昨日は子連れでスキーに出かけていて、ツイッターを携帯電話経由で確認するのみで終わったのですが、ツイッターを見ていると、もう、次々に橋下市政に関するひどい話が出てきますね。フォローさせていただいているみなさんから、次々に橋下市長から出される方針のひどさが伝わってきます。
昨日、「これはとんでもない!」と思ったのは、橋下市長が市職員に出したアンケート調査の一件。市の職員労組の政治活動に関する調査をアンケートでするそうですが、「これはいったい、なんですか? 市職員の思想調査ですか? 自分に敵対する市職員をひとりひとりあぶりだすための調査ですか?」としかいいようのない代物。この橋下市長のやっていること、ほんとうにひどいとしか言いようがないです。
就任からまだ2か月もたたないのに、このひどさ。前代未聞というしかありません。なぜこんなことをする人を新しい政治の担い手として持ち上げることができるのか、私には理解できません。マスメディアもどうして徹底的に批判・反対することができないのか、不思議です。
だいたい、この調査、アンケートといいながら、名前と職員番号を書かせる形の書式になっているようです。だから、これは事実上、誰がどのような回答したかを特定可能な形で行う調査です。なおかつ、これを各部局の長の職務命令を出して、回答させるような形になっているようです。これではまるで「踏み絵」ではないですか。また、特別顧問がかかわっている弁護士事務所を「通報窓口」にして、市の職員労組の政治活動に関する情報を伝えることを求めている。これじゃ「密告奨励」のようなものですよね。
さらに、特別顧問を中心とした外部の人によるチームがその情報を扱う、それ以外の人がこの調査結果を扱うことはまかりならぬ、ということも一応、文書にはでているようです。でも、だからといって、その調査結果をあとあと個人を特定して攻撃する材料に使わないなんて、誰が信じますか。
つい先日、市職員労組の政治活動に関する内部告発情報が、大阪維新の会の市議経由で、テレビのニュースなどで流れたところではないですか。この特別顧問経由で市長にアンケートの結果が流れ、その結果を市長が特定の市職員の攻撃材料に使う危険性があることなど、きわめて明白です。
そして、すべての市職員に回答をもとめる調査を行う以上、今までは単に市の職員労組に対する攻撃だったかもしれませんが、この調査は反対派の市職員だけでなく、ひそかに橋下市長や大阪維新の会を支持している市職員も含めて、すべての市職員を潜在的な「敵」として、その「敵」に対する攻撃をしかけたということができます。
それこそ平松氏の支持に回った市職員もいるかもしれませんが、維新の会の集会に参加した市職員もいるかもしれないし、W選挙のときに橋下市長の選挙チラシを配布した市職員も、選挙演説を聴きに行った市職員もいるかもしれません。そういう人にも調査をしているわけですよね。そして、無党派だという層、選挙に行かなかった層だって、市職員のなかにはいる。こういう人も全部ひっくるめて、この調査、市職員の思想や政治行動を調査するものではないんですかね? ここを、市長は、特別顧問は、いったいどう考えるんですか? だから、なぜこんなことをするのか。こんなやり方ばかりしていたのでは、本来、味方になるはずの市職員ですら敵に回すのではないか。そうとしか私には思えません。
一方、この調査結果、特別顧問を中心とする外部の人のチームで扱うとのことですが、いったい、特別顧問や外部の人たちはどんな法的な位置づけでこんな作業に従事することが認められているのでしょうか。
また、この件を扱う特別顧問も橋下市長と同じく弁護士ですが、いったい、こういう作業を市長に求められて行うことに、弁護士としての良心は何もとがめないのでしょうか。あなたの法的な知識やスキルは、こんな市長のもとで、こんな作業をするために磨かれ、蓄積されてきたものなのでしょうか。
特別顧問等の肩書で橋下市政に協力している専門家の方々、こんな市長を止めることができないような、こんな市長に批判や反対の声をあげることすらできないような、あなたたちの思想や良心、見識もまた、今、問われているのです。
あなた方は、市長のそばについていて、いったい、何をしたいのですか? あなた方はいったい、だれのために、なんのために大阪府市の改革に携わっているのですか?
あらためて私は、このことを言っておきたいと思います。自分の思いこみで突っ走る首長だけでなく、それをとめることすらしない、できない「側近たちの責任」。この両方を、今後は問う必要があると思います。
そして、ここ最近、ツイッターやインターネットの情報を見てると、国旗国歌問題に過剰に反応すると橋下陣営の思うつぼになるから、そこはやりすごして反橋下の動きを作るべきだ、というような主張をする人を見かけました。
しかし、私がその人たちに言いたいのは、「この思想調査、反対派のあぶり出しのような市職員へのアンケート記入強制の動きを見て、まだそんなこと言うのですか?」「この調査、国旗国歌の問題とは別の次元でしかけられてますが、それでもまだ同じこと言いますか?」ということ。
私の考えでは、橋下氏側は、あるテーマで自分らの動きに反対する人を抑圧したら、次は別の観点から自分らを反対する人を抑圧しにかかります。きっと、橋下氏側は、とにかく「敵」と名指しできる勢力を見つけて、それを攻撃することで自派を固めていく。そういう動き方をするるのでしょう。だから、ひとつの「敵」を見つけてつぶせば、次を探すことなど、容易に想像できます。その「敵」の対象は、彼らの目指す方向が変われば、いくらでも見つけ出せるはずです。
そう考えれば、できるだけ早い段階で、彼らに対して、ある問題で反対の声、抗議の声を上げた人を大事に守ることが、別の立場から反対や抗議の声を上げる人を守ることにもつながるのではないのでしょうか? なぜそうは考えないのでしょうか?
結局のところ、「あの人らといっしょに自分は攻撃を受けたくない」「自分らはあの人らといっしょに見られたくない」ということが潜在的に意識のなかにあるからこそ、向こうから仕掛けてくる「分断」の策略に、先ほど書いたような意見の人たちが一番「はまってしまう」のではないかと思うのですが。
このような次第で、こういうときこそ、「これはおかしいのではないか?」「こんなこと、やってはいけない!」と、立場の違いを越えて、いろんな層から声をあげていくべき時ではないかと思います。いまこそ、私たちは、橋下市政や大阪維新の会の動きなどに対する批判や反対の声を絶やしてはいけません。