tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

母を送った日に思う

2011-09-24 19:13:39 | 日常雑感
今日も穏やかな過ごしやすい一日でした。

今日24日は15年前に亡くなった母の命日です。丁度お彼岸の最中でしたので忘れてしまう事はありません。
母は15年前、同居していた兄の家族と食事を済ませ自分の使った食器を片付けようとした時に「お父さんが迎えに来た」とつぶやくように言うのとその場に崩れるように横になったそうです。

そのまま意識は戻らず、小さな息をしながら25日間生きながらえてくれました。
この25日は私達子供にとりましては貴重でした。母が死んでしまうという現実を回避しようとしている自分と、冷静に受け止めている自分との気持ちの差を埋めるのに、あの25日間の一日一日の積み重ねが、覚悟を決めるのに必要な日数だったのかも知れません。

告別式の当日、兄から、「お前が一番可愛がられていたのだから、親族代表の挨拶をしなさい」と言われ、挨拶をすることになりました。

大急ぎで挨拶を考え書き上げたものが今でも残っておりますし、鮮明に覚えております。

「本日は・・・で始まり、・・・母は明治40年の生まれでございます。今年で丁度90歳という事になります。年には不足はありませんが、やはり、母親の死に直面する悲しさは想像以上のもので私達にはこたえました。
8月31日に倒れて25日間が私達周りの者に覚悟をさせてくれるのに必要な時間であったのかもしれません。そんな母に感謝をしながら送りたいと思っております。
本日は・・・・。」で終った挨拶でしたが、15年経った今でもその時の状況を忘れる事が出来ません。

嗚咽をこられながら必死な思いで挨拶を終えた私にとっては、それだけ母の存在が大きかったといえます。
そんな母に今でも感謝です。


コメント
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