スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

しらさぎ賞&決意の不在

2012-04-25 18:52:56 | 地方競馬
 レースの焦点は2着争いであろうと目された第50回しらさぎ賞。サクラサクラサクラが競走除外となって11頭。
 サクラサクラサクラが除外となればギオンゴールドの逃げは自然。クラーベセクレタが2番手でマーク。内にリアンローズが差なく続き,センゲンコスモ,ツキノテンシ,スズリスペクトという隊列に。前半の600mは38秒0で,これはスローペース。
 クラーベセクレタがどこで先頭に立つかで,レースの結果が大きく左右されるだろうと考えていましたが,3コーナー手前では逃げ馬に並び掛け,コーナーを回りながら先頭に立って直線に。ここからはほぼ独走で,7馬身差の圧勝。早めに来られたギオンゴールドは苦しくなりましたが,ペース自体は早くなかったので,追い込みが届く展開でもなく,好位に位置していたツキノテンシが2着で3着はセンゲンコスモ。
 優勝したクラーベセクレタは昨年12月のクイーン賞以来の勝利で,南関東重賞は7勝目。ほかに重賞1勝。重賞を勝つくらいの馬ですから,ここはアクシデントでもない限り負けることは許されないレースで,力通りの圧勝となりました。この馬にとって最適の距離ということはないのではないかと思いますが,この相手ではスピード能力が違いすぎます。母の父はタイキシャトル。Clave Secretaはスペイン語で秘密の鍵。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手は2月のユングフラウ賞以来の南関東重賞制覇。第46回,第47回,第48回と3連覇していて,2年ぶりのしらさぎ賞4勝目。管理している船橋の川島正行調教師は第46回以来のしらさぎ賞2勝目。

 このスピノザの認識論には,際立った特徴があるといえると思います。そしてそれは,僕たちが人間の精神による事物の認識のあり方として一般的に把握しているイメージに,大きく反するものであるのではないかと思います。
 一般的に僕たちは,人間の精神が事物を認識するときに,何を認識しまた何を認識しないのかということについて,その認識をなす精神の決意といったものが介在すると考えてはいないでしょうか。あるいは,人間の精神によるすべての認識がそうではないのだとしても,少なくともその一部には,人間の精神の決意,あるいは自分自身の事物の認識についていうならば,自分自身の精神の決意によってその認識が決定されていると考えているのではないでしょうか。ところがスピノザの哲学の認識論の結論によれば,人間の精神による事物の認識というのは,きわめてオートマティックな,あるいはきわめてシステマティックな作用なのであって,そこにはその認識作用をなす人間の精神による決定が入り込む余地は,いっかなないのです。そしてそれは,ここまで詳しく探求してきたように,第二部定義三説明における,知覚の場合にのみ妥当するというわけではなくて,人間の精神がある概念をなすという場合にも同様なのです。
 実はスピノザのこうした認識論というのは,必ずしも『エチカ』において初めて明らかにされたというわけではありません。むしろ哲学的探求を始めた当初から,スピノザは,論理的にそのことを明らかにしたかということは別にしても,そうした考え方を有していたようです。というよりも,『エチカ』以前のスピノザの哲学は,むしろこの点に関しては,より先鋭的であったといえるかもしれません。僕は必ずしも『エチカ』において,スピノザがそれまでの考え方を一新したというようには考えていません。少なくとも僕たちの一般的なイメージと比較していうのなら,考え方の変更を余儀なくされたというようにも思わないです。ただ,『エチカ』においてはそれまでにはなかった共通概念というのが導入されていて,それによって精神の能動というのが,それ以前よりも具体的に明らかになったといえることは事実であると思います。
コメント
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