今日は、息子が通っていた保育園のファミリー運動会。
競技には卒園生のかけっこもあり、招待状が届いていたので行く予定です。久しぶりに保育園時代の友だちに会えるので、息子も楽しみにしています。
夏休み中に、息子は生まれて4度目(息子的には初床屋)の床屋に行って、とうとうルネ・カットを卒業してきました。母としては、お友だちの反応もちよっと楽しみです。ちなみに、先日のボリショイ・サーカスの際、やんばるQさんから「ルネ・シマールから氷川きよしになった」と言われました(笑。)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ルネのことを書いた記事の中には、時々、ルネを一発屋とするものがあって、34年来のルネ・ファンとしては、心中穏やかではありません。しかし、何故その様な認識に至ってしまうのか、ずっと疑問に思ってきました。
当時のルネはカナダのスーパー・アイドルで、来日を望む日本人の強い願いに答えて日本で活動しましたが、活動の拠点はあくまでもカナダ。そして、現在は「シルク、ドゥ・ソレイユ」のショーのプロデュースを手掛け、根強い人気を誇るケベックのスターなのですから。
▲ハンサムに成長した青年ルネ
▲デビュー25周年記念誌より
ケベックのスターであり、良きパパ、良き夫のルネ
しかし、当時の日本人の中には、ルネが『カナダから来て日本でデビューした外人タレント』と勘違いしていた方がたくさんいらしたのではないかと思われます。
何故なら、当時の日本は外国人タレントブーム(外タレ・ブーム)で、香港や台湾から来たアグネス・チャンや欧陽菲菲、リンリン・ランラン、テレサ・テン等が続々とデビューし、日本語の歌を歌って人気が出ていました。しかし、来日する欧米の歌手は、母国でヒットしている英語や仏語の歌を歌っていたのです。そんな中、カナダのヒット曲がありながら、日本語の曲を歌っていたルネは、日本でデビューしたと思われてもしかたがないかもしれません。もちろん、ルネの歌唱力に注目し、東京音楽祭世界大会に出場させ、日本で売り出そうと考えたのが川添象郎氏で、氏が作曲を依頼したのがALFAレコード社長の村井邦彦氏だったということもあるでしょう。
そして、過去ログ『ルネも新人賞候補?!』で紹介した記事では、ルネを1974年のレコード大賞新人賞候補の一人として名前をあげているのです。くどいようですが、ルネはカナダの歌手。村井氏が最優秀作曲者に選ばれることはあっても、ルネが日本の歌謡界の賞候補にあげられるわけはありません。でも、この記事を読んだ方は、きっと、ルネはアグネスたちと同じく、日本でデビューした外人タレントと思ったに違いありません。
※過去ログ『ルネも新人賞候補?!』
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/292.html
※YouTue映像から『ミドリ色の屋根』
http://jp.youtube.com/watch?v=bK5YX-KbjwI
また、1974年6月30日に開催された第3回東京音楽祭世界大会出場のための来日から、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」が閉鎖になった1976年8月31日までを、ルネの変声前における実質的な日本での活動期間と考えても『2年と4ヵ月と5日』。そして、過去ログで『来日は4回のみ』と書いてきましたが、来日した日数に至っては、改めて調べてみて驚きました。たったの『88日間』しかなかったのです! それも、最初の1年で4回来日し、それ以降は1年以上、レコードの発売だけで来日も無し。『ミドリ色の屋根』のインパクトがものすごかっただけに、ルネに対する認識が、ファンとそうでない人では違ってきてもしかたのないことだと思います。
<来日の記録>
♪1回目の来日
1974年6月26日~7月13日(19日間)
・第3回東京音楽祭世界大会に出場
・『ミドリ色の屋根』のプロモーション
♪2回目の来日
1974年8月22日~9月20日(30日間)
・ファースト・コンサート
・待望の第2弾『小さな生命』のプロモーション
♪3回目の来日
・1975年1月7日~1月20日(14日間)
・新曲『愛の翼をひろげて』のプロモーション
♪4回目の来日
1975年3月19日~4月12日(25日間)
・スプリング・コンサート
・映画『ルネ・オン・メロディ』の劇場公開
・新曲『君のすべてがほしい』のプロモーション
<発売されたレコードの記録>
♪1974年
6.21 シングル「ミドリ色の屋根」 SOLB-154
9. 1 シングル「 小さな生命」 SOLB-174
10. 1 LP「 ミドリ色の屋根・RENE」 SOLL-88
11.21 LP「ルネの魅力のすべて」
ルネ・ファーストアルバム(ライブ)SOLL-96
12.21 シングル「愛の翼をひろげて」 SOLB-207
♪1975年
3.21 シングル「君のすべてがほしい」 SOLB-231
4. 1 LP「ルネ、君のすべてがほしい」 SOLL-129
7. 1 シングル「去年の夏」 ルネ SOLL-151
7. 1 LP「去年の夏」 SOLB-285
9.21 シングル「みんなあなたに」 SOLB-315
11. 1 LP「ルネ・ヒット全曲集」 SOLL-174
♪1976年
7.21 第21回モントリオール
・オリンピック大会テーマ曲
シングル「モントリオール讃歌 ルネ」 06SH20
●コンパクトLP 33 1/3(収録曲4曲)
1974年
小さな生命・ミドリ色の屋根 ルネ SOLD-56
ルネ クリスマス・ベスト・ヒット SOLD-61
1975年
君のすべてがほしい 愛の翼をひろげて SOLD-66
ルネの日本での活動期間は2年4ヵ月と5日、来日4回、滞在日数88日。発売されたレコードは、シングル7枚、LP5枚、コンパクトLP3枚。
カナダの歌手であるはずのルネが、日本で未だに語り続けられているのは、第3回東京音楽祭世界大会で『ミドリ色の屋根』を歌ったルネが、聴く者に深い感動を与え、日本人の心に強烈な印象を残したからに相違ありません。
競技には卒園生のかけっこもあり、招待状が届いていたので行く予定です。久しぶりに保育園時代の友だちに会えるので、息子も楽しみにしています。
夏休み中に、息子は生まれて4度目(息子的には初床屋)の床屋に行って、とうとうルネ・カットを卒業してきました。母としては、お友だちの反応もちよっと楽しみです。ちなみに、先日のボリショイ・サーカスの際、やんばるQさんから「ルネ・シマールから氷川きよしになった」と言われました(笑。)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ルネのことを書いた記事の中には、時々、ルネを一発屋とするものがあって、34年来のルネ・ファンとしては、心中穏やかではありません。しかし、何故その様な認識に至ってしまうのか、ずっと疑問に思ってきました。
当時のルネはカナダのスーパー・アイドルで、来日を望む日本人の強い願いに答えて日本で活動しましたが、活動の拠点はあくまでもカナダ。そして、現在は「シルク、ドゥ・ソレイユ」のショーのプロデュースを手掛け、根強い人気を誇るケベックのスターなのですから。
▲ハンサムに成長した青年ルネ
▲デビュー25周年記念誌より
ケベックのスターであり、良きパパ、良き夫のルネ
しかし、当時の日本人の中には、ルネが『カナダから来て日本でデビューした外人タレント』と勘違いしていた方がたくさんいらしたのではないかと思われます。
何故なら、当時の日本は外国人タレントブーム(外タレ・ブーム)で、香港や台湾から来たアグネス・チャンや欧陽菲菲、リンリン・ランラン、テレサ・テン等が続々とデビューし、日本語の歌を歌って人気が出ていました。しかし、来日する欧米の歌手は、母国でヒットしている英語や仏語の歌を歌っていたのです。そんな中、カナダのヒット曲がありながら、日本語の曲を歌っていたルネは、日本でデビューしたと思われてもしかたがないかもしれません。もちろん、ルネの歌唱力に注目し、東京音楽祭世界大会に出場させ、日本で売り出そうと考えたのが川添象郎氏で、氏が作曲を依頼したのがALFAレコード社長の村井邦彦氏だったということもあるでしょう。
そして、過去ログ『ルネも新人賞候補?!』で紹介した記事では、ルネを1974年のレコード大賞新人賞候補の一人として名前をあげているのです。くどいようですが、ルネはカナダの歌手。村井氏が最優秀作曲者に選ばれることはあっても、ルネが日本の歌謡界の賞候補にあげられるわけはありません。でも、この記事を読んだ方は、きっと、ルネはアグネスたちと同じく、日本でデビューした外人タレントと思ったに違いありません。
※過去ログ『ルネも新人賞候補?!』
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/292.html
※YouTue映像から『ミドリ色の屋根』
http://jp.youtube.com/watch?v=bK5YX-KbjwI
また、1974年6月30日に開催された第3回東京音楽祭世界大会出場のための来日から、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」が閉鎖になった1976年8月31日までを、ルネの変声前における実質的な日本での活動期間と考えても『2年と4ヵ月と5日』。そして、過去ログで『来日は4回のみ』と書いてきましたが、来日した日数に至っては、改めて調べてみて驚きました。たったの『88日間』しかなかったのです! それも、最初の1年で4回来日し、それ以降は1年以上、レコードの発売だけで来日も無し。『ミドリ色の屋根』のインパクトがものすごかっただけに、ルネに対する認識が、ファンとそうでない人では違ってきてもしかたのないことだと思います。
<来日の記録>
♪1回目の来日
1974年6月26日~7月13日(19日間)
・第3回東京音楽祭世界大会に出場
・『ミドリ色の屋根』のプロモーション
♪2回目の来日
1974年8月22日~9月20日(30日間)
・ファースト・コンサート
・待望の第2弾『小さな生命』のプロモーション
♪3回目の来日
・1975年1月7日~1月20日(14日間)
・新曲『愛の翼をひろげて』のプロモーション
♪4回目の来日
1975年3月19日~4月12日(25日間)
・スプリング・コンサート
・映画『ルネ・オン・メロディ』の劇場公開
・新曲『君のすべてがほしい』のプロモーション
<発売されたレコードの記録>
♪1974年
6.21 シングル「ミドリ色の屋根」 SOLB-154
9. 1 シングル「 小さな生命」 SOLB-174
10. 1 LP「 ミドリ色の屋根・RENE」 SOLL-88
11.21 LP「ルネの魅力のすべて」
ルネ・ファーストアルバム(ライブ)SOLL-96
12.21 シングル「愛の翼をひろげて」 SOLB-207
♪1975年
3.21 シングル「君のすべてがほしい」 SOLB-231
4. 1 LP「ルネ、君のすべてがほしい」 SOLL-129
7. 1 シングル「去年の夏」 ルネ SOLL-151
7. 1 LP「去年の夏」 SOLB-285
9.21 シングル「みんなあなたに」 SOLB-315
11. 1 LP「ルネ・ヒット全曲集」 SOLL-174
♪1976年
7.21 第21回モントリオール
・オリンピック大会テーマ曲
シングル「モントリオール讃歌 ルネ」 06SH20
●コンパクトLP 33 1/3(収録曲4曲)
1974年
小さな生命・ミドリ色の屋根 ルネ SOLD-56
ルネ クリスマス・ベスト・ヒット SOLD-61
1975年
君のすべてがほしい 愛の翼をひろげて SOLD-66
ルネの日本での活動期間は2年4ヵ月と5日、来日4回、滞在日数88日。発売されたレコードは、シングル7枚、LP5枚、コンパクトLP3枚。
カナダの歌手であるはずのルネが、日本で未だに語り続けられているのは、第3回東京音楽祭世界大会で『ミドリ色の屋根』を歌ったルネが、聴く者に深い感動を与え、日本人の心に強烈な印象を残したからに相違ありません。