ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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モントリオール讃歌④

2007年04月30日 | モントリオール讃歌
    ♪モントリオール・オリンピックの光と影♪

 モントリオール・オリンピックに関するァン・クラブの記事で、カナダでストライキが起きメインスタジアム等の工事が大幅に遅れ、開会式までに完成するかが危ぶまれていることが書かれていました。(※1)しかし、ルネのことしか頭になかった私は、あまり重要なこととは思っていませんでした。

 また、モントリオール大会は、女子体操でルーマニアのナディア・コマネチが10点満点を出し、「白い妖精」とうたわれ話題をさらいました。かく言う私も、美しく宙を舞うコマネチに魅了されたのでした。新聞各紙が大きく写真を掲載し、10点満点の演技が再び出ることに注目が集まり、連日報道されていたことを鮮明に覚えています。
  
 しかし、その当時モントリオールでは、市長が計画したオリンピック・スタジアム等の建設が原因で膨大な費用がかかり、市の財政をも圧迫したそうです。そして、スタジアムの建築デザインがとても難しかったこともあり、ストライキが起きたり市の税金が上がったりで、市はオリンピック開催のために大変な状況におかれたといいます。お金をかけて建設したスタジアムは、完成されないままオリンピックの開会式を迎え、オリンピックの後も天井が落ちてきたりして、モントリオール市民にとって憎んでも憎みきれないものとなってしまいました。その後大きな洪水に見舞われたこともあり、モントリオール市がその全ての借入金を払い終えたのは、なんと2006年、つまり昨年ということです。オリンピックという華やかな祭典の影で、モントリオール市民は、高い税金と、修理されない道路や怠られがちなゴミの収集等で散々な目に遭っていたというのは有名な話だそうです。


      ♪”モントリオール讃歌”の謎♪

Maple Mates会誌「メープル・ひろば」より

 今日久しぶりにルネの新しいレコードを手にしました。”モントリオール讃歌”わたしとっても気に入っちゃった。若いカナダにふさわしく、とってもリズミカルでエネルギーにあふれていると思います。今さらのようにオリンピックっていいなーって感じています。もちろん18日の開会式は朝の4時からがんばって見ていたのです。日本やカナダの入場行進、エリザベス女王の開会宣言、そして今でも私の目に浮かぶ、男女2人のランナーによってつけられて聖火、どれものがさず見ていたのです。が・・・、最も楽しみにしていたルネの歌、歌われたことは確かなのに、私にはわからなかったのです。みじめ・・・。他の人にはちゃんとわかったのに私にはわからなかったのです。これでは私、ルネのファン失格ですね。はるか彼方にいるルネにあやまらなくては・・・。私の声がとどけばいいのですけど”ルネごめんなさい”

 これは、当時ファン・クラブMaple Matesの会誌に掲載されたファン・レターの中の一部分です。私もルネ・ファンの友人や知人も同じ経験をしています。大会中には曲が流れるのではないか、総集編等で開会式の様子がもう一度映され、見そびれたルネの映像が観られるのではないか、閉会式にはルネが映るのではないかと、できる限りオリンピックを見続けましたが、”モントリオール讃歌”が流れることもなく、ましてやルネの姿は一度もテレビに映ることはありませんでした。

 ルネのモントリオール・オリンピックのテーマソング”モントリオール讃歌”がボイコットされ、それによって他の歌手が他の曲を歌ったと、カナダ政府のサイトに書かれています。しかし、ルネが”モントリオール讃歌”を歌っていたことは事実で、現在YouTubeで公開されているvideosimardのオリンピック映像の最後にも、ルネがモントリオール大会の五輪のマークのあるステージで歌う画像があります。
http://www.youtube.com/watch?v=NVhhf5ogxeQ

 不思議なことに、videosimardのシャンタルさんでさえボイコットの事実は知らず、大使館の資料にもその話は無く、ボイコットの事実はあり得ないという情報もいただきました。前回紹介した新聞記事でも、現地で取材に当たった特派員が直接ルネにインタビューし、”オリンピック歌手に選ばれて光栄”と答えたことを報じています。(※2)また、これはあくまで私個人の憶測でしかないのですが、当時盛んだったケベック州の独立運動や、イギリス系とフランス系の確執というカナダの歴史的背景も影響しているのではないかと思います。

 ボイコットがどのような理由で、どの時期に起こった事なのか、実際にあったことなのか謎のままです。

 また、”モントリオール讃歌”は評判が良くなくて、あまり使われる事は無かった。そしてそれは、つまらなくてあまりにも商業主義な内容だったからだと書かれた記事も有るようですが、ルネの作詞による英語詞を読んだ時、私は、夢と希望にあふれた内容で、世界平和や人々の協力を願った素晴らしい歌だと思いました。(※3)それなのに、「商業主義」と言われてしまった背景には、ギー氏のプロデュースや当時のモントリオール市長の運営への評価が大きく関わっているのではないかと考えてしまいました。
 そして何よりも、あの当時のルネの人気は絶大なもので、特に仏系カナダのケベックでは、ルネに恋していない女の子なんていないというほどだったそうでから、例えボイコットが事実だったとしても、それはルネに問題があったからではないと確信しています。


※1 過去ログ「モントリオール讃歌②」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/116.html

※2 過去ログ「モントリオール讃歌③」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/117.html

※3 過去ログ「モントリオール讃歌①」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/114.html

※ 余談ですが、モントリオール・オリンピック当時、ルネ・ファンの一部の間では、ナディア・コマネチがルネに似ていると話題になって、彼女は人気がありました。


コメント (2)
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