昨日,第39回将棋大賞が発表されました。
最優秀棋士賞は羽生善治二冠。棋聖防衛,王位挑戦,奪取。A級順位戦は全勝で今月からの名人戦に挑戦。日本シリーズと朝日杯将棋オープン,NHK杯で優勝。タイトル数は減らしたものの,記録部門の最多対局賞と最多勝利賞を獲得していますので,納得の受賞とはいえるでしょう。現行制度になったのは第33回からで,その第33回,35回,36回,37回,38回に続き,5年連続6度目。それ以前にも13回獲得しています。最多勝利賞は2年連続で12回目,最多対局賞は第35回以来で9度目の受賞。
優秀棋士賞はひとりで,渡辺明竜王。王座挑戦,奪取。竜王防衛。銀河戦優勝。自身初の二冠達成で,メモリアルな1年となりましたが,最優秀棋士賞には惜しくも届きませんでした。しかしいずれは獲得できるだろうと思います。第33回,36回,38回と受賞していて,2年連続4度目。
敢闘賞は郷田真隆棋王。棋王挑戦,奪取。自身久々のタイトル獲得が評価されてのものでしょう。初受賞。
新人賞は最強戦で優勝した菅井竜也五段。これは強敵を連破してのもので,確かに受賞可能な棋士の実績としては,昨年度で最大のものであったと思います。
記録部門の最多対局賞と最多勝利賞は羽生善治二冠ですが,勝利数は豊島将之六段も同じで同時受賞。第37回でも獲得していて2年ぶり2度目。勝率1位賞は中村太地五段。これは歴代でも第2位となる大記録でした。連勝賞は18連勝の永瀬拓矢四段で,この両者は初受賞。
最優秀女流棋士賞は里見香奈女流名人。女流王将防衛,倉敷藤花防衛,女流名人位防衛。文句なしです。第37回,38回に続く3年連続3度目。
女流棋士賞は清水市代女流六段。女流王位挑戦,倉敷藤花挑戦,女流名人位挑戦。女流最強戦優勝。歴代トップで最多対局賞を獲得し,勝利数も歴代のトップでした。当然の受賞ですし,凄い棋士です。
名局賞は竜王戦第四局。確かにこの将棋の終盤は見事でした。個人的に中継された将棋で最も感嘆したのは,日本シリーズ1回戦の第一局ですが,舞台設定を考えると,こういう将棋が名局賞を獲得するのは難しいでしょう。
升田幸三賞は佐藤康光王将。この賞は大概は何らかの戦法に贈られるのですが,佐藤王将の将棋という形式での受賞。第34回のときも同じような形で受賞していて,2度め。この賞を2度受賞というだけで大きな価値がありますし,その独創性は大いに称えられるべきだろうと思います。
横歩取り新山崎流により,山崎隆之七段が同賞の特別賞を受賞しています。山崎七段もまた独創的な棋士のひとり。特別賞という形でなくともよかったのではないかと思います。
人間の精神が現実的に存在するならば,その精神の一部は共通概念という十全な観念によって組織されることが必然であるということはこれでよいでしょう。そこでもしも,その観念が原因となってその人間の精神のうちに何らかの結果を発生させるならば,そうして発生する結果の観念は第二部定理四〇により十全な観念です。したがって僕の能動の考え方からして,これはその人間の精神の能動であるということになります。そしてそれは第二部定義三説明によってその人間の精神が,結果として発生する観念の対象ideatumを概念しているということになります。
次に,もしもこうした思惟作用が人間の精神のうちに発生するのであれば,これは第一部公理三によって必然的に発生しているのです。そこで今度の課題は,こうした思惟作用の必然性が,どのような仕方で説明されるべきなのかということ,もっと有体にいうならば,こうした思惟作用が第二部定理九の様式で説明され得るのかということです。
結論からいうならば,僕は少なくともある種類のこうした概念という思惟作用は,第二部定理九の様式で説明されなければならないと考えます。そしてその理由というのは,その仕方における原因の観念と結果の観念が,それぞれどのような様式で神と関連付けられなければならないのかという観点にあります。もしもそれが,何らかの意味において神の思惟する絶対的な力,いい換えれば神の思惟の属性そのものと関連付けられて説明されなければならないのであれば,それは第一部定理二一ないしは第一部定理二二の様式で発生するということになります。しかしもしもそうでないのであれば,それは第二部定理九の様式で説明されなければならないということになります。
僕はこうした思惟作用が人間の精神のうちに生じるとき,その一部はもしかしたら神の思惟する絶対的な力と関連付けて説明しなければならないのではないかと考えています。しかし一方で,そうではないような思惟作用もやはりあると考えるのです。これが,僕が少なくともこうした思惟作用の一部は,第二部定理九の様式で説明されなければならないと考えるということの意味です。
最優秀棋士賞は羽生善治二冠。棋聖防衛,王位挑戦,奪取。A級順位戦は全勝で今月からの名人戦に挑戦。日本シリーズと朝日杯将棋オープン,NHK杯で優勝。タイトル数は減らしたものの,記録部門の最多対局賞と最多勝利賞を獲得していますので,納得の受賞とはいえるでしょう。現行制度になったのは第33回からで,その第33回,35回,36回,37回,38回に続き,5年連続6度目。それ以前にも13回獲得しています。最多勝利賞は2年連続で12回目,最多対局賞は第35回以来で9度目の受賞。
優秀棋士賞はひとりで,渡辺明竜王。王座挑戦,奪取。竜王防衛。銀河戦優勝。自身初の二冠達成で,メモリアルな1年となりましたが,最優秀棋士賞には惜しくも届きませんでした。しかしいずれは獲得できるだろうと思います。第33回,36回,38回と受賞していて,2年連続4度目。
敢闘賞は郷田真隆棋王。棋王挑戦,奪取。自身久々のタイトル獲得が評価されてのものでしょう。初受賞。
新人賞は最強戦で優勝した菅井竜也五段。これは強敵を連破してのもので,確かに受賞可能な棋士の実績としては,昨年度で最大のものであったと思います。
記録部門の最多対局賞と最多勝利賞は羽生善治二冠ですが,勝利数は豊島将之六段も同じで同時受賞。第37回でも獲得していて2年ぶり2度目。勝率1位賞は中村太地五段。これは歴代でも第2位となる大記録でした。連勝賞は18連勝の永瀬拓矢四段で,この両者は初受賞。
最優秀女流棋士賞は里見香奈女流名人。女流王将防衛,倉敷藤花防衛,女流名人位防衛。文句なしです。第37回,38回に続く3年連続3度目。
女流棋士賞は清水市代女流六段。女流王位挑戦,倉敷藤花挑戦,女流名人位挑戦。女流最強戦優勝。歴代トップで最多対局賞を獲得し,勝利数も歴代のトップでした。当然の受賞ですし,凄い棋士です。
名局賞は竜王戦第四局。確かにこの将棋の終盤は見事でした。個人的に中継された将棋で最も感嘆したのは,日本シリーズ1回戦の第一局ですが,舞台設定を考えると,こういう将棋が名局賞を獲得するのは難しいでしょう。
升田幸三賞は佐藤康光王将。この賞は大概は何らかの戦法に贈られるのですが,佐藤王将の将棋という形式での受賞。第34回のときも同じような形で受賞していて,2度め。この賞を2度受賞というだけで大きな価値がありますし,その独創性は大いに称えられるべきだろうと思います。
横歩取り新山崎流により,山崎隆之七段が同賞の特別賞を受賞しています。山崎七段もまた独創的な棋士のひとり。特別賞という形でなくともよかったのではないかと思います。
人間の精神が現実的に存在するならば,その精神の一部は共通概念という十全な観念によって組織されることが必然であるということはこれでよいでしょう。そこでもしも,その観念が原因となってその人間の精神のうちに何らかの結果を発生させるならば,そうして発生する結果の観念は第二部定理四〇により十全な観念です。したがって僕の能動の考え方からして,これはその人間の精神の能動であるということになります。そしてそれは第二部定義三説明によってその人間の精神が,結果として発生する観念の対象ideatumを概念しているということになります。
次に,もしもこうした思惟作用が人間の精神のうちに発生するのであれば,これは第一部公理三によって必然的に発生しているのです。そこで今度の課題は,こうした思惟作用の必然性が,どのような仕方で説明されるべきなのかということ,もっと有体にいうならば,こうした思惟作用が第二部定理九の様式で説明され得るのかということです。
結論からいうならば,僕は少なくともある種類のこうした概念という思惟作用は,第二部定理九の様式で説明されなければならないと考えます。そしてその理由というのは,その仕方における原因の観念と結果の観念が,それぞれどのような様式で神と関連付けられなければならないのかという観点にあります。もしもそれが,何らかの意味において神の思惟する絶対的な力,いい換えれば神の思惟の属性そのものと関連付けられて説明されなければならないのであれば,それは第一部定理二一ないしは第一部定理二二の様式で発生するということになります。しかしもしもそうでないのであれば,それは第二部定理九の様式で説明されなければならないということになります。
僕はこうした思惟作用が人間の精神のうちに生じるとき,その一部はもしかしたら神の思惟する絶対的な力と関連付けて説明しなければならないのではないかと考えています。しかし一方で,そうではないような思惟作用もやはりあると考えるのです。これが,僕が少なくともこうした思惟作用の一部は,第二部定理九の様式で説明されなければならないと考えるということの意味です。