ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

松林図屏風

2012年03月01日 | 読みました

   「クリスマスローズ」   尼崎・中央公園 パールセンター     (12-2-20)


今日は今年初めて、病院への付添婦さんでした。1週間前、「何か喉や胃が
おかしい」と言うので病院に行き、今日が検査ということになっていました。

新しい病院で、全てが新しく、ゆったりと設計されています。主人は一度、開
院して間もない時に、一日入院したことがありますが、その時の部屋も、看護
婦詰め所もピカピカで開放的な空間でした。

しかし、あまりにゆったりしていて、検査待合室も人がチラホラしかいません。
病院の静かなのも、何か不安ですね。病院の評判が悪いのではないか? と
心細いのです。

会計の受付で待っていますと、奥の部屋が丸見えで、壁にはびっしりとカルテ
が並んでいます。其れを見てホッとしました。

受付を終われば各階に散らばった診察室に行くのですから、そしてその待合
室は廊下ではなくて、扉でへだったっていますから、人影が少ないのです。
これで納得しました。

「身の丈ほどもあるチューブを飲み込んだそうで、其れもちっとも痛くなくて、驚
いたと言っていました。結果は「少し胃が荒れているだけで、少し強い薬を飲み
ましょう」でした。月末に結果を見せに行くので30日分のお薬を貰って来ました。

喉の痺れが取れる(目安は1時間)まで、食べてはいけないというので、隣の
デパートをぐるぐると廻って時間を潰し、お気に入りのサテンでランチをして
かえって来ました。私達だって、外出した時はこうしてお金を使って食事をし
ていますよ。何?そんなの知れてる! って…。
それを言っちゃ~おしめいよ、あんた!


       松林図屏風     萩 耿介(はぎ こうすけ)

今、日経の朝刊の連載に「等伯」が書かれています。調べているうちに、この
本に行き当たりました。早速図書館に申し込み手に入れました。

この本の題名になっている「松林図屏風」は等伯、「桜」はその子、久蔵が関
白秀吉の鶴松の3回忌の為に建てられた祥雲寺の襖絵です。祥雲寺は今は
ないが、その絵は智積院に残されている。智積院は、2年ほど前に行って、
これらの絵も見たように記憶しているが、その程度の思いです。もう一度行っ
てしっかり見たい気もします。

「桜」を命をすり減らして描いた久蔵は翌年、若くして、この世を去る。法事が
営まれた時、等伯も呼ばれて参列した。

等伯は『襖絵を完成させて以来、祥雲寺には行きたくなかった。久蔵の命を奪
った寺だからである。心労を理由に一旦辞退したが、長谷川一門の棟梁であ
れば堂々と出るべきだと玄以(日ごろ世話になっている僧侶)からじかに言わ
れ、従うより仕方がなかった』

秀吉は褒美を取らせるという。その時「子は何人居る」と問う。三人と言いか
けて『今は2人にございます』といいなおした。秀吉はその言い方が気になっ
たらしく、すかさず理由を聞いた。やむなく久蔵の事を話すと、秀吉は感じる
ものがあったと見えて、しばらく黙っていたが、やがて真顔になって声を張り
上げた。「であれば、この寺は鶴松だけのものではないな。そのほうの息子、
久蔵とやらのためでもある。よし。今日の法要は久蔵にも捧げるぞ」秀吉はそ
ういいきると、羽織(金の羽織)を脱ぎ、ふわりと等伯の前に投げ与えた。
どよめきが起こった。一介の絵師が秀吉から直々に下賜を受けるとは前代未聞
である。等伯は羽織が嬉しいのではなく、この寺を久蔵の為といい、法要を久
蔵の為と言ってくれた。これが憎き秀吉か。これが利休殺しの秀吉か』と言う
心の動きがあった。

長谷川等伯の名は知っていましたし、今までも何度か目にしたことはあります。
後世に残る絵、それも都が京都だったときの絵ですから、京都に残っています。

広済寺の春の行楽でも等伯の絵を沢山保存している「本法寺」にも連れて行っ
てもらいました。有名な「曼荼羅」も目にしました、しかし「あ~これが、か
の有名な絵か?」と言う感じで見てしまったと思います。歴史を知らないって
こういうことなんだと今更ながらに気が付きました。

『死に慣れた。生きながらえた分、死がもたらす痛みに鈍感になった。』
等伯は息子久蔵、利休、等親しい人を見送った時のこの言葉が胸を打った。

元気で長生きしたいと思うが、其れは即ち、親しい人を見送る事を意味する。
その時、心は如何にしてその寂しさに耐えるのか、と考えていました。その答
えがこの言葉であると感じて、心打たれました。

一つ一つの絵にも歴史背景があります。それを知ってみるのと見ないのでは
見る目も、感じ方も違うと思います。今までは「有名な絵」と言うだけで眺めた
ものが、描いた人の人生を重ね合わせて見ることが出来ればこんな素晴らしい
ことはないのではないでしょうか。文化財の多い京・奈良が1時間一寸で行け
る地に住んでいる、私です。私は少しずつ近づいていきたい、そのような鑑賞
の仕方が出来る人間に…。




コメント (4)
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