スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

燦燦ダイヤモンドカップ争奪戦&反論の根拠

2013-08-18 18:56:38 | 競輪
 初日に一発勝負のワールドステージも行われた松戸記念の決勝。並びは芦沢ー稲村の関東,小埜ー海老根ー福田の南関東,浅井-園田の西日本で稲川に成田。
 かなりの牽制になりましたが,まず誘導を追うことになったのは成田。稲川の前受けかと思いましたが,浅井が追い上げてくると入れて浅井の前受け。稲川が3番手,小埜が5番手,芦沢が8番手の周回に。小埜は残り2周のホーム手前から上昇。ホームで浅井を叩くとほとんど緩めずそのまま先行。4番手を内の稲川と外の芦沢で争いましたが,打鐘のあたりで稲川が引き,4番手が芦沢,6番手が稲川,8番手に浅井の一列に。浅井はホームから捲り発進。スピードよくぐんぐんと上がっていくと,バックでは小埜を捕えて先頭に。園田も続いてあとはマッチレース。凌ぎきった浅井が優勝。マークの園田が4分の3車輪差で続いて西日本のワンツー。うまく立ち回った芦沢がこの両者の中を割りにいきましたが届かず4分の3車輪差の3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は先月の前橋記念に続いて記念競輪9勝目。松戸記念は初優勝。自力型では明らかに力量上位。ですから優勝候補の筆頭と考えていました。8番手になったのは最悪の展開。そこから捲っていったというのはほとんど1周の先行をしたのと同じこと。それで園田に差させなかったのですから,強かったのは間違いありません。ビッグでも優勝候補になる選手だと思いますが,レース運びにはまだ工夫の余地があるように思います。

 この場合の反論の根拠となりそうなのは,第三部定理五九であると僕は考えています。ただしこの定理のうち,欲望に関する感情について考えだすと大変なことになるので,喜びに関する感情のみに焦点を絞って解説します。
 まず,スピノザの哲学における基本感情は,喜び,悲しみ,そして欲望の三種類です。いい換えれば,ありとあらゆる感情は,これらの感情のうちのいずれかに該当します。感情というのは単にその数だけに注目するならば,第三部定理五六で示されているように,無限に多く,あるいは少なくとも無際限にあると考えられなければなりません。でもそれら無際限にあるありとあらゆる感情は,これら三種類のうちのいずれかなのです。ただここでは欲望については考えないことにしていますから,喜びと悲しみに注目するだけで構いません。
 この観点から第三部定理五九を読解するならば,喜びは精神の能動と関連し得るけれども,悲しみはそれとは関連し得ないということになります。なお,スピノザはここでは精神の能動といっていますが,精神の観念対象ideatumが身体であることに注意を払うなら,これは身体の能動といっても差し支えないことになります。実際に感情というのは,第三部定義三にあるように,精神にも身体にも適用可能な術語です。
 次に,喜びというのは第三部諸感情の定義二にあるように,小なる完全性から大なる完全性への移行です。つまりこの移行は,能動と関連付けることが可能であるということになります。そこでこの種の移行を,第三部要請一でいわれている活動能力を増大するような変化と関連付けてみましょう。そしてこの関連付けは,妥当なものなのです。なぜならこの移行が喜びといわれることはすでに明らかですし,またその喜びの認識が善と把握されるということもすでに明らかにされているからです。
 このことから次のことが明らかになります。第三部要請一で示されている事柄のうち,活動能力が増大する場合に関しては,増大する個物res singularisの能動と関連付けることが可能なのです。逆に活動能力が減少する場合に関しては,そのres singularisの受動とだけ関連するのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする