「アプチロン」 今年は小ぶりですがたくさん咲きました 今も咲き続けています
さすが3日の連続外出は疲れました。花の植え替えをする気でしたが、午前
中にアイロンかけをして、昼からは本を読んだり、昼寝をしたりですごしました。
好きなこと、楽しいことなら、疲れをしらなかったのに、だんだん、好きなこと
でも疲れが残るようになりました。
紅梅 津村節子
この本の主である、ご主人の吉村昭さんの作品も、筆者である奥さまの作品
も、今まで読んだことがありませんでした。お名前だけはお二人とも知って
おりました。津村節子さんの本も、これが始めてということになります。
お二人ともたくさんの著書がおありなのに、読んでいないということは、読者
は多いというものの、流行作家とは呼ばれない、「知る人ぞ知る」と言う方々
だったのだと思います。
私は「山崎豊子」さん以外は新刊本は買わないというので、どうしても書評と
か、番付?とかで名の出た人のものを読むことになりがちです。作家が雨後
の竹の子のように生まれ出るものですし、評判のものを読んでおこうというス
タンスに定着しております。ですからこの「紅梅」も書評欄を読んで借りたの
です。
ご主人の闘病生活、臨終を綴ったものなんですが、今の年齢の私にとって
「死」を扱ったものは辛すぎました。吉村明さんは3年前79歳でなくなった
のですから、今の津村さんは83歳と言うことになります。78歳で未亡人と
なり、夫の(他人には病気を隠していた)病床での生き様を書き残したいと
80歳を過ぎて筆を取られたようです。
ご夫婦共に色んな賞を取っておられるのですが、読むには作品が多すぎて、
選べません、しかし、せめて1作だけは頑張って、読んでみたいと思って
います。
文章中『夫の給料が1万5千円家賃が3千円、同人費(作家協会?)二人分
3千円を払うと9千円しか残らない、育子(小説の中の津村さんの名)はま
ず粉ミルクの缶を買い、残りで暮らしを立てた。』と言う件で、思い出した。
長男は母乳で育てえたが、次男は年子で生まれた為だろうか、母乳の出が
悪く、ミルクで育てる日がすぐに来た。私も給料を貰うと、すぐに次男の粉
ミルク一ヶ月を、神戸のダイエーに買いに行って、両手にぶら下げて重かっ
たが、心は『これで一ヶ月安心だ』とウキウキしながら帰った事を思い出し
ました。
私は『雪印』でしたが、その時『森永ミルク』事件と言うのが起こりました。
面白かったのは新しく芸術院会員になった人を御所に伴って天皇・皇后陛
下に紹介する役目が夫だったため、育子を紹介するのに「このものは50年
間家に住み着いておりまして、本日も同じ家から出てまいりました」といい、
皇后陛下が大変お笑いになった。「皇后様は頭がいい、敏感に反応される」
と夫は得意げだった。
又病の為に禁酒を医師から言われて、守ったことに驚いた医師に「私は辛抱
強くて、女房とずっと一緒に暮らしています」
とてもウイットに富んでいますでしょう?
臨終の場に、息子は妻を、娘は夫を呼ぶことはしなかった息子と、娘、育子の
三人で、夫のそばに付き添っていた。
やっぱり、息子の嫁は、娘の婿は他人だから、かなしみに温度差があるのは
当然でしょう。その事を知っている子供たちが、育子(母)の為にそうしたよう
な気が私はしました。延命装置を自分で引き外した死ですが、本当の家族だ
けに見守られた「死」は本望だったのでしょう。死に顔を誰にも見せたくないと
いうことで、すぐ焼き場に運び、近親者のみの葬式も、遺体ではなく、遺骨で
した。79歳のこの世とのお別れでした。