ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネのデビュー50周年記念誌⑩

2021年11月06日 | ルネの活動記録

 来週11月11日(木)は、ルネの53枚目のアルバム”Tu n'as pas seul あなたは一人じゃない”のデジタル版の発売日です!! 


 CDと記念誌のセットの発売翌11月12日です! デジタル版AppleAmazonで購入できるようになると思います。

※”Tu n'as pas seul250円)”のみの購入は、こちらのAmazonMusicからどうぞsymbol1 
https://www.amazon.co.jp/nes-pas-seul-Ren%C3%A9-Simard/dp/B09HT3SCXC/ref=sr_1_24?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=Rene%20Simard&qid=1635565951&sr=8-24&fbclid=IwAR149NkJtFos8JAK5an67TvaeWhHeGTpOuiNNAFvZWEOL2Ge3wTVNDXuzPA



 前回紹介したルネからのアルバムの最新情報ですsymbol1

À partir de maintenant, la chanson "Tu n'es pas seul"
est maintenant disponible et j'en suis très heureux! 😊
Cette chanson est disponible dans toutes les playlists ci-dessous:

<中略:デジタル版購入一覧>
Et à partir du 11 novembre, toutes les chansons seront disponibles sur toutes les plateformes numériques! 😎
Dès le 12 novembre, il y aura des CD + Magazine "50 ans de carrière" dans plusieurs endroits; marchés, magasins, etc. 😁😍
Merci et bonne écoute!!!😘
Bonne fin de semaine à tous!


これからは「Tu n'es pas seulあなたは一人じゃない」という曲が利用可能になり、とても嬉しいです! 😊
この曲は、以下のすべてのプレイリストで利用できます。
<中略>
そして11月11日から、すべての曲がすべてのデジタルプラットフォームで利用できるようになります! 😎
11月12日から、CD + Magazineの「50 ans de carrièr50年のキャリア」がいくつかの場所で発売されます。市場、ショップなど。 😁😍
ありがとう、そしてよく聞いてください!!!😘
みなさん、幸せな週末を!


 CDタイトルは『Condorコンドルで(L'oiseau小鳥が成長してコンドル)オリジナルのデビュー50周年記念誌 "50 ans de carrière"がセットです!! 前出の撮影で撮った写真を含め、ルネが厳選した写真が掲載され、50年間の経歴が書かれていますsymbol1 ファンならCDとデジタル版と両方購入必至ですね!!!  ただ、現在日本では下のサイトから購入出来ません(カナダとアメリカのみ11月16日から発送)★ 日本のAmazonでも扱わないようです(ソルさん確認)。新しい情報が入り次第、報告いたします。

※Vol.02 no.04 | René Simard & son album de musiquehttps://www.jemagazine.ca/pages/rene-simard?fbclid=IwAR2sjvbX4O36SUiVOtfR1EgQ8xf7g6JVz_tzIP6T-OAxv2_Xn6LRFrFrMhg

▲▼ ÉchosVedettesのルネ・シマール・スペシャルは、逸話、オリジナルのインタビュー、100枚以上のアーカイブ写真を掲載。19,99$ 



<追記>

 11月10日、Salut Bonjourにルネが出演し、53枚目のアルバム「Condor」について語り、4月に誕生した初孫娘クロエちゃんの映像も公開されましたsymbol1


 


※Salut Bonjour
https://www.salutbonjour.ca/2021/11/10/entrevue-rene-simard-lance-condor-son-53eme-album-en-carriere?fbclid=IwAR0f7rA1XGbWJDHwnVc-ITyH0U1z2gHN1d0QsvSwCZlsnMmp8daAb9ly8Og


 さらに、こんなルネ・グッズも発売されました~symbol1

L'attitude René Simard(態度 ルネ・シマール)

▲左からレッド、ライトピンク、ライトブルー、スポーツグレー、ダークグレーマール、ブラック

flag11ルネのトレーナー販売中flag11
La vie est belle
Sweat-shirt L'attitude René Simard 
C$59.90


※こちらから購入できますsymbol1
https://boutic.ca/products/sweat-shirt-lattitude-rene-simard-1?utm_content=Facebook_UA&utm_source=facebook&variant=41791064866979&fbclid=IwAR14mTmbJvhNfUB-3NM1CRITmwgOfA4SKyDWNynk7yjZ0kco1hZNp6c8Uz8



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 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の10回目です。

 今回は、日本のルネ・ブームの後、アメリカとフランスでの活動の様子や、妹ナタリーとのデュエットの話です。


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



On le dit millionnaire a 13 ans vol.3
  人々は彼を13歳の億万長者(ミリオネア)と言う

▲子供の頃、彼はモハメド・アリのような大スターに会いました

フランス人が参る(惚れ込む)
 
 彼の日本でのステージは、ケベックやカナダだけでなく、世界中に影響を与えました。 地球上で最も有名な芸術家の一人とフランク・シナトラの手から一等賞を受け取ると、世界中でそれが噂になりました。ルネがモリエールの言葉で歌うように、フランス人は彼に興味を持ちました。 彼は非常に人気のある歌手ダニエル・ギシャールの最初のパートを行うために、パリのオリンピアに招待されています。 彼はこの機会に、“Maman laisse-moi sortir ce soirママ今夜遊びに出かけてもいい”という歌を輝く街で録音しました。この作品は記録を破り、彼にゴールド・ディスクの記録をもたらしました。 しかし、ルネの曲で最もよく聞かれているのは、”Les petites filles modelesモデルの女の子たち(リトル・モデル)”です。 後者は、競争が激しいフランスのヒットチャートで14位にランクされています。 フランス人はすぐに彼を採用し、彼に「Le prince charmant de la chanson 歌のプリンス・チャーミング」というニックネームを付けました。

※過去ログ「MAMAN, LAISSE-MOI SORTIR CE SOIR」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/378.html
※過去ログ「Les petites filles modèles」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1150.html
※過去ログ「On ne vit jamais pour rien...2」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/97.html

左:パリのオランピアで1974年12月、セルジュ・ラマとダニエル・ギシャールと一緒に 右:オランピア劇場のステージ


※過去ログ「世界のルネーパリ編①ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/446.html
※過去ログ「世界のルネーパリ編②ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/448.html


▲デビュー25周年記念番組より アメリカの活動14分00秒~
 ナタリーとのデュエット24分30秒~

アメリカでのキャリア

 彼のマネージャーであるギィ・クルティエは、ルネにとって素晴らしいアメリカでのキャリアを夢見ていました。そのため、フランスでのルネの成功はこれまでになく進んでいました。 ルネがジョニー・カーソン・ショーへの出演に合意したことを除いて、契約はありませんでしたが、チームはアメリカ市場の動向を探るために数か月間ロサンゼルスに身を落ち着けました。 1975年、カンヌで開催っtされた国際音楽産業見本市(MIDEM)のクロージング・ショーで歌った後、彼はさまざまなアメリカのネットワークで、ほぼすべての夜の放送に参加するよう招待されました。 彼は、NBCのマイク・ダグラス・ショー、CBCのマーヴ・グリフィン・ショー、NBCのハワード・コセルとのサタデー・ナイト・ライブなどに出演しています。 ルネ・シマールはこのショーに3回参加し、アメリカ全土で知られるようになりました。
 南の隣人に彼の足跡を残そうとしている間、シマール家の子どもはしばしばケベックに戻りました。彼は1976年のモントリオールオリンピックを宣伝するために、ボブ・ホープとビング・クロスビーと一緒にForum de Montrealモントリオール・フォーラムで大規模なショーに参加しました。このショーは明確な結果をもたらし、彼は強調する曲を演奏するために選ばれていたので、ラジオ-カナダの英語ネットワークはまた、彼に大きな特別番組、ルネ・シマール・スーパーキッドを制作することを提案しました。新聞には、その少年は13歳までに億万長者になったと書かれていました。 1974年版のTIME(アメリカ合衆国のニュース雑誌)には、「彼はすでに7枚のLPの75万枚を含む500万枚以上のレコードを販売しています...これはカナダのレコード業界の記録です。」 一方、その子供は彼の出演料のお金をほとんど受け取っていません:彼が18歳になるまで、お金のほとんどは口座に預けられていました。


▲ニューヨーク ハワード・コセル・ショー1975年 モハメド・アリと一緒に

▲左:マーヴ・グリフィニ・ショー1974年 ロサンゼルス
 右:フォーラム・ド・モントリオール1974年 ボブ・ホープと


左上:ルネ・シマール・ショーでアンディ・ウィリアムスと
 左下:ロベール・シャルルボワとラスベガスのヒルトン・ホテルで
 中央:ハワード・コッセルとサタデー・ナイト・ライヴで
 右上:トニー・レイ・ショーのセットでルネとマイク・ダグラス
 右下:マイク・ダグラス・ショーで




♪YouTube映像”Rene Simard 2”
https://youtu.be/RPuXwHVWf0o

※過去ログ「世界のルネーアメリカ編①ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/447.html
※過去ログ「世界のルネーアメリカ編②ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/455.html
※過去ログ「世界のルネーアメリカ編③ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/449.html
※過去ログ「世界のルネーアメリカ編④」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/591.html
※過去ログ「世界のルネ-アメリカ編⑤」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/639.html
※過去ログ「世界のルネ-アメリカ編⑥」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/640.html
※過去ログ「世界のルネ-アメリカ編⑦」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/641.html


老いも若きも、彼は同じようにアイドルです

 

 

▲当時販売されたルネ・ブランドのTシャツやトレーナー、セーター。ルネのイラスト入りのベビー服まで有ったりします。

ナタリーとのデュエット

 1976年、彼が15歳のとき、ルネの声は変わり始めました。 彼はABBAの歌からの翻訳である“Fernandoフェルナンド”を録音しました、そして即座に成功しました。 彼はすぐにチャートのトップに到達しました。 翌年、ピアニストのリベラーチェは彼と一緒にショーを開くために彼を招待しました。 このショーはラスベガスで発表され、その後、主要なアメリカ・ツアーの目的となりました。
 1979年、リベラーチェとのこのアメリカ・ツアーに続いて、ユニセフは国際児童年の一環として、彼に“Tous les enfants du monde世界のすべての子供たち”を歌うことを依頼しました。彼は妹のナタリーと一緒にこの曲を受け入れて録音しました。ナタリーとの最初のコラボレーションでした。他のいくつかが続きました。 1980年に、彼らはPlace des Artsでコンサートを4夜連続で行い、4年後にもその経験を繰り返しました。「世界のすべての子供たち」の歌のおかげで、ルネとナタリーはアメリカのツアーに行きます。彼らはフロリダとカリフォルニアのディズニーワールドで演奏しました。さらに、ルネは米国で2つのショーを主催しています。



※カテゴリ『ルネの妹ナタリー』参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate16/archive
※過去ログ「Tous les enfants du monde (Chiquitita)」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1131.html





<le Journal de Montrealの記事からの追記>

パリのオランピア
 1974年12月5日、ルネ・シマールはパリのオリンピアで歌いました。 彼はダニエル・ギシャールのショーの最初のパートです。 国民は彼を特別な歓迎をしました。 セルジュ・ラマ、シルヴィ・ヴァルタン、ジョルジュ・ゲタリー、クロード・フランソワ、ティノ・ロッシがその夜出席していました。

アメリカのテレビ
 フランクシナトラが後援したルネ・シマールは、1975年3月20日にマイク・ダグラスショーでアメリカのテレビ・デビューを果たしました。 また、彼はモハメッド・アリに、ハワード・コッセル・ショーとマーヴ・グリフィン・ショーで会いました。

アメリカン・ツアー
 1976年、リベラーチェはラスベガスでの一連のショーでルネ・シマールを聴衆に紹介しました。 ルネはラスベガスで演奏しました。 その後、ピアニストのリベラーチェと一緒にアメリカをツアーしました。


 フランスでの成功は、仏系カナダの歌手にとって悲願です。ルネは1974年のクリスマスに、ボーイング747で巨大なクリスマス・ツリーをフランス国民に送りました。また、アメリカのショー・ビジネスの世界で活動できることも、当時13歳だったカナダ人のルネにとって、夢のような成功だったことでしょう! それは全て、第3回東京音楽祭世界大会でのグランプリとフランク・シナトラ賞の受賞か始まったことでした。


<YouTube映像とルネ画像のこと>

 記事の補足としてリンクした過去ログを確認すると、紹介したYouTube映像が削除されて消えていたり、投稿当時画像アップの不具合で苦戦したところが回転して表示されたりで、修正するのにも時間がかかりました。

 現在YouTubeで、デビュー当時から現在に至るまでのルネの映像を、たくさんご覧いただくことが出来ますが、いつ削除されるか分かりません。気に入った映像は、お早目にご覧になるか、映像を保存することをお勧めします。


<当ブログのこと>

▲現在は行われていないteacupの書籍化サービスで作った当ブログの本。カラー版も作ってあり、ルネ記事の記録です。1冊の単価が高いため、5巻以降作っていないまま、書籍化サービスが終了しました(泣)。

 前回の記事の終わりに、「楽しみにしていてください。」と書いて締めくくっていましたが、このブログは、私のライフ・ワークであり、ルネについて調べたことの覚書ですから、この記念誌を読むのを一番楽しんでいるのは、訳している私本人かもしれません(笑)。

 記事の内容の補足の資料は、ほとんど自分のコレクションや過去ログで間に合うようになっていることや、今の方が昔よりも記事が長くなっていることにも驚きました。ただ、1000記事を超えているため、記事のタイトルと投稿した日付けを記録した『ルネ・ノート』で探したり、膨大なコレクションから画像データを探すのに時間がかかっています。過去ログはリンクしてありますので、お時間がございましたら、根気よくご覧ください。

 ブログを開設して早16年・・・。年月の過ぎるのは早いものですね! 「100歳まで生きたい」というルネに負けないように、これからも『継続は力なり』で精一杯頑張りますので、ルネ友のみなさま、末永くお付き合いくださいsymbol1

コメント
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