tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

禅語 「萬古清風」

2011-09-17 18:56:58 | 禅語今昔
今日も蒸し暑い一日でしたが、南の海を二つの台風が並んで進んでおります。
今日の稽古のお軸は「萬古清風」でした。


萬古清風 山田無文老師筆

はるか昔から清らかな風が、変わる事無くそよいでいる。
「古来より伝承されている日本の文化伝統を永遠に継続していく。」私はこんな風に理解して拝見しております。

9月15日の毎日新聞の「余禄」に面白い記述が載っていたのでそのまま書いてみます。

「古今著聞集」という書物に嘉保2(1095)年8月の宮中の虫とりの様子が記されている。
帝より侍童や従者に嵯峨野で虫を取ってくるようにとの詔があり、紫色の糸をかけた虫篭を与えられた。-中略―

道中に「野に虫を探す」との歌題が出され、嵯峨野で夕刻までの間虫を探した。内裏へ帰ると、虫と共に萩や女郎花を入れた篭が献上され、宮中は酒宴と歌の朗詠で盛り上がったという次第だ。
虫取りと、虫の音を聞きながらの宴が王朝の半ば公的行事のように行われる国は他にあるまい。-中略―

残暑続く9月、草むらの虫の音が告げてくれる秋の訪れだ。今やその種類を聞き分けられる人も少なくなった日本人である。だがこの季節、「心地良いながらも胸苦しい秋の美、夜の声の不可思議な甘さ」(小泉八雲「虫の演奏家」)に思い当たらぬ人はまれだろう。

外国人は虫の音を機械の雑音と同じく右脳で聞くのに対し、日本人は虫の音を言語と同じ左脳で聞いているというのが、脳科学者の角田忠信さんの説だった。この違いは日本語の特性に根ざすというが、私たちは虫の「声」を聞いているのだという話ならよく分かる。虫だけでなく鳥のさえずりや川のせせらぎも「声」のように聞いてきた日本人だ。
震災と原発災害の秋、ことさらいとおしく思える小さな自然の営みに目をこらし、その「声」に耳をすませたい。

「萬古清風」。日本の美しい伝統を大切にしながら、次の世代に確実に継承して行かなければとしみじみと思う昨今です。

明日は出かけますのでお休みです。


コメント
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