられました。

4勝1敗で羽生王位が防衛。52期に奪取して53期に続く3連覇。通算では15期目となります。
もうひとつ,ある命題のうちに否定的要素が含まれていると僕が理解する例があります。こちらの方は少し複雑です。きわめて概略化していうならば,XはYであるという命題があるとき,Xがある条件を付帯されているという場合があり得ます。この場合に,その付帯条件がXについて否定的であるならば,僕はこの命題のうちには否定的要素が含まれていると解します。つまり命題文がたとえばXはAでないならばYであると示されるような場合には,Xについての否定的要素が入っていると判断するのです。もちろんこの場合にも,命題自体は真の命題であるということを前提しています。
この例の場合には数多くの注意が必要とされます。そのうち最初に僕が指摘しておきたいのは次のことです。
もしもXはAでないならばYであるという命題が真であるならば,XはAである場合にはYではないという命題も真の命題でなければなりません。これは論理的にいってそうなる筈です。そしてこの命題も否定的要素を含んでいます。ただし,こちらの命題というのは,XはYではないという命題のバリエーションのひとつであると僕は理解します。よってこれは第一の条件によって否定的要素を含みます。つまり積極的な言明ではあり得ません。そしてこれが第一の場合の条件のバリエーションであるということは,Xの付帯条件がXに関して否定的であるか否かとは無関係なのです。つまりXはAであるならばYではないが積極的ではあり得ないのと同じ理由によって,XはAでないならばYではないという言明も,積極的とはみなせないと僕は考えるのです。
XはAでないならばYではないという命題が今度は真の命題だと仮定します。すると論理的には,XはAであるならばYであるという命題が真の命題であるという可能性が生じます。そしてこの種の命題に関しては,僕はそこにXに関する否定的要素が含まれているとは考えません。というか,正確にいうならば,この命題自体を注視する限りでは,それがXについての否定を含んではいない可能性が残るというように考えます。つまりある命題からは論理的に別のパターンの命題が生じ得ますが,それを同一には解釈しないということです。