できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

学校・教育行政への苦情対応にかかわって

2012-01-11 19:58:47 | いま・むかし

http://www.kyoto-seika.ac.jp/event/kiyo/pdf-data/no23/sumitomo.pdf

これは以前、うちの大学の紀要に書いた論文。子どもの人権オンブズパーソンで仕事をしていたときに経験した「学校・教育行政への苦情対応」のことについてまとめたもの。

このなかで私は、学校の教員の子どもへの不適切な対応や、子どもとかかわらせていることが「不適格だ」と思われる教員の存在に対して、その苦情をあるルールのもとに適切に処理し、その教員への指導を改善したり、人事異動等などの形で対応するシステムを整備すること。そのことについての両義性を指摘しました。

つまり、実際に子どもの側に立ってこの課題をとりあげてみれば、子どもへの教員の不適切な関わり方を改善したり、改善が見られなければその教員の異動や処分を行うというシステムは、それ相応の正当性をもっている。

がしかし、そのシステムがどういう手続きで導入され、どういう手続き的ルールのもとに運用されるのか。そこについてきちんとした検討を行わなければ、そのシステムを乱用して、「とにかく誰か教員をクビにしたい、転任させたいとき」に恣意的にシステムが使われるなど、別の問題への処理に使われる危険性が残る。そして、そのような恣意的なシステム運用の結果、かえって学校の教育環境が悪くなることだって十分予想される、ということです。

今までもブログに書いてきたように、学校事故・事件の被害者・遺族の方々と私、いろいろ関わりが深い立場にあって、「このまま、この人を教員として仕事させていていいの?」と思うような教員がいることも重々承知しています。「あの教員、何も教育行政からの指導や再研修もないまま、学校に居続けさせるのは、まずいでしょう」というケースがあることも、子どもの人権に関する課題に取り組んでいると、よく見聞きします。

ですが、下記の記事にあるような橋下市長が導入しようとしているシステムは、そういう被害者遺族側の願うようなものを実現させるために、教員を異動させたり、これまでの子どもとの関わり方を改善させたりするシステムとして、はたして本当に機能するのかどうか。

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120111-OYO1T00781.htm?from=main1 (橋下大阪市長、道徳教育の内容監視機関を設置の意向:読売新聞2012年1月11日づけ配信記事)

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120110-OYO1T00768.htm?from=newslist (不適格教員、保護者が申告、大阪市教育条例案:読売新聞2012年1月10日づけ配信記事)

むしろ、「教育基本条例案」や「学校統廃合」への抵抗勢力を排除するなど、自分たちの教育改革の路線に従わない教員を排除するために、今後、「保護者の声」を積極的に武器として使うぞ、と言っているだけにすぎないのではないか、という気がしてなりません。

なにしろ、橋下市長は知事時代、下記のブログが書いているように、体罰容認発言を行っていたことが知られています。このブログなどを見ている限り、今のところ、彼には子どもの人権を尊重するという姿勢はあまり見られません。このような体罰容認の論理を前提とする人のつくる苦情対応システムでは、いわゆる教員の暴行、過剰な叱責・暴言等が背景にあって生じるような子どもの「指導死」(指導を背景にした子どもの自殺)のようなケースは、どこまでまともな対応をしてくれるのか怪しいところです。

http://blog.livedoor.jp/hotforteacher/archives/51721036.html

とすれば、たとえば学校事故・事件の被害者・遺族の側が願っているような、子どもの人権を守らないような「不適格」教員の対応、教員の不適切な子どもへの指導については、彼らのつくるシステムでは対応しないとか、あるいは対応してもまともにとりあげない危険性が残ります。そこのところを、よくまちがえないでほしいと、私はいま、切実に思っています。

もう少しこの話を広げて言うと、今の学校や教育行政のあり方に何らかの形で不満を持ち、現状を変えよう、変えてほしいという願いをもつ人の気分をうまくすくい上げる形で、一見、それに寄り添ったような形をとりながら、全然別のねらいをもつシステムを導入していく。その結果、子どもや保護者、学校現場や各地域などに、新たな混乱と緊張、葛藤をもたらしていく。それが、今、大阪市内や大阪府内で進められようとしている教育改革の動きなのです。そこのところを、今、私たちは冷静に見つめ続けなければいけないのではないか、と思います。

と同時に、学校関係者や教育行政の関係者、そして私を含む教育学の研究者に言えることですが、ある種の「自浄作用」というものが働いて、ほんとうに子どもの人権を尊重する学校や教育行政、あるいはこれを支える教育学を創りなおして再出発しようと全力で尽くさない限り、たとえ「教育基本条例案」を撤回させても、第2、第3の形で、人々の学校や教育への不満をうまくすくい上げて、それを全然別の方向に持っていくような、そんな諸勢力の動きが登場してきます。そのことをどこまで私たちが自覚できているのか、ここも今、問われているような気がしてなりません。


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だんだん「教育基本条例案」に対する説明が混乱してきましたね。

2012-01-11 06:51:40 | ニュース

http://www.youtube.com/watch?v=JbycO-Gblc8

橋下市長や松井知事の出るテレビ番組は極力見ない、なおかつ、大阪維新の会の「広報」のようなテレビ番組や、彼らのお仲間タレントの出る番組は極力見ないということに今はしているのですが、ツイッターや電子メールなどで、私のところにもいろんな彼らのテレビでの動きに関する情報が入ってきます。

それで、上のユーチューブの動画。これは今週月曜日(2012年1月9日)の毎日放送のテレビ番組に橋下市長が出演したときの「教育基本条例案」についてのコメントです。さっそく、これだけは私も見ておくことにしました。

感想を今の時点で一言だけ言っておくと、「ああいえばこういう」という形で、アナウンサーからのさまざまな質問をはぐらかしているだけ。饒舌にいろんなことを語っていますが、質問されたことに対して、肝心のことについては何も答えていないような印象です。むしろ、答えられないがゆえに、饒舌に「ああいえばこういう」形でごまかしている、とすらうかがえます。

たとえば「条例が通ったときに、市長として教育の目標をどう設定するのか?」という話を振られたときに、具体的なことは何も答えていない。「各学校ごとに定める」と書いていると逃げているか、「国際社会でも就職できる、自立できる子ども」「大阪でメシが食える子ども」というだけ。この後者の話であれば、「あのね、わざわざ教育基本条例つくる必要がどこにあるの?」というだけのことです。

しかもこの程度のことを「首長が選挙で教育について語っているのに、何も目標設定できないのはおかしい」というべきことか。首長が教育委員会と協議して、「こういうことをやってほしい」と伝えれば済む程度でしょう。それこそ、今の学習指導要領にせよ、中教審の答申にせよ、「知識基盤社会」なる言葉を使いながら、グローバリゼーションに対応する教育をやろうとしている面があるわけですから、「あなたが首長としてあらためて言うまでもなく、日本の学校はそっちに教育をシフトしようとしてますよ」とすら言えるわけです。(もちろん、その方向性自体が「ほんとうにいいのか?」という論点もあって、私もそう思っているのですが)

もっといえば「大阪でメシが食える子ども」うんぬんの話は、それこそ、たとえば市長として橋下氏が若者の雇用政策をどうとっていくのか、さらに、雇用政策をとっていくために、中小企業の振興策をふくめた経済政策をどうとっていくのか。そこで市長としてがんばればいい、むしろ学校教育の外で子どもや若者の自立を支援する施策をとればいいわけで、なにもそれだけで学校に対する基本条例をつくる必要はありません。

公立学校の間にも学力格差があるとか、だから学校選択を導入して、という話についても同じ。彼の話は、まったく説明になっていない。なぜなら、学校施設の整備や教員加配、教育予算の重点的な投入など、条件の悪い学校の教育環境をもっと整備することによって、その格差を埋めていくという道もある。なぜ学校選択でないといけないのか、ということについては、あいまいにはぐらかしています。要は学校に、教員に財政支出をしたくない、学校の数や教員の数を減らしたいだけでしょう、と彼は突っ込まれたら、どう答えるのでしょうか。

教員評価の問題も同じ。とにかく何か教員をやめさせることができるしくみをつくりたい、それに沿って、何か合理的な根拠があるかのような形式を整えたいということが、彼のホンネのようです。なにしろ彼はこの番組のなかで、「子どもが学校で評価されるのをやめたら、教員評価もやめる」というような発言もしていますが、「だったら、東井義雄にならって通知表の改善をすれば?」とか思ってしまいますね。なにしろ朝日新聞の年明けの連載を見る限り、市長のアドバイザーで呼んでくるワタミの会長も、東井義雄の教育論が好きなようですし、府の教育委員の陰山英男氏も東井義雄の教育論を評価していますから。

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000131201040001 (書くこと学びの礎:朝日新聞ネット配信記事2012年1月4日)

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000131201030002 (まばたき見逃さず向き合って引き出す個性:朝日新聞ネット配信記事2012年1月3日)

このような形で、だんだん「教育基本条例案」に対する説明が混乱し始めたのではないか、そんな印象を私は受けました。「やっぱり、こんなもんいらない! 白紙撤回して一から出直したほうがいい!」と、「教育基本条例案」をごり押ししようとする人々には言いたいです。


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