スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

テレ玉杯オーバルスプリント&問題の本質

2011-09-08 18:54:43 | 地方競馬
 今年から重賞に格上げとなった第22回オーバルスプリント
 激しい先行争いとなりましたが,枠順の差がものをいい,トーホウオルビスの逃げ。トーホウドルチェが2番手でナイキマドリード,キングスゾーン,バロズハート,テイエムカゲムシャまではほぼ一団。ディアーウィッシュがこれを追って,ダイショウジェットはその後ろ。最初の600mは35秒1の超ハイペース。
 トーホウオルビスは3コーナーで苦しくなり,トーホウドルチェが前に出るとナイキマドリードが外から並び掛け,さらに外を控えていたダイショウジェットが追い上げ,3頭が雁行で直線に。こうなれば余力を残しているのはダイショウジェットで,あっさりと抜け出すと5馬身もの差をつけて快勝。トーホウドルチェが2着に残り,3着には馬場の中ほどを伸びたディアーウィッシュ。
 優勝したダイショウジェットはこれが52戦目。オープンでは4勝していましたが,重賞は好走にとどまり,待望の初制覇。ここは展開面の恩恵が大きかったように思えます。自力で勝負できるタイプではありませんし,年齢からもこれ以上の活躍は難しいかもしれません。ただ,このくらいのレベルのレースならば,大きく崩れるということもないだろうと思います。
 騎乗したのは柴山雄一騎手で管理しているのは大根田裕之調教師。今年から重賞になったレースですから当然ながら初制覇です。

 この反論に答えるために,本当の意味で問われているのがどんなことなのかということを整理しておく必要があります。
 ある観念が十全な観念であるためには,その観念が観念の対象ideatumの本性を含んでいなければならないということは,きわめて当然のことだといえます。おそらくこのことにはマシュレも同意するでしょう。また,念のために『エチカ』にも訴えておくならば,第二部定義四第一部公理六からしてそうでなければなりません。
                         
 一方,事物の定義というのも,定義されている事物の本性を十全に表現するようなものでなくてはなりません。というのは,定義命題と定義されている事物は一対一でのみ対応し合わなければなりませんし,定義命題は定義している事物以外の事物と,また定義されている事物はその定義命題以外の命題と対応することは許されません。これはそもそも事物の定義というものはそういうものであるといえると思います。ところでスピノザの哲学においては,第二部定義二から明らかなように,事物とその事物の本性というのは一対一で対応し合うものであり,ある事物がほかの事物の本性と対応しないというのはそれ自体で当然ですが,ある特定の事物の実在性を肯定するような本性は,それ以外の事物については肯定しないという関係になっているからです。
 したがって,事物を十全に認識するということは,この意味において,事物の定義を十全に認識するということにほかならないのです。いい換えれば,事物の定義が認識されるものであると規定したときには,その定義こそが定義されている事物の十全な観念なのです。そしてこの点も,おそらくマシュレは同意するでしょうし,とくにマシュレに限らずとも,反論の余地はないように思われます。
 したがって,ここで実際に問われているのは,スピノザが事物の定義は定義されている事物の発生を含んでいなければならないと主張するときに,その主張自体が,一般的な意味において妥当であるのかどうかということです。そしてこれが妥当であるとするなら,すべての十全な観念は必然的にその観念の対象ideatumの発生を含むことになり,よって十全な観念は必然的に能動的なものとしてのみ現実的に存在するということになるでしょう。
コメント
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