数々の名勝負が戦われてきた将棋の街,山形県天童市での対局となった第59期王座戦五番勝負第三局。
渡辺明竜王の先手。羽生善治王座の誘導で横歩取りとなり,後手は8四飛,5二王の構えで先手は中住まい。中盤は先手がと金を作って後手に攻めさせ,その合間を縫ってと金を活用していくという展開で,夕食休憩時には第1図まで進んでいましたので,ここから観戦。
後手の攻めもそんなに手厚くないので,先手が勝てそうかなというのが第一感でした。ただ,このまま△5七飛行成は許せないように思え,それを受ける手を検討したのですが,ぴったりした手は見つけられませんでした。▲6八金は考えていた手のひとつ。ここから△2七歩▲同銀△4九飛成までは一本道ではありませんが想定していた手順のひとつ。ただここで▲4八角と打つのは考えていませんでした。△2九龍▲5六歩は検討し直した手順のひとつ。飛車を逃げる手しか考えませんでしたが△3五桂と王手銀取りに打ちました。ただこの手はかなり厳しく感じられ,後手の攻めがなかなか途切れないように思えてきました。▲5八玉△5六飛▲5七金△5四飛(第2図)までは本線で検討していた順。
ここは手が広そうでいろいろ考えましたが▲6六桂はその中には入っていませんでした。ここも逃げ場所はいくつかあり,検討の中心は2四でしたが△3四飛も考えていた手。これには▲3六銀と▲4五角を考えていましたが▲5六角とこちらに打ちました。こういうところは勢いで△2七桂成から考えますが実戦もそうなりました。▲同金で部分的に飛車の両取り。3四の飛車を3八か3九に成る手が検討の中心でしたが△6九銀と打ちました。▲6八玉は当然で,△3九飛成に絞って検討していましたが△4九龍でした。ここも勢いで▲3四角△4八龍が検討手順。しかし▲6二とと銀を取りました。とはいえこれも考えられる手。△同金としてから▲3四角。△4八龍▲6九玉は必然。そこで△1四角(第3図)と王手をしましたが,この手は考えていませんでした。
▲2五歩は本命視していた手。△3三金や銀を検討していましたが△8八歩成の詰めろ。次の▲5八金も考えていなかった手。△7八と▲同玉△5八龍まで本線。▲8七玉を検討しましたが▲6八銀打。もっともこちらの方が堅いですから当然といえば当然。△2三角も考えましたが△8六歩も自然な攻めで候補のひとつ。ただ▲4四桂△4二王▲8二飛は,△2三角の手順で検討していた手で,これは先手の勝ちになったのではないかと思いました。△8七歩成▲同飛成と進みましたがこの進展はよく意味が分かりませんでした。△4四歩はこれ以外には思い浮かびません。▲8二龍と進入。やはり先手の勝ちは動かないように思えました。△5一金と打って守りましたがここに金を投入ではいかにも元気が出ない気がして検討は打ち切り。この後,103手目に▲5九歩と打って角を渡してもかなり安全な形にしたのがのが最終的な決め手という印象。111手目の▲3六歩も攻防手で盤石に思えました。ところが次の△8六歩に▲3五金と抑えつけたあたりから雲行きの怪しさを感じ始めほどなく検討再開。その間にも予想外の手が出ましたが,後手が勝てそうという順は見つけられませんでした。ただ実際には後手に勝ちがあっても不思議ではないと思える展開でした。結果的には先手が押し切りましたが,僕が最初に検討を打ちきったのは明らかに早すぎました。
揺るぐことがなかった長期政権を圧倒して渡辺竜王が王座を奪取し二冠達成。同じような長期政権が樹立されてもおかしくはないと思います。
もう一度ここで断わっておきますが,以下に示すようなことは,スピノザが『エチカ』において第一部定理二六を証明した意図から考えれば,拡大解釈になるおそれは否めません。あらかじめそれを前提としておいてください。
スピノザが『知性改善論』で示した球の発生を,第一部定理二六から考察するなら,次のようにいうことはあながち無理であるともいいきれません。すなわち,半円が回転することによって球が発生するのですが,このときの半円の回転という作用は,神から決定されたものであることになります。ただし,現状の考察では,この半円の回転については,物体としての半円が回転するという意味ではなく,思惟作用として理解しています。したがって,この回転が神による決定であるということをもう少し具体的に考えるなら,第二部定理六により,半円の観念が神からの決定によって,その直径を軸として一回転するという作用をなすということになるでしょう。いい換えれば,ここで意味したいことは,神の延長の属性の決定によって,物体としての半円が一回転するという運動に決定されるということではないということです。
このようにして半円がその直径を軸として一回転するという作用の直中に神からの決定という概念を採用するならば,このことのみのうちに球の発生が十分に含まれているといえます。第一部定理一五からして球の発生が神なしには考えられ得ないということは明らかですが,この説明のうちには,球の発生原因としての神の観念が十分に含まれているといえるからです。いい換えればこの説明は,第一部定理一五を満たすのみでなく,第一部公理四も十全に満たしているといえるのではないでしょうか。
したがって,球の発生というのはこのことのみから必然的に帰結するのであり,たとえば半円が発生することも含むような無限連鎖には訴えなくてもよいということになります。そしてこのことは,球の場合のみに妥当するのではなく,すべての個物について妥当するということが,同様の説明によって明らかになるものと思います。そしてこのゆえに,定義が定義された事物の発生を含むというときの発生は,直接的な起成原因だけを含むと考えることができるのではないでしょうか。
渡辺明竜王の先手。羽生善治王座の誘導で横歩取りとなり,後手は8四飛,5二王の構えで先手は中住まい。中盤は先手がと金を作って後手に攻めさせ,その合間を縫ってと金を活用していくという展開で,夕食休憩時には第1図まで進んでいましたので,ここから観戦。
後手の攻めもそんなに手厚くないので,先手が勝てそうかなというのが第一感でした。ただ,このまま△5七飛行成は許せないように思え,それを受ける手を検討したのですが,ぴったりした手は見つけられませんでした。▲6八金は考えていた手のひとつ。ここから△2七歩▲同銀△4九飛成までは一本道ではありませんが想定していた手順のひとつ。ただここで▲4八角と打つのは考えていませんでした。△2九龍▲5六歩は検討し直した手順のひとつ。飛車を逃げる手しか考えませんでしたが△3五桂と王手銀取りに打ちました。ただこの手はかなり厳しく感じられ,後手の攻めがなかなか途切れないように思えてきました。▲5八玉△5六飛▲5七金△5四飛(第2図)までは本線で検討していた順。
ここは手が広そうでいろいろ考えましたが▲6六桂はその中には入っていませんでした。ここも逃げ場所はいくつかあり,検討の中心は2四でしたが△3四飛も考えていた手。これには▲3六銀と▲4五角を考えていましたが▲5六角とこちらに打ちました。こういうところは勢いで△2七桂成から考えますが実戦もそうなりました。▲同金で部分的に飛車の両取り。3四の飛車を3八か3九に成る手が検討の中心でしたが△6九銀と打ちました。▲6八玉は当然で,△3九飛成に絞って検討していましたが△4九龍でした。ここも勢いで▲3四角△4八龍が検討手順。しかし▲6二とと銀を取りました。とはいえこれも考えられる手。△同金としてから▲3四角。△4八龍▲6九玉は必然。そこで△1四角(第3図)と王手をしましたが,この手は考えていませんでした。
▲2五歩は本命視していた手。△3三金や銀を検討していましたが△8八歩成の詰めろ。次の▲5八金も考えていなかった手。△7八と▲同玉△5八龍まで本線。▲8七玉を検討しましたが▲6八銀打。もっともこちらの方が堅いですから当然といえば当然。△2三角も考えましたが△8六歩も自然な攻めで候補のひとつ。ただ▲4四桂△4二王▲8二飛は,△2三角の手順で検討していた手で,これは先手の勝ちになったのではないかと思いました。△8七歩成▲同飛成と進みましたがこの進展はよく意味が分かりませんでした。△4四歩はこれ以外には思い浮かびません。▲8二龍と進入。やはり先手の勝ちは動かないように思えました。△5一金と打って守りましたがここに金を投入ではいかにも元気が出ない気がして検討は打ち切り。この後,103手目に▲5九歩と打って角を渡してもかなり安全な形にしたのがのが最終的な決め手という印象。111手目の▲3六歩も攻防手で盤石に思えました。ところが次の△8六歩に▲3五金と抑えつけたあたりから雲行きの怪しさを感じ始めほどなく検討再開。その間にも予想外の手が出ましたが,後手が勝てそうという順は見つけられませんでした。ただ実際には後手に勝ちがあっても不思議ではないと思える展開でした。結果的には先手が押し切りましたが,僕が最初に検討を打ちきったのは明らかに早すぎました。
揺るぐことがなかった長期政権を圧倒して渡辺竜王が王座を奪取し二冠達成。同じような長期政権が樹立されてもおかしくはないと思います。
もう一度ここで断わっておきますが,以下に示すようなことは,スピノザが『エチカ』において第一部定理二六を証明した意図から考えれば,拡大解釈になるおそれは否めません。あらかじめそれを前提としておいてください。
スピノザが『知性改善論』で示した球の発生を,第一部定理二六から考察するなら,次のようにいうことはあながち無理であるともいいきれません。すなわち,半円が回転することによって球が発生するのですが,このときの半円の回転という作用は,神から決定されたものであることになります。ただし,現状の考察では,この半円の回転については,物体としての半円が回転するという意味ではなく,思惟作用として理解しています。したがって,この回転が神による決定であるということをもう少し具体的に考えるなら,第二部定理六により,半円の観念が神からの決定によって,その直径を軸として一回転するという作用をなすということになるでしょう。いい換えれば,ここで意味したいことは,神の延長の属性の決定によって,物体としての半円が一回転するという運動に決定されるということではないということです。
このようにして半円がその直径を軸として一回転するという作用の直中に神からの決定という概念を採用するならば,このことのみのうちに球の発生が十分に含まれているといえます。第一部定理一五からして球の発生が神なしには考えられ得ないということは明らかですが,この説明のうちには,球の発生原因としての神の観念が十分に含まれているといえるからです。いい換えればこの説明は,第一部定理一五を満たすのみでなく,第一部公理四も十全に満たしているといえるのではないでしょうか。
したがって,球の発生というのはこのことのみから必然的に帰結するのであり,たとえば半円が発生することも含むような無限連鎖には訴えなくてもよいということになります。そしてこのことは,球の場合のみに妥当するのではなく,すべての個物について妥当するということが,同様の説明によって明らかになるものと思います。そしてこのゆえに,定義が定義された事物の発生を含むというときの発生は,直接的な起成原因だけを含むと考えることができるのではないでしょうか。