ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

紅梅

2011年10月13日 | 読みました

          「アプチロン」 今年は小ぶりですがたくさん咲きました 今も咲き続けています


さすが3日の連続外出は疲れました。花の植え替えをする気でしたが、午前
中にアイロンかけをして、昼からは本を読んだり、昼寝をしたりですごしました。
好きなこと、楽しいことなら、疲れをしらなかったのに、だんだん、好きなこと
でも疲れが残るようになりました。


           紅梅     津村節子

この本の主である、ご主人の吉村昭さんの作品も、筆者である奥さまの作品
も、今まで読んだことがありませんでした。お名前だけはお二人とも知って
おりました。津村節子さんの本も、これが始めてということになります。

お二人ともたくさんの著書がおありなのに、読んでいないということは、読者
は多いというものの、流行作家とは呼ばれない、「知る人ぞ知る」と言う方々
だったのだと思います。

私は「山崎豊子」さん以外は新刊本は買わないというので、どうしても書評と
か、番付?とかで名の出た人のものを読むことになりがちです。作家が雨後
の竹の子のように生まれ出るものですし、評判のものを読んでおこうというス
タンスに定着しております。ですからこの「紅梅」も書評欄を読んで借りたの
です。

ご主人の闘病生活、臨終を綴ったものなんですが、今の年齢の私にとって
「死」を扱ったものは辛すぎました。吉村明さんは3年前79歳でなくなった
のですから、今の津村さんは83歳と言うことになります。78歳で未亡人と
なり、夫の(他人には病気を隠していた)病床での生き様を書き残したいと
80歳を過ぎて筆を取られたようです。

ご夫婦共に色んな賞を取っておられるのですが、読むには作品が多すぎて、
選べません、しかし、せめて1作だけは頑張って、読んでみたいと思って
います。

文章中『夫の給料が1万5千円家賃が3千円、同人費(作家協会?)二人分
3千円を払うと9千円しか残らない、育子(小説の中の津村さんの名)はま
ず粉ミルクの缶を買い、残りで暮らしを立てた。』と言う件で、思い出した。

長男は母乳で育てえたが、次男は年子で生まれた為だろうか、母乳の出が
悪く、ミルクで育てる日がすぐに来た。私も給料を貰うと、すぐに次男の粉
ミルク一ヶ月を、神戸のダイエーに買いに行って、両手にぶら下げて重かっ
たが、心は『これで一ヶ月安心だ』とウキウキしながら帰った事を思い出し
ました。

私は『雪印』でしたが、その時『森永ミルク』事件と言うのが起こりました。

面白かったのは新しく芸術院会員になった人を御所に伴って天皇・皇后陛
下に紹介する役目が夫だったため、育子を紹介するのに「このものは50年
間家に住み着いておりまして、本日も同じ家から出てまいりました」といい、
皇后陛下が大変お笑いになった。「皇后様は頭がいい、敏感に反応される」
と夫は得意げだった。

又病の為に禁酒を医師から言われて、守ったことに驚いた医師に「私は辛抱
強くて、女房とずっと一緒に暮らしています」

とてもウイットに富んでいますでしょう?

臨終の場に、息子は妻を、娘は夫を呼ぶことはしなかった息子と、娘、育子の
三人で、夫のそばに付き添っていた。

やっぱり、息子の嫁は、娘の婿は他人だから、かなしみに温度差があるのは
当然でしょう。その事を知っている子供たちが、育子(母)の為にそうしたよう
な気が私はしました。延命装置を自分で引き外した死ですが、本当の家族だ
けに見守られた「死」は本望だったのでしょう。死に顔を誰にも見せたくないと
いうことで、すぐ焼き場に運び、近親者のみの葬式も、遺体ではなく、遺骨で
した。79歳のこの世とのお別れでした。  




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星野尚のタラセア展と北浜メトロ

2011年10月12日 | 一寸そこまで

                 ご招待の葉書の 「タラセア」 です

今日は付き添いさんで、大阪に出るので、帰りにご案内を貰っていた「星野尚
・タラセア展」に行こうと思っていた。一度行ったことのある画廊なのに、又迷
ってしまった。

数は少なかったが、やっぱり木の温もりで暖かくて、気持ちがほっこりする作
品ばかりでした。特に私の好きな「フクロウ」がいて、絵の前を離れがたかっ
たです。

北浜に来たのですから、一度行って見たいと思っていた「北浜レトロ」(米国
式・喫茶)でランチをしようと思いました。

所が、お店を探しているうちに、ちょうど昼時で、OLさんの群が吸い込まれ
るように入っていくお店があった「彼女たちが行くのだから安くて美味しいに
決まっているね」と跡を追いました。

大正解! 安くて美味しい! 主人は「日替わりメニュー」を私は「刺身定食」
を頼み、何時ものように半ぶんっこしました。お刺身は氷の上で冷たいし、日
替わりのハンバーグは鉄板の上で熱々だし、ソースがこれまた美味しい。二
人とも、ニコニコでした。

それから今日は満足満足で「タラセア展」に行きました。

でも折角、北浜に来たのだから「北浜レトロ」にも行きたいと、探しました。
見つけました。テレビで見た時は落ち着いたロートル向きの喫茶店と感じて
いたのですが、実際は違って、可愛らしいお店でした。若いのや、中年やら
女性でにぎわっていました。ここでも20分ばかり待たされました。ここ
も大満足! 大喜びの一日でした。


           このポットが目に入って 分かりました   ↓  名詞です





       この「ブルーの色」を見ていると ディズニーランドを思い出しました









初めに予定していた「サンドイッチ」も美味しそうでした。でも量が多い。男
性が食べきれずに、ラップを貰っていますたが、ラップだけではなく、ビニー
ル袋まで持って来ました。良いお店だな~と思いました。

お腹がいっぱいなので、コーヒだけのつもりで入ったのですが、好きなタルト
があったので、一人はケーキセット、後は単品で頼みました。美味しかったの
ですが、晩御飯に響いてしまい、私は夕食は食べませんでした。

お土産に買った「スコーン」は明日の朝のお楽しみです。









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フェルメールからのラブレター展

2011年10月11日 | 一寸そこまで

          ↑   看板               ↓   ポスター



                    これらはロビーに掲げられた写真です




今週の日曜日で終わるというので、あわてて京都市立美術館に行って来ました。

「目」にご馳走するのだから、「口」にもご馳走をしてあげようと思い、美術館の
そばのお気に入りのお店に行きました。京都に着いたのが、昼時だったので、
先に食事をしようということになり、お店に行きました。

1時間待ちと言われたのですが、食べたいものですから、待ちました。40分
程たってから、先に注文を取りに来ました。渡されたメニューを見ても、いつ
も食べる「天ざる」がありません。「天ざるが無いのですが、天ぷらとざる蕎
麦を別々に注文するのかしら?」「うどん専門店ですから、ソバはありません」
ここで気がつきました。店が違っていることに。

40分も待った後ですから、いまさら列を離れられない、仕方が無いので「卵
とじうどん」を頼みました。それから何時ものお店の前に行くと「本日休業」
の札。何度も行っている店なのに、何故間違ったか? お隣同士「蕎麦屋」と
「うどんや」が並んでいるのです。

それは年寄り特有の「思い込みの激しさ」のせいです。いつも行列が出来て
いますから、何の疑いも無く、行列の後に並んだのです。そしてメニューを
見ても、今流行の「トッピング」と言う言葉が並んでいても、何の不信も浮かば
なかったのです。

目の前に「卵とじうどん」が運ばれてきたのは1時間をゆうに越えていました。
うどんのドンブリを見て、又仰天、ドンブリからあふれんばかりの量なんです。
うどん玉2つ分はありましたね。とじた卵も2個は使っていましたね。見ただ
けでお腹が一杯になりました。

でも実際はお腹は空いています。まずお汁を飲んでみました。「美味しい!」
うどんを食べてみました。「美味しい!」しかしどんなに頑張っても、二人と
も半分ぐらいしか食べられません。だって私達は「口」で食べる前に「目」で
も食べるので、大盛りのうどんを見ただけで胃袋は半分ふさがってしまいまし
た。しかし若い時のように「勿体ないから…」と残さず食べることはかないま
せん。後の体調が気になるからです。

相席の女性二人は「長い間、待ってよかったね。美味しいね~」とトッピング
のごぼうの天ぷらもすっかり平らげました。「あ~ぁ、若いっていいな~!」
とつくづく思いました。


待ち時間と食べ疲れで「絵」を見る前に疲れてしまいました。トボトボと足元
重く美術館へ…。予想通り、たくさんの人でした。何時もの通り、音声ガイド
を借りて、その絵を重点的に見ました。

絵の中には、長崎と貿易していたオランダ人が、日本の着物を持ち帰り、ガウ
ンのように羽織っているのが、2.3点ありました。

17世紀のオランダでは文字がコミュニケーションの方法だったそうで、教会
で一般の人に文字、そろばん(と聞いたけど、オランダにそろばんがあったの
?)を教えていたので、ヨーロッパの中では一番読み書きのできる国だったそ
うです。

だからフェルメールも手紙に関する絵を描いたのでしょうね。手紙は今のよう
に封筒に入れるのではなく、そのまま折りたたんで蝋でシールしたそうです。

郵便事業も発達していたそうですから、日本にも手紙は届けられたそうですが、
1年掛かったそうで、返事が届くのには2年掛かったそうです。

その上に当時は受取人が郵便料金を払ったそうです。もし、受け取りたくない
手紙ならどうしたのでしょうか? お金を払ってまで受け取りたくない人から
のものもあったでしょうに…。そんなこんなで、今のように、出す人が郵便料
金を払うようになったのでしょうか?

だんだん、美術館に通うのもしんどくなってきたら、私が選ぶのは日本人の作
品だと思います。色んな「絵」を見て来ましたが、私はやっぱり「日本画」が好
きですし「絵」より「物品」が好きなようです。と言うことは「美術館」より「博物館」
に行く機会を持つだろうと思いだしました。
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石 平さんの講演会

2011年10月10日 | 一寸そこまで



9月の講演会が台風の日に当たり、あきらめていきませんでした。所が会から
お手紙で、中止になった事を知りました。そして、その時の当選は無効で、改
めて、申し込むようにと書いてありました。私は早速申し込みました。幸いな
ことに再び入場券があたりました。

初めての会場ですし、「大ホールが満員になり次第、小ホールにおいてモニタ
ー画面により聴講いただきます」の但し書きを読んで、ご本人直接の方がいい
と思い、早めに行くことにしました。1時間前に着いたのですが、早100人ぐら
いの方がすでに座っておられました。

想像通り、圧倒的に男性が多く、女性は10人に一人ぐらいだったでしょうか。

演題は「中国の現状と近未来を論究する」と言うものでした。

講演は90分、質問タイムが30分と言う長~い時間でした。お話の内容は
1/3ぐらいは知っている話でしたが、後の2/3が目からうろこと言いますか、
なるほどなるほどということと、おぼろげには分かっていても言葉にならな
かった部分を、言葉にして聞かせていただいたという感じでした。

中国と日本の関係で面白かったのは、言葉です。「哲学」「人民」「共産党」
「共和国」等と言う言葉は日本語が元で、中国が使っているそうです。漢字
が中国から入ってきたものですから、私は、手っきり中国から入ってきた言
葉だと思っていました。

辛亥革命で、孫文が立ったが、中国は正しく生まれ変われなかった。日本が
明治維新をすんなり受け入れられたのは皇室があったからだといわれました。

孫文から毛沢東になって、伝統文化の破壊で、中国は歴史に取り返しのつか
ない汚点を残した。予断になりますが、現在、中国は古い物のよさを思って、
日本の骨董品を買いあさっているそうです。

もう一つ密告と言う制度で、夫が妻を、妻が夫を、子が親を密告するという事
態になり、人間不信が蔓延し、人間関係が破綻した。

中国ではバブルがはじけ、日本、アメリカに継いで不動産バブルの崩壊が間違
いなく起こっている。

日本の中国との付き合いはリスクが多いから、気をつけて、ほどほどに距離を
置いて付き合うのが良い。

日本について「日本には政府はあるが、国家が無い」即ち「国防が無い」。明
治の政治家のような人が今の日本にはいないという。

フイリッピンやベトナムのような日本よりず~っと小さな国でも、自国をしっ
かりと守っている。日本は見習わなければならない。

ごもっともごもともというばかりです。



               会場の窓からは大坂城が目の前に聳えていました。

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92歳。小さなしあわせを集めて生きる

2011年10月07日 | 読みました

   「金木犀」   今年は良く咲きました でもその割りに香りが薄いかな?


早々と夏物を仕舞ってしまって、今朝になって、「唱歌の学校に着ていく服が
無い!」とあわてました。1枚や2枚は出しておくべきでした。どの引き出し
を開けても、長袖ばかり、仕舞ってしまった箪笥から、夏物を2枚引っ張り出
しました。

年を重ねるごとに、体温の調節が上手くいかなくなりました。それを自覚して
おかないと、きつい風邪を引きそうです。友人が「肺炎の予防注射」をしたと
言っていました。5年間有効だそうです。打つべきか?


   92歳。小さなしあわせを集めて生きる  吉沢久子

吉沢さんのことは若い頃から見聞きしていました。この本を見つけて「もうそ
んなお年なんだ! お元気なんだ!どのように生きておられるのか」と読んで
みることにしました。確か吉沢さんは家事評論家だったとの記憶なんです。

随筆集なんですが、お子様は無く、しかし姉妹の子どもさん(と言っても定年
過ぎ)達が良くしておられるようです。一人になられてからの雑文を女性誌に
書かれたものを、1冊にまとめられたようです。

一つ一つの短い文章の中に、前向きに、自分を信じて、できることは自分でし
て、今を大切に生きておられる姿が見て取れて、「76になったから」と自分
を甘やかそうとしている自分を見直そうとする気持ちがわいて来ました。

こまめに自炊しておられるようです。ご主人を亡くしてお一人になられた当座
は、造れなくて、周りの人たちに「材料を持っていくから食べさせて」とか、
外食したりしておられたようです。

外出先の「柿のしろあえ」が美味しかったのですが、あまりにも量が少なかっ
た。そこで気づいた「自分で作れば、食べたいものが食べたいだけ食べられる
!」それから自炊が始まったそうです。

今でも揚げ物はしないそうです。油を使っていて、何かあった時の始末が自分
では出来ないとの思いからだそうです。

一人で食べる量は知れています。上手に冷凍庫を利用して「、食べたい時に食
べたいものを」と食生活を楽しんでおられます。

所々に「ボタニカルアート」で野菜や果物、花の絵が挿絵され短文と共にとて
も楽しませていただきました。

すべて書き抜きたいようなものですが、

「あきらめも肝心、無理はしない」
好きなことは、決してあきらめずに続けていく、それが幸せな生き方だと、
固く信じてきたけれど、諦めが肝心という言葉に素直に従うことも出来る
ようになってきた。年をとるって本当に面白い。

「しわがあろうと、自然でいい」
鏡の中の自分の顔は、私の場合は、90年を生きてきた歴史なのだから、
大切にしようとおもう。

幾つになっても「きれいね」といわれることは、幸せの一つにちがいないけ
れど、年にふさわしい、人それぞれの生活が刻まれた顔を、もっと大切に
することも考えたい。アンチエイジングもいいが、私はごくしぜんに年を
重ねて生きたいと思っている。


本当にそうだと思います。努力を放棄するのではなく、出来なくなったことは、
すっぱり諦める。そして出来る事をやる。心豊かに生きていく極意(一寸大げ
さ?)かと思います。

又、鏡を見て、増えた皺、浮き上がってきたシミ。悲しいな~と思います。で
もここまで身体に不自由なく生きさせていただいた幸せを思えば、これぐらい
は辛抱でしょう。生きている限り精進して、卑しい顔、卑屈な顔にだけはなら
ないようにしたいと思っています。


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兵庫県・播磨科学公園都市

2011年10月06日 | 一寸そこまで

       山腹に霧が掛かって 素晴らしい景色を見ながらバスははしりました

                    今年初めて見た「紅葉」


昨日(10月5日)町会から年に一度、県の貸し出しのバスで行く日帰りの旅
に行って来ました。県の差し回しのバスには県の施設を2.3ヶ所組み込む、
県内であるという条件が付いています。それゆえに1ヶ所にゆっくり出来な
いという欠点もありました。しかし来年からは県外でも良いと条件が緩和さ
れたそうです。

「播磨科学公園都市」は出来た時に新聞で見てから、ず~と行きたい行きたい
と思っていました。回覧でその名を見たときは驚くやら、嬉しいやら、早速申し
込みました。

これは国の施設だそうで、研究施設は、貸し出し応募に申請し、その価値が
認められたら、無料で貸してもらえるそうです。しかし、その研究が「国に
貢献あり」と認められれば費用も無料ですが、「価値なし」となれば有料に
なる仕組みだそうです。大体が大学関係だそうです。





何故、兵庫県のこの土地に? と言う疑問がわきました。どうも地形も関係あ
るようでした。この研究施設の中央の山がスポット2つ残されていますが、こ
の山裾の地形が1枚岩だそうです。頑丈な岩の上に立ってるわけです。たとえ
頑丈な岩とはいえ、手は加えないほうがいいという事で真ん中の山は残したそ
うです。勿論地震などがおきると、いっせいに機械は停止するようになってい
るそうです。





                      スプリングエイトの内部です


このブースで実験に成功した方でしょうか?壁にかけてありました。(左下)   
共用と言うのは色んなグループが使うもので、いつでも自由に使いたいグル
ープは専用のブースを借り、自分で設備もするが、莫大な費用が掛かるそう
です。  「隼」が持ち帰った物質もここで分析されたそうです



広大な土地には、最先端を行く病院(保険が利かないのが欠点)安藤忠雄さん
設計の小中学校、勿論保育園もあります。個人向け住宅やマンションもあり、
みな売約済みですが、これからもまだまだ立てられるそうです。こんないい所
では子どもはまっすぐ育つような気がします。

もっともっとお話を聞きたい、見せていただきたいと思ったのですが、残念な
がら時間が短すぎました。

国民宿舎「赤とんぼ」で昼食を済ませ、記念写真を撮って、「霞城館」を見学
しました。






最後に「そうめんの里」我兵庫県の「揖保の糸」の製造工場に行き、昔の製法
を見学しました。 




もう一つの驚き、トイレの洗面台がこんなにスマートに変身していました。頭に、
目に一杯の栄養を頂いた一日でした。
                           (1710回目)



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咲くも咲かぬも花嫁修業

2011年10月04日 | 読みました

          「ジンジャー」   花びらの中央の黄色を写したいのですが分かりますか?
               こんな時は「あ~一眼レフ欲しい!」と思います



朝夕は一気に初冬と言う感じになり、何を着たらいいのかうろうろしてしまいま
す。

冬といえば蜜柑ですね。「マルチみかん」ってご存知ですか?私は酸味に弱い
ので、「どの蜜柑が甘い?」と聞きますと「マルチ蜜柑、小さいけど甘いよ」「マ
ルチって何?」「蜜柑の木の根元にアルミ箔のようなものを敷いて、どの蜜柑
にも光線が当たるようにするのよ、ひと手間掛かっているから、一寸お値段は
高いけどね」と言う事で、「甘い」と言う言葉につられて買って来ました。
本当に甘かったです。でも「蜜柑の酸味が無いなんって、蜜柑じゃない!」と
言う方には甘すぎて、不向きかもしれません。


     咲くも咲かぬも花嫁修業     阿川佐和子

私達時代には世の中で言う(今は違うかな?)娘時代に習っておくべきもの、
「お茶」「お花」「和裁」「洋裁」とは一寸違いますが、色んな専門分野の先
生に阿川さんが一日入門し、初体験をした記録です。

佐川さんは作家阿川弘之さんのお嬢さんですから、てっきり花嫁修業は経験
済みと思いきや、すべてボイコットだったそうです。

「華道」「日本舞踊」「書道」「和菓子づくり」「茶道」「香道」「着物と着付け」「焼
きもの」「骨董」「盆栽」「現代詩」などに一日入門された、写真の多い女性誌
に載せられたものです。

指南者お教えを頂いた方との対談が多くのページを割いております。

「華道」私も「池坊」を習い免許を持っていますが、何の役にもたっておりませ
ん。「お生花(しょうか)」「投げ入れ」等は、伝統にのっとった、形どうりに活け
るのですが、私はこれは得意でした。しかし「盛り花」といい、自由の感性で活
けるのは苦手でした。竹の子をぷっつりと短く切って叱られたり、私のセンスは
何処?と言うくらい直されたりと面目ない思い出ばかりです。

「日本舞踊」地唄舞の神崎さんとは中高の同級生だそうです。武原はん系の
畳半畳で舞うというお座敷舞踊です。ですから竹原はんさんの踊りを、神戸
の大舞台で見たのですが、舞っているのか?と思うぐらい一箇所での舞でし
た。


「書道」河邊りえこ
美人ですね。 墨は古い物の方が使いやすいこれも習いましたね。私は「か
な」「細字」が得意でした。良く競書にも出していただきました。有段者にな
ると「丈幅」と言う床の間にかけるような長い紙に書かされます。これは畳の
上で書くとすると、紙をまたいで腰を浮かして書くので、ぎっくり腰になってし
まい、止めてしまいました。

「茶道」 千宗屋 
「お茶は日本文化のタイムカプセル」といわれ、なるほどと思います。
私は友人がお稽古してきたものを、又習いと言う形で経験したことがあります。
親戚に京都で窯元をしているのがおりまして、茶碗を焼いてくれたのを持って
おります。大体「お薄」を特別美味しいとは思わないのですが、ただ茶道の形
は美しいな~と言う気持ちは持っていますが、又始めようとは思わないでいま
す。

「香道」
もと所属したクラブに「香道」を極めた方がおられて、一度だけ体験させてい
ただいたことがあります。「香り」を聞いて、覚えておいて、後で紙に書き、
あてっこするというものだったと思いますが、どういうわけか、満点だった記
憶があります。お道具がオモチャのようにチマチマしていて、可愛らしかった
です。

「着物と着付け」市田ひろみ
長襦袢の襦袢の後ろ地襟に「力布」をつけるのが着物を綺麗に着付けるコツ
だそうです。私は何も使わないで、着ています。習ったわけでもありませんが、
母が毎日着ているのを見て自然に覚えました。着物を畳むのも、母が畳んで
いうるのを見て覚えました。その着物を見ながら「私が大きくなったら、この着
物はみんな私がもらえるのだわ」と思っておりましたが、戦争で丸焼けになり、
私のものにはなりませんでした。

「留袖」も一人で着ました。「袋帯」ですけどね。「丸帯」は一寸無理ですが…。
ですから、美容院で着付けていただいたことは一度もありません。そうだ、一
度だけありました、花嫁姿になったときです。

今は元旦にウールの着物を着るくらいですが、半幅帯ですし、名古屋帯や袋
帯、結べるかしら? 腕が後ろにまわりにくいからね~。正式に着れるでしょ
うか? 自信はありまっせんが、「昔取った杵柄」と言う言葉通り、着れると
思っているのですが…。

「焼き物」小川博久
黙っていても個性は出る。物を見る目、人を見る目が大切。と言われます。

「骨董」
といえば、今でもしっかりとした円卓が我家にもありますが、母がこれだけは
戦時中、疎開させたほどですから、きっと骨董品として通用すると思うのです
が、私の手入れが悪く、塗りがハゲ々になっています。でも作り自体はしっか
りしています。卓の裏には印が推してあります。こういうのが骨董品扱いにな
るものだと思うのですが、私にとっては「猫に小判」です。

「盆栽」岡崎紀「小品盆栽」
両手に治まる位の大きさで、高さは15~20くらいが目安だそうです。 初め
は花物からがやりやすいとか。盆栽は大きく分けて、草もの、花もの、実もの 
雑木 松柏の5つに分けあられるそうです。

「現代詩」谷川俊太郎さんとはご親戚だそうで、小さいときから、谷川邸には
遊びに行っておられたそうです。 阿川さんの詩は難しい。私にとっては一寸
難解です。私も中学生の頃「詩」を作っていた時期がありましたが、今見ると
暗~い詩です。「詩」はやっぱり、誰にでも理解できて、ほのぼのと暖かいの
が良いですね。

何でも体験することはいいことですね。気持ちはあるのですが、中々実行に移
そうという気が起きないのが難点です。

             ☆ 明日お休みします。




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京都・泉涌寺

2011年10月03日 | 一寸そこまで

              ご門から下った位置に仏殿がある  すり鉢の底という感じ
  

                   ↑  仏殿          ↓   舎利殿

9月30日(金)は京都の御寺・泉涌寺に行って来ました。泉涌寺は「御寺
(みてら)」と付いていることでも分かるように、日本で唯一皇室の菩提寺で
す。天皇様も今年も5回も参られたそうです。

私は数十年ぶり、2回目です。もうすっかり忘れていまして、ただ門からはる
か下った所にあるお寺としてのみ覚えておりました。

天気予報は、30日に限って「雨」の予報でした。ずいぶん気を揉みましたが、
お陰さまでパラパラと10分ほど時雨れただけで済みました。



御寺・泉涌寺のご長老・上村さまの講話を伺いました。ご長老と言っても、昭
和13年生まれですから、私より3歳お若い方でした。

講話のテーマは「人生プラスマイナス0」でした。「-」とは努力無しで、「なん
でや」と不足を言う。「+」は努力すればどんどん良い方向にプラスになる。お
話は面白かったのですが、私にはこの意味が一寸わかりずらかったです。

「欲の話」「六波羅蜜(釈迦が示した六つの実践)」「孟子の言葉」等々のお
話でした

御寺の舎利殿には「お釈迦様の顎の骨」が納められているそうです。顎は説
法に必要な部分で、ありがたいということでした。

その関係もあり、春には御寺と関係のある中国のお寺を訪ねる旅を80人の
坊様と共に巡られたそうです。

『出し入れはまず出すこと。「施して」こそ「ご利益」がある、神社仏閣にお
参りしても、お賽銭も上げず、上げたとしても軽いアルミ銭ではご利益もアル
ミ銭どまり、お賽銭はほどほどにほり込んでいただきたい』等笑いを誘う話を
なさいました。

私は説法と言うものをそんなに聞いた経験があるわけではないのですが、ブ
ログのようなものだな~と思いました。お坊様ですから、身近に起こった事を
話され、そのことに関しての感想を述べられるのが「説法」と言うもののよう
です。
            

    二つの山門を通ってお寺に…      右   一の門     左   二の門

     
                月輪陵(つきのわみさぎ)


このご門から奥は宮内庁の管轄で、お坊様といえども、めったに入れない。左
右の塀の格子部分から覗くと、仏式の御石塔がずらりと並んでいるのが見て取
れる。所謂、皇室の墓地である。



待ちに待った「精進料理」 う~ん期待はずれ! 量的には丁度良かった物の、
煮っころがしばかりと言う感じ。 



最後に行ったのが、第二の門の横にある、「楊貴妃観音堂」です。今ここが人
気スポットになっている。何故か、ここのお守りのご利益は「良縁」「美人に
なる」だそうです。

石田純一さんが、テレビの旅番組の撮影でここに来られた時、「良縁」のお守
りを買われたそうです。まもなく東尾嬢とであい、結ばれたということで、若い
方の参拝が増えて、人気スポットになったというのです。石田夫妻はお礼参りに
も来られたそうです。めでたしめでたし。

「皆さんは『良縁』はもういいでしょうが『美人になる』お守りはまだ間に合いま
す、お買い求めください」やれやれ商売上手。勿論両方とも買いませんでしたよ、
私は。その代わり、数十年前に買った美味しいお漬物の店を探して、「柴漬け」
を買って帰りました。美味しかったですよ。







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