38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

ジョーロは、如雨露か。

2010年09月19日 | 農と暮らしの日記
いま、毎日使っているジョーロ。
ジョーロというと改まった感じがして、この辺りでは普通、「ジョロ」と言っているような気がする。となると、「ジョロってなんじょろ?」というコマーシャルの声が聞こえてくるが、それはこの際あまり気にしないほうがよさそうだ。漢字で書くと「如雨露」で、このブログでもたいがいこの漢字を使っている。でも、あらためて考えてみると、「雨のごとき露」を野菜たちに与えることになっているこのジョーロ、いやいや雨のごときってことはないだろうと突っ込みたくなる。雨のほうが百倍いい。

だいたい、ジョーロはただの道具である。
僕が水を入れて畑の中を持って歩かないと仕事にならない。ただ歩くだけではもちろんダメで、畝の上のしかるべき場所に、しかるべき角度で、しかるべき量の水が落ちるように歩かないと意味がない。それが、毎朝、毎夕2~3時間の仕事としてはかなりしんどい。ジョーロが勝手に水を汲み、しかるべく水を野菜たちに与えてくれ、日が暮れて「ただいま~」と帰って来てくれたら、「やあ、おつかれさま」とか言ってヱビスビールを満タンにしてやってもいい。というのは嘘で、ヱビスは自分で飲んだほうがいい。

ただ、写真のこのジョーロは、わりといい。
勝手に水やりしてきてくれたりはしないけど、就農して3つ買ったジョーロの中ではヒット。たぶん2年目くらいに買って、3年以上は使っている。あとの2つは石油化学製品で、これはいわゆる「ブリキ」製だろうか、普通こういう金属製のは「ファッション」的な感じがしてすぐに壊れそうなのだけど、僕もすぐ壊れるかもと思いつつ、市街地のホームセンターで買った。

ところが、意外とこれがあたりだった。
ジョーロにはたぶん、絶対的な善し悪しというのはなくて、その用途、使い方に合うかどうかという部分が大きいと思う。水の容量、重さ、角度、蓮口(はすぐち穴がいっぱい開いた水の出るところ)、などなど。このジョーロのとくにいいところは、ごみが入ったときに「漉す」ための網が水を汲むところの入り口、つまりジョーロの上部の大きな開口部についていることだ。多くのジョーロはいったん水が入って、蓮口のほうへ水を送るところに「漉す」ための網がついている。これでは、ここにごみが詰まったときに、水が出なくなってしまう。このジョーロは最初にごみをこしてくれるので、用水路に突っ込んで水を汲むときなどにとくに便利だ。中に入っている水は常にごみのない状態なので、蓮口が詰まることはほとんどない。蓮口は一度壊れてしまい、注文でとった2つ目。



世の中3連休の中日、日曜日。快晴。日中は30℃以上。
午前:ごはん、水やり2時間、畑の枯れ草を焼く。トラクタ耕耘。ごはん。
午後:早生の玉葱の播種(育苗)、水やり3時間。19時あがり。



朝晩は少し涼しくなったけれど、いかんせん雨がないのがつらい。
8月のような猛暑のままでいいから、雨がほしい。いま、欲しいのは雨か涼しさかと訊かれたら、絶対に「雨」だ。世の中は朝晩が涼しくなったことでほっとしているような気配を感じる。しかし、農家の多くは「それがどうした」というのが本音ではないだろうか。NHKのニュースで先日、西条市内の茄子農家が、今年は雨が少ないために例年は週1回程度だった畑への水の引き込みを2~3日おきにしている、それでも秀品率が下がっているというのを伝えていた。同じニュースで別の農家は、キャベツの活着が悪いので植え付けが思うように進まないという。

茄子もキャベツも、うちでもそれぞれ事情は同じ。
ただ、それぞれ量が少ないから、致命的に大問題という意識がない。そうした作物で「稼いでいる」農家は本当に大変だと思う。うちもそれぞれ、それらの積み重ねで稼いでいるわけだけれど、分散しているから深刻な感じにならない。それがよいとも言えるし、結局はその積み重ねで深刻なわけだからよくないとも言える。
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