大阪府立体育館、エディオンアリーナ大阪のリングに立ったアンセルモ・モレノは、
昨年、大田区総合体育館のリングに上がった彼とは、まるで別人のような様子に見えました。
昨年見た彼は、「飄々」という意外に、どう言い表したら良いのかわかりませんでした。
それこそ白けたような、「今から、誰ぞの試合でもあんの」みたいな表情。
相手を威嚇しようとか、見下ろそうとかいう風もなし。
気合いだとか、心の構えだとか、そんな言葉が無意味に思えるような静けさでした。
しかし今回、モレノは終始忙しなく身体を動かし、リズムを刻んで、止まることがありませんでした。
顔つきも険しく、目つきも鋭く、何かを物語っているかのような。
試合前に「今回は攻める、倒しに行く」とか言った、という報道を見て、
まったく真実味を感じていなかったのですが、あれ、ひょっとしたらこれは...と。
初回早々、長短を巧みに組み合わせた四連打、五連打から始まり、攻めて出るモレノ。
スタンス広め、斜でやや前傾の構えは一見、前と同じだが、立ち位置が一目瞭然、
強打の山中慎介相手だというのに、相当近い。
その攻撃は、なるほど一打の威力では山中に劣るが、正確さと巧みさは見事でした。
初回早々、あの山中がたたらを踏み、打たれっぱなし。
改めて、真の世界最高峰の攻撃技術を見せつけられ、震え上がるような思いでした。
しかし、好打を重ねるモレノを見ながら、感心すると同時に別のことを思ってもいました。
これを2分か、行っても2分半で止め、残りをセーフティーに流して次に行く、という
選択をする余裕をモレノが持っていたら、もっと怖いだろうな、と。
もしこの距離で、間を詰めて攻め続けるなら、当然山中の強打を食う可能性が増す。
これだけ打ち込めるのなら、ポイントをクリアに抑え続ける選択も出来るはずだ、と。
実際、初回2分半までの内容は、完全にモレノの得点となるものでした。
そんなことを思っていたら、山中の左が決まって、モレノがキャンバスに落ちました。
残り時間わずかのところだったと思います。あまりに痛い失点。
山中慎介にとっては得がたい得点、そして手応えだったことでしょう。
巧者モレノの、勝利への意欲、何が何でも勝ち、自分が王者であると証すのだ、という意地は
驚異的な高確率で、世界戦においてダウンシーンを量産する強打者、山中慎介の力によって、
あまりにも端的に、悪い方向へ作用しました。それがこの試合の趨勢を、まずは決めました。
2回以降、山中の左がモレノを脅かし、それに対してさらにムキになった感じのモレノが、
時折珍しいミスを見せ、山中の強打を外しきれない、という流れ。
山中は前回よりも明らかに、両ガードの隙間が締まっていて、しかもそこから無理なく打てる。
楽ではないが、山中が少しずつ、貯金を重ねる流れが続くか、と見ていた4回でした。
山中締めた構えから左、モレノ打ち終わりに右フック、両者ヒットの応酬のあと、
見ると少し、先ほどより、ほんの少しだけ山中の、両手の間が広がっているような。
この感じで、身体を回して打つと、前回の試合の9回のようなことが起こ...と思った直後、
右フックを食らった山中が両足を跳ね上げて、リングを転がっていました。
ああー、と阿呆みたいな声を出すこちらを尻目に、モレノが身体を伸ばして追撃、終了。
5回、ダウンこそないが、普通の試合ならベストラウンドと言えるような濃密な攻防。
山中が左を当てれば、直後にモレノが右フックでふらつかせる。息もつかせぬ、凄い展開。
気づけば場内は、またも囂々たる声に包まれていました。
技巧のモレノが、理や分別では収まらない何事かに突き動かされるように攻める。
強打の山中は、前回思うさまに捌かれた屈辱を繰り返すまいと構えを締め、
そこから鋭く強打を飛ばす。
力と技、意地が火花を散らす、誇り高き「王者同士」の闘いは、灼熱の炎をリングに燃やし、
先ほどまで長谷川穂積の闘いに心を奪われていた大観衆を、完全に引き寄せていました。
この試合はいつ、どういうきっかけで、どちらの手に落ちるのだろうか。
見ているこちらも、さすがに参ってしまって、もうどうなるかわからん、という状態。
しかし6回、山中慎介の両手の間が再び締まっているように見えた、そんな記憶があります。
山中が良い構えからワンツー、一度当たり、次はモレノが即座に見切って外す。
と、右がややフェイント気味か、直後の左がモレノを捉える。
打たれた瞬間、ほんの少しだけモレノが身体をずらし、僅かに力を逃がしたように見えたが、
それでも堪えきれずに、ダウン。普通なら試合が終わっているところ。しかし立ってくる。畏るべし...。
しかしさすがに続かない。場内の大観衆が再び総立ちになる中、試合は次の回で終わりました。
山中慎介は、前回の試合で勝利するも、その内容に対する様々な評を受け、
王者としての誇りを傷つけられた、という思いだったのでしょう。
聞けば早期から再戦を望み、その思いが共通した陣営もまた、その実現を躊躇わなかったそうです。
もちろん、何もかもが思うように運びはしませんでした。
見ていて「右フックはもう打つな~」と目を覆いたくなった場面があり、
攻撃にシフトしたモレノの巧みさに、苦しむ場面もありました。
しかし、前回より構えを締めて、なおかつ強く正確に打てるフォームを作り上げ、
攻めに傾いてもなお、圧倒的な技量を示したモレノを、正確な強打で捉え、打倒した。
その過程と結果は、いずれも世界最高峰の強打者の、そして、王者の証明といえるものでした。
11連続防衛、そしてリングマガジンベルトの獲得に相応しい、
日本ボクシング史に特筆されるべき、偉大な勝利を、この目で見ることが出来ました。
何でも世界戦12試合を終え、これで奪ったダウンは25回を数えるのだそうです。
その強さはまさに史上屈指、軽量級としてはまさに比類無きものでしょう。
KOパンチャーとしての評価は、かの海老原博幸や具志堅用高を凌駕するかもしれません。
そして、その強さを証す要因となったのが、これまた圧倒的な技量を見せつけた
アンセルモ・モレノの存在だったこともまた、忘れてはいけないことです。
前回の判定への不満、敗北という結果に対し、こちらもまた、山中と同様かそれ以上に、
心中期するものがあったことは、その闘いぶり、それより先の「佇まい」から、一目瞭然でした。
その闘いぶりは、前回とは違ったものでしたが、だからといってそれが、
彼「本来」のものではなく、それが山中に幸いした「だけ」なのか、というと、少し違うような気もします。
初回、攻め切るのではなく、誰の目にも取った、という段階で攻勢を止め、
次の回も良い流れのまま行く、という形で得点を重ねていれば、というのは、結局は仮定に過ぎません。
アンセルモ・モレノの実力は、パナマの偉大な先達、イラリオ・サパタやエウセビオ・ペドロサに
匹敵するレベルのものだと思います。
彼らに、往年の日本のトップ選手たちは、誰も勝つことが出来ませんでした。
また、複数回闘った場合において、その内容や結果が、彼らに闘い方を変えさせたり、
強固な「決意」を強いるような展開がありえたかというと、それも無かったような気がします。
しかし、山中慎介は、それらの前例を上回るものを、リングの上で示しました。
この勝利を、山中慎介による「因縁決着、精算」と見るべきか、
極端に言えば「王座奪還」であると見るべきか。色んな見方があっていいと思います。
しかし、確かなことは、前回と今回、その闘いの全ての局面において、山中慎介の強さは、
現代の軽量級屈指の技巧を誇る一級品、アンセルモ・モレノの心技体を、休み無く脅かし続けていたということです。
そして、その結末が今回の「決着」であるのだ、と。
山中慎介、見事な勝利でした。脱帽です。そしておめでとう!