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そこに日本人がいた!
(海を渡ったご先祖様たち) 熊田忠雄(著)H19年12月発行
交通手段もなく、頼るべき同胞もいない時代に、波濤万里を越え、未知なる地
をめざした日本人の存在があった。
彼らは何を思い、何に駆られて祖国を離れたのか?
著者は、そんな興味を抱き、世界各地に一番乗りした日本人の足跡を辿って
調べている。
遣唐使、遣隋使時代から公務を帯びて海を渡った者、漂流民、人身売買、
組織的海外移民などを除き、あくまでも単独、少人数で自分の意思で
新天地をめざした者たちを主人公としている。
現在は、世界の何処に行ってもチャイニーズレストランがあり、中国人の
世界進出は承知していたが、この本を読むと、
日本人もなかなかやるもんだ、と感心してしまう。
第1話の南アフリカ/ケープタウンに始まり、第22話セーシェル/ビクトリア
まで、アフリカ、南北アメリカ、ユーラシア、ヨーロッパ、ニュージーランド
と、世界地図のほぼ全域を網羅した逸話の数々は、興味深かった。
特に明治の人たちの豪胆な行動力には驚かされる。
例えば、娘が行きたがっている「マダガルカル」も第8話に登場。
アフリカ大陸東南端のインド洋に浮かぶマダガスカル島の北端の港町には、
「赤碕伝三郎」と妻チカ子が、明治37年に渡っている。
伝三郎は家業が破産、多額の借金を抱え、その返済の為にやむなく海を渡り
東南アジア各地を点々とした後、ボンベイ(ムンバイ)から、この島に向か
った。ここでフランス海軍相手の小さなカフェを開き、気の利いた料理、
値段の安さで、活況を呈すようになる。その後も奮闘努力を重ね、伝三郎は
日本での借財を全て返済、更に、かの地で資産を築き、信用も得る。
そして、遠く離れた祖国に大いに貢献することになる。
というのも、明治37年、日露戦争勃発の時期、
日本との海戦に参加するロシアのバルチック艦隊がディエゴ・スアレスの港に
入港したのだ。(当時マダガスカルがフランス領だったため)
敵の艦隊入港に、日本人伝三郎の血が騒ぐ。
艦隊の隻数、戦艦の種類、兵員数を極秘に調べ上げ、はるかインドのボンベイ
にある日本領事館駐在武官東乙彦宛に日本語(ローマ字綴り)で打電。
この後も、ロシア人乗組員相手に商売を続け、情報を入手、貴重な情報を
送り続けた。
翌年5月の日本海海戦での連合艦隊の勝利には、伝三郎の活躍も少なからず
役立った。戦後、帝国海軍は伝三郎の愛国的行為に対し、丁重な感謝状を
贈ったそうだ。
西木正明の小説『アイアイの眼』は、この赤碕伝三郎が下敷きとなっている、
と著者はいう。
この章以外にも、面白いエピソード、先人の逞しさ、勇気に感心するのだが、
女性を扱った話が少ないのが淋しい。
イタリア/パレルモの『ラグーサお玉さん』や
ラオスの『電気婆さん』『虎御前』などが描かれているくらいである。
また、トルコ/イスタンブールの章に取り上げられているトルコの日本贔屓
の理由については、更に別の本で詳しく読んでみようと思っている。
これだけ遠い国の、大昔のこと、当時の資料を収集するだけでも大変だった
ろうと、著者の「日本人探しの旅」の行程に想いを馳せながら読みました。
わがまま母
(海を渡ったご先祖様たち) 熊田忠雄(著)H19年12月発行
交通手段もなく、頼るべき同胞もいない時代に、波濤万里を越え、未知なる地
をめざした日本人の存在があった。
彼らは何を思い、何に駆られて祖国を離れたのか?
著者は、そんな興味を抱き、世界各地に一番乗りした日本人の足跡を辿って
調べている。
遣唐使、遣隋使時代から公務を帯びて海を渡った者、漂流民、人身売買、
組織的海外移民などを除き、あくまでも単独、少人数で自分の意思で
新天地をめざした者たちを主人公としている。
現在は、世界の何処に行ってもチャイニーズレストランがあり、中国人の
世界進出は承知していたが、この本を読むと、
日本人もなかなかやるもんだ、と感心してしまう。
第1話の南アフリカ/ケープタウンに始まり、第22話セーシェル/ビクトリア
まで、アフリカ、南北アメリカ、ユーラシア、ヨーロッパ、ニュージーランド
と、世界地図のほぼ全域を網羅した逸話の数々は、興味深かった。
特に明治の人たちの豪胆な行動力には驚かされる。
例えば、娘が行きたがっている「マダガルカル」も第8話に登場。
アフリカ大陸東南端のインド洋に浮かぶマダガスカル島の北端の港町には、
「赤碕伝三郎」と妻チカ子が、明治37年に渡っている。
伝三郎は家業が破産、多額の借金を抱え、その返済の為にやむなく海を渡り
東南アジア各地を点々とした後、ボンベイ(ムンバイ)から、この島に向か
った。ここでフランス海軍相手の小さなカフェを開き、気の利いた料理、
値段の安さで、活況を呈すようになる。その後も奮闘努力を重ね、伝三郎は
日本での借財を全て返済、更に、かの地で資産を築き、信用も得る。
そして、遠く離れた祖国に大いに貢献することになる。
というのも、明治37年、日露戦争勃発の時期、
日本との海戦に参加するロシアのバルチック艦隊がディエゴ・スアレスの港に
入港したのだ。(当時マダガスカルがフランス領だったため)
敵の艦隊入港に、日本人伝三郎の血が騒ぐ。
艦隊の隻数、戦艦の種類、兵員数を極秘に調べ上げ、はるかインドのボンベイ
にある日本領事館駐在武官東乙彦宛に日本語(ローマ字綴り)で打電。
この後も、ロシア人乗組員相手に商売を続け、情報を入手、貴重な情報を
送り続けた。
翌年5月の日本海海戦での連合艦隊の勝利には、伝三郎の活躍も少なからず
役立った。戦後、帝国海軍は伝三郎の愛国的行為に対し、丁重な感謝状を
贈ったそうだ。
西木正明の小説『アイアイの眼』は、この赤碕伝三郎が下敷きとなっている、
と著者はいう。
この章以外にも、面白いエピソード、先人の逞しさ、勇気に感心するのだが、
女性を扱った話が少ないのが淋しい。
イタリア/パレルモの『ラグーサお玉さん』や
ラオスの『電気婆さん』『虎御前』などが描かれているくらいである。
また、トルコ/イスタンブールの章に取り上げられているトルコの日本贔屓
の理由については、更に別の本で詳しく読んでみようと思っている。
これだけ遠い国の、大昔のこと、当時の資料を収集するだけでも大変だった
ろうと、著者の「日本人探しの旅」の行程に想いを馳せながら読みました。
わがまま母