スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

『漱石の道程』&強風

2012-07-29 18:36:26 | 歌・小説
 これまで幾度かにわたってドストエフスキーの小説がいかにキリスト教と密接な関係を有しているかを説明してきたのは,漱石のドストエフスキー評二律背反になっている理由,とくに夏目漱石がドストエフスキーに否定的見解を有する理由の一端を,漱石による社会主義の評価と共に担っているのではないかと僕が考えているからです。つまり僕は,漱石はキリスト教に対して,あまりよい印象を抱いていなかったのではないかと思っているのです。
 漱石自身,キリスト教に関してそう多くのことを言及しているわけではありません。また,そうした言及も非常に断片的なもので,ひとつのきちんとした理論としてはまったく示していないといって過言ではありません。そこで,そうした断片的な資料を収集し,かつ自身による調査も含めて漱石とキリスト教との関係を研究したものとして,高木文雄による「漱石と聖書」という研究論文があります。僕の漱石とキリスト教との関係の考察も,この論文に非常に多くを負っています。これは『漱石の道程』という著書の中にまとめられていますが,ぼくも古書店で半ば偶然に入手できたものですから,もしかしたら現在は入手が困難かもしれません。
                         
 最初に一言だけ注意しておきます。僕はスピノザ主義者ですから,キリスト教徒ではありません。第一部定義六とキリスト教の教えとは,明らかに相容れない部分があるからです。そういう立場から読んでいますと,この高木の研究は,部分的にといっていいのですが,キリスト教信者という視点からの研究という要素が垣間見えないでもないのです。高木がどのような信仰を抱いていたのかは僕には分かりませんが,こうした研究をするためにはキリスト教に対する知識が必要ですし,またこうした研究をなそうとする理由として,キリスト教への関心も必要でしょう。そういう意味からすれば,完全に無信仰であるような僕がそのように感じてしまうということは,おそらく不自然ではないだろうと思います。ただ,僕はそうした部分に関しては,この研究をやや割り引いて理解しているというように考えてください。

 この直後に,妹の作業所の同僚の母親が亡くなられたという連絡が入りました。通夜が19日の夜で,葬儀はその翌日となる20日とのこと。は通夜の方に出席するとのことでした。
 実はこのとき,ちょっとした行き違いが僕と母との間でありました。妹の同僚の母親の通夜ですから,僕は母が妹と一緒に行くものだと思い込んでいたのです。しかし母は妹は家に置いて,ひとりだけで通夜に行く算段だったようです。通夜は午後6時からで,そうも遠くない場所でしたから,午後5時半過ぎに出掛ければ十分に間に合いましたが,これは要するに,母が出掛けている間は僕が家にいなければならないということを意味していました。妹をひとりで家に置いていくわけにはいかないからです。
 実際にはこの19日は,僕は家からすぐ近くのところの仕事。歩いていくことも可能でしたが,このときは新しい自転車を利用しています。ほぼ買い物のためだけの利用でしたが,この日は例外的な日だったわけです。そういったこともあり,午後2時半頃にはもう帰宅していましたから,行き違い自体が何か問題を生じさせたというわけではありません。僕の方も現在は,このくらいの時間に家にいないということはほとんどありませんでしたから,母としても自分だけが通夜に行くということを,僕には言っておかなくても大丈夫だろうと考えていたようです。
 実はこの日,横浜には台風が接近していました。通夜に出席するといっても,母は参列するというわけではなく,焼香だけ済ませて帰宅するつもりであったようです。会場はその方の自宅ではなく,葬儀場でしたが,バスで出掛けたところ,別の妹の同僚の親も来ていまして,その方が自動車を利用していたということで,帰りは自宅の近くまで送ってもらったようです。このおかげで,母が出掛けている間は,まだ雨も風もそこまでは強くなっていない状況でした。ただ,このときの台風は非常に大きなものでして,とくに雨よりも風が強烈で,最も接近した時間帯には家が揺れるくらいの強い風が吹きました。日本の天候というのは,たとえば僕が子どもの頃には考えられなかったというような状況が現在は普通に起こっていますが,こんなに強い風が吹いたということも,少なくとも僕の家の辺りでは初めてだったように思います。
コメント
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