ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

見事な花々の語らい!

2010年06月09日 | 一寸そこまで

  ↑  クラシックな門とぴったりにアレンジされた花達   ↓  リボンで束ねられた百合


「とてもすばらしいお花のアレンジのお家があるのよ、見に行かない?」とお誘
いを受けて、午後3時に待ち合わせて尼崎・武庫之荘に行ってきました。

お隣もお向かいも、同化されるのでしょう、どのお宅も綺麗なお花が門前を飾
っていました。しかし、このお宅は抜群です。どのお花もメインの鉄砲百合を
引き立てながら、しかし、わが身の存在もしっかり示している…と言うことです
ね。邪魔をすることなく、しっくりとそれぞれが存在している…そんな感じでし
ょうか。

これはもうこの家の主の抜群のセンスに脱帽です。到底まねの出来るもので
はありません。この方の「自己表現」だと思うのです。人は意識する、しないに
かかわらず、何かで自分をアピールしたいと思っている。「趣味」はその表れ
だと思っています。

私も、花を色々育てていますが、アレンジする力は無いようです。言い換えれ
ば、アレンジの趣味が無いということです。私も門の前に少し花を出していま
すが、その時の、「一番旬の花」を道行く人に見ていただきたいと思うのです。

娘時代、活花をならっていました。お生花(規則どおりいける)はまあまあの
出来でしたが、盛り花となるとさっぱりでした。つまり教科書通りは出来ても、
自力での表現がまずいということです。小さな水盤の中でさえそうなんですか
ら、押して知るべしです。

見事な鉄砲百合をおリボンを使って、さり気なくシンプルな蝶結びで結んでお
られます。「あっ!!」と驚きましたよ。私だったら、支え棒を立てるか、グリ
ーンのテープでグルグルまきにするのが、関の山です。

本当に、今日は誘っていただいてよかった。心豊かな午後でした。




 ↑  米粒のような花より この葉っぱがとても鮮やかで綺麗   ↓  この葉の色何とも日本的
     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇兵隊内閣?

2010年06月08日 | 気にかかる

                    「墨田の花火」   (10-6-6)

     ↑  このはなのようなのは「顎」で     ↓  この小さなのが花です


今日は朝から一寸時雨れました。「行くべきか?行かざるべきか?」一寸怠け
心が芽生えました。でも2週間ほど庭の手入れのために休みました。「会費が
もったいないんじゃない?」最もな事です。「もったいない、もったいない」と呟き
つつ行きました。

すずき先生のストレッチに入りました。やっぱり身体を動かすのはいいです。
鏡に映る姿はどんどん硬くなったからだの動きを映し出しています。やっぱ
り頑張らないとね~!と鏡に中の私に語りかけました。



   ↑   七段花    ↓   柏葉紫陽花(今年生まれた赤ちゃんです)   (10-6-5)
    

菅総理がこのたびの内閣をできれば「奇兵隊内閣」と読んでほしいといわれ
たとか、珍しいですね。普通は呼び名と言うのは周りがつけるものだと思って
いましたよ。ご自身でつけるなんてね~…。

高杉晋作がお好きだそうで、高杉率いる「奇兵隊」になぞらえて、「奇兵隊内
閣」と言うことらしいのですが、と言うことはご自身は「高杉晋作」と言うことに
なりますね。「高杉晋作」が「奇兵隊」の総督だった期間はたったの3ヶ月だっ
たそうですが、それでいいのですか? 菅総理の一応の任期期間の9月まで
で丁度3ヶ月なんですけど? 何だか出来すぎたお話ですね。

長州藩はアメリカ、フランス艦隊から猛攻撃を受け、力の差を見せ付けられま
した。長州藩主はこの難局を乗り切るために隠遁生活(俗世間を逃れて、隠れ
すむ)をしていた高杉晋作を呼び出た。そして、関門海峡の防衛を任せたので
す。頼まれて軍隊を作ったとき、尊敬する吉田松陰の言葉「草莽崛起(そうも
うくっき)」の教えにより生まれた軍だそうです。「草莽崛起」とはすべての人が
身分に関係なく世の中をよくするために立ち上がろうという思想だそうです。し
かし長州藩にはもともと武士だけの正規軍が居ました。正規軍と奇兵隊は常
に衝突をしていました。「奇兵隊」が「正規軍」の宿舎に押し入り、隊員を切り
殺すと言う事件が起こりました。その責任?で、高杉晋作は3ヶ月で解任され
たのです。

この事だけを読むと、何だか縁起でもない気がするのですが…、何か希望の
持てる後日談でもあるのでしょうか?

菅さんは隠遁生活はしていませんでしたが、身は議会の鳩山総理の隣にあり
ながら、われ関せずと「夢路を彷徨っておられた」のは、心が隠遁生活にあ
ったのですね。それで何時も居眠っておられた、その理由がわかりましたわ。



     平凡な「額紫陽花 」 ↑     と      ↓   昔ながらの「紫陽花」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利休にたずねよ

2010年06月07日 | 読みました

  「星桔梗」 大鉢3個 小鉢3個にふえました 先日ジムのお友達に持って行ったのはこの花です


菅新首相の組閣が大詰めを迎えたようですね。「2日間ありますから、お時間を
いただいて、考えます」と言った割には、横滑りが11人も居る、代わり映えのし
ない顔ぶれですね。あらかたが入れ替わって、新生内閣が出来ると信じていた
私は早々に肩透かしを食った気持ちです。

この顔ぶれで「小沢さんと金の問題」の追求可能なんですかね~? もう一つ、
赤松さんは辞職すれば、宮崎県の口蹄疫の責任は逃れるのですか? 何だか
合点が行きませんが… 大臣の政治責任って、そんな程度のものなんですか?
納得がいきません。

亀井さんの郵政問題を可決成立させる為の会期延長なんてせずに、さっさと、
国民の信を問うほうが先決ではないですか?




          利休にたずねよ     山本兼一

この本は図書館への申し込み4回でやっと読み終えました。順番が来ても他
の本と重なって、とても2週間で読みきれないと、返しては再度申し込み、を
繰り返して、4回目です。

山本兼一さんの本を読むのは初めてですが、西田敏行主演の「火天の城」は
見ました。あの原作者が山本兼一さんだったのです。

「火天の城」は安土城建築の時に熱田の宮大工、岡部又右衛門を起用した、
そのお話だったのです。その人の生涯を通じて、一つの職種をとことん突き
詰めて書いた本が好きな私に、ぴったりの映画でした。

「利休にたづねよ」は勿論「千利休」のお話なんですが、進行状況が変わって
いました。普通なら、若き時代から、だんだん年を重ねていくのですが、この
本は違いました。

「利休切腹の前日」から始まって「利休切腹の○日前」「利休切腹の○週間
前」「利休切腹の○月前」「利休切腹の○年前」「19歳の千与四郎」「切腹の
日」と書き綴られていました。

利休が何時も懐に入れていた、香合として遣われていた緑釉の入れ物。人
には見せない様にしているが、秀吉が瞬間目にしてほしいと所望するが「こ
ればかりは…」と応じない。それがどのようにして利休の手にあり、誰の形見
かを、最後の方「19歳の与四郎」の項で謎解きする。

この本にも出てくるが「秀吉の黄金の茶室」です。私は何年か前、熱海のMO
A美術館で実際の「黄金の茶室」を見ましたが、そりゃ~綺麗は綺麗でしたが、
悪趣味だな~と思ったんです。それは秀吉の派手好き、趣味悪いな~と思っ
たのです。しかしそれは違っていたようで、「天井人(京の公家)の度肝を抜く
『茶室』を作れ」と言う秀吉の命を受けて、利休が考え作ったものだそうです。
侘び寂びのお茶室の流行していた時代にです。

又利休が切腹したのは究極の1畳半のお茶室だったそうです。

色々と驚くようなことを知った本でした。山本兼一さんの本、又読みたいと思
いました。



            「小手毬」 (10-5-3)     今はもう咲き終わりました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路  (105回)

2010年06月06日 | 思い出話
              平成15年11月18日
               結願お知らせメール




平成15年11月18日 16:22  わださん  (受)
お遍路さんは順調に進んでいますか?四国の紅葉は如何でしょう?私も中学の修学旅行は貴女と同じコースで
した。懐かしいわ。金比羅さんの階段は途中でダウン…昔から足は駄目だったのよ。これから先も気をつけてね。

18:18  ひろあき  (発)
結願しました。やはり涙流れたわ。しんどいこと一杯あったし、でも最後まで頑張って良かった。

18:25  ふじいさん  (発)
結願しました。健康に恵まれ、遣り通せたことに感謝しています。メールで励ましてくださってありがとうございました。

18:30  ふじいさん  (受)
おめでとうございます。お疲れ様。嬉しいね。私には無理、羨ましい限りです。またお時間をくださいな。ゆっくりして
お疲れを取ってください。嬉しいお知らせありがとう。

18:30  わださん  (発)
結願しました。天候に恵まれ、予定どうり終わりました。明日から1番に向かいます。メールありがとうございました。

18:46  わださん  (受)
おめでとうございます。尊敬するのみ。

18:38  やすながさん  (発)
結願しました。天気が良くて女体山越えました。1週間伸ばした感はさえていました。涙流れて…ついでに鼻水も…

20:58  やすながさん  (受)
鼻水も、感涙もOK!OK!天に冴え渡ったのね。おめでとうおめでとう。ご夫婦の金字塔やったね。やったね!やった
もんだね!どうぞその感激を大切にね。 余韻 永遠に。

18:50  おちさん  (発)
ご無沙汰しています。お元気ですか?私達も今日結願しました。ご縁をいただいた方を懐かしく思い出しています。
お元気で。

23:06  おちさん  (受)
こちらこそご無沙汰しています。無事に結願されたのですね。お疲れ様でした。○○さん(私)もお元気そうで…私も
元気にしています。驚かれるかもしれませんが、実は結婚しました。そして今月の4日に男の子を出産しました。ご
報告が遅くなりすみません。子どもの名前は「てらぞのしょう」と言います。初めての子育てに奮闘の毎日を送って
います。○○さんもお体に気をつけてくださいね。

途中からメール交換の途絶えた彼女でしたが、遍路で知り合った人だっただ
けに、お返事がいただけなくとも、もともとだと思い、結願したときはメールを
入れようと思っていました。思いもかけないお返事が来たのです。私達の遍路
にかかわった時間は彼女が結婚し「しょうくん」を出産するに十分な時間だっ
たのだといまさらながら、時間の長さを実感しました。今年の年賀状には勿論
「しょうくん」の笑顔がありました。とても嬉しかったです。

11月19日 08:55  おちさん  (発)

おめでとうございます。結願の日にこんな嬉しいニュースが聞けるなんて、ご主人は遍路の雪の人ですか?(彼女
が一気打ちで遍路をしていた時、彼女を励ますつもりで、私は朝8時に毎日メールを送っていました。雪の遍路道
で出会った男性が居て、助けてもらったことを知っていましたし、帰ってからもデートをしたのを知っていたから、聞
いてみました。)その上、しょうくんが誕生していたなんて!今はお産でご実家ですか?貴女の幸せを祈っていま
す。貴女が冬で越えられなかった女体山越えました。貴女に教えていただいた結願証もいただきました。1泊して
1番に戻ります。貴女とはお大師さんのご縁です。大切にしたいです。お母さん頑張ってね!

08:14  ひろあき  (受)
ご苦労様です。帰宅は木曜日ですか?

11:23  ひろあき  (発)
今日の歩く距離によって、明日遅くなります。雨は止んで薄日が差しています。トイレ休憩中。

12:21  てらぞの(おち)さん  (受)
ありがとうございます。今は実家で色々教わりながらすごしています。主人は遍路中に出会った人ではありませ
ん。遍路の後、大丸の地下でアルバイトしていたときに知り合った人です。私より10歳年上の35歳なんです。
転勤族なので、いつかそちらの方へ行くことがあるかも知れません。又、いつか○○さんに合える日があればと、
楽しみにしています!!それでは。


翌朝は心も軽く、身も軽く宿を出ました。若女将さんが病院にいかなければな
らないと言うので、皆さん朝食は遠慮して頼みませんでした。食べるところぐら
いすぐあるだろうと思っていました。これが間違いでした。お店は無かったので
す。沿路に「うどんや」を見つけるまでに、6時間も何も口に出来ないと言う、最
後の試練が待っていようとは「神ならぬ身の知る由もなし」でした。



             「お接待」していただいた「フクロウのストラップ」 
        人様にも差し上げたし 遍路中 私達のリュックにもつけて歩きました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路  (104回)

2010年06月05日 | 思い出話
              平成15年11月18日
       結願寺 大窪寺    民宿 八十窪 泊まり




もう一度来たいと思った。経験ある道は一度目より容易だろうと考えた。実際
にはもう二度とくることは無いだろうと思っているのに、心の中では「来たい!」
と望んでいます。「お四国病に罹ったのかな~?」と思います。今回は先を急
いでと言うか、時間にせかされて、一寸、足を伸ばせばいける名所旧跡にも立
ち寄リませんでした。そのような気分の余裕もありませんでした。

四国と言う言葉を聞いただけで「懐かしい!!」と心がきゅんと縮むようです。
映像を食い入るように見つめる自分が居ます。私達が歩いた道ではないかと
目で追っている自分が居ます。懐かしさで震える心があります。



最後の納経をしてもらうべく、納経所に行くと、ご夫妻が「結願書」を書いてもら
っておられました。見ていると、それは連名になっていました。一人2000円と
聞いていました。2枚で4000円を覚悟していました。そのために「お接待」で
いただいた500円以下のお金は、次のお寺でお賽銭として使わせていただき
ましたが、お札は「結願書」に使わせていただこうと残してありました。

「連名でおいくらですか?」とご夫妻に聞いてみました。「2000円です」と言わ
れました。一人2000円は高いな~と思っていましたが、記念になるし…と思
案していました。それが連名で2000円ならいいか、と書いていただきました。
卒業証書を入れるような筒に入れて渡されました。

思い起こせば、お札を下さったのは一人の方を除いて、皆さん女性でした。そ
れも財布からお金を取り出すのではなくて、パチンと音を立てて開ける「がま口」
でした。

お互いに写真を撮り合いましょうということになり、団体さんが記念撮影する
場所で、撮り合ってお別れしました。

    

今夜の宿「民宿八十窪」はすぐそばにありました。結願のお祝いに「赤飯」を
出してくださると言うので、楽しみにしていたのですが、「赤飯」は出ては来た
のですが、色粉を使っているらしく曼荼羅に染まっていて、がっかりしました。
結願の人たちのために「お赤飯」を始めた女将さんが、明日手術のために入
院すると言う日に行き当たってしまったからでしょうか、若女将が接待に出て
いました。

昨夜の宿でご一緒だった松山の人と、もう一組ご夫婦の方と私達の5人が泊り
客でした。松山の人が話します「昨夜一緒だった若い女性の二人組みは100
円バスで下山するので、そのバス停の近くに荷物を置いてきたらしく、身軽に
女体山に登ってきて、私は瞬く間に追い越されました。大窪寺で家に電話をし
て『もう着いてしまった』と家内に言ったら『もうではないわ、1ヶ月半も経ってる
よ』と言われてしまいました。家に帰って『今度は別格に行く』といったら家内が
どんな顔をするかとても楽しみです」と眼鏡の底の目が少年のように私に笑い
かけました。

ご夫妻の方は会話に加わってこられませんでした。相撲が好きらしく、テレビ
にくぎ付けでした。しかしこのテレビが古くて、取り組みが始まると画面が消え
るのです。宿の人がテレビを叩くと映る…と言う代物で「消えたら、力いっぱい
叩いて」と言う意味の言葉を、その土地の言葉で言われて(残念ながら忘れて
しまいました)その言葉がおかしいと、みんなで大笑いしました。

せっかく、結願の夜の同宿なのに、祝いあう人が少ないのが少し残念だったと
思いました。二日遅れで歩いてこられる小林さんご夫妻がご一緒だったら、ど
んなに楽しいだろうかとフッと思いました。


             2日遅れて結願を目指しておられるこばやしさんが 
          一足先に結願した私達の状況を詠んでくださったのが 始めの一句です


この句は遍路仲間のこばやしさんの奥様の句です。今年のNHK「俳句」欄に
も当選されたとか…。私はこの方の句がとても好きです。前にも書きましたが
「先生」には付かないで、自己流を続けていただきたい、先生に付くとその先
生のカラーになるような気がするからと勝手なことを言いました。趣味の世界
は自己流結構、他流試合は「俳句」欄に投稿でよし。

                 民宿  八十窪 (5泊目)






    
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サーキット」運動ってご存知?

2010年06月04日 | 今日この頃

         アマリリス  (10-5-26)  今年はこの色しか咲きませんでした


鳩山さん止めちゃったね。あんなに止めてほしいと思っていたのに、菅さんが
選ばれてみると、何だか鳩山さんの方が良かったんじゃない?って思ってしま
うわ。小沢さんを道連れにしてくれて、嬉しいわ。鳩山さん良いとこあるじゃない
と思ってしまう。「国民が聞く耳を持たなくなった」からって、お別れの挨拶もし
ないで去るのはど~かしらね。最後ぐらい「聞く耳」持ったわよ。きっと!

鳩山さんは今季限りで議員を止めるんですね。でも小沢さんはそうではないでしょ
う?又何時表舞台に現れるか戦々恐々ね。



4月から「インドムービーダンス」が夜だけになって、昼はなくなったんです。そ
うすると私は、「フラ」(水)とすずき先生のレッスン(火)しか受けるものがなく
なっていたんです。ですからほかの日に行くと「歩いて此処まで来たんだから」
と自分を甘やかせて、サウナだけで帰っていたんです。

5月ごろでしたかしら、1階の多目的ホールから何だかにぎやかな声がするん
です。何かな~と思っていました。ジムからの定期便に上の紹介が載っていた
んです。先日受付で色々聞いてみたんです。聞いてるだけでは判らないし、一
度経験してみようと思って、今日参加してみました。但し1回に付き300円の
別料金が要るんです。

「サーキット」と言うのは、ぐるぐる廻ると言うことなんです。8種類の器具が在
って、その間に左のトレーナーが乗っている様なマット(4隅にスプリングが付
いています)がはさまれていて、前方のビデオを見ながら色々と足を動かすの
です。私は今日は初めてですから、姿勢を正しくして腕を振って歩くだけにしま
した。一つの器械やマットを交互にするのですが、その時間が30秒です、30
秒経つと時報が鳴りますから、それを聞くと隣に移動するわけです。機器とマ
ットの数だけの人が一度に出来るわけです。3クール終わった人が抜けて行き
ますから、そこに順番に乗り込んでいけばいいわけです。

うかうかしていると何も出来ないうちに隣に移動することになります。これを3
クールすると約30分だそうです。私は今日が始めてですので、無理をしないよ
うに2クールで止めました。正解でした。午後から何となくあちこちに違和感が
ありました。運動不足なんですね。

40代ぐらいの人が大半でした。会員ではなく、これだけに来ている人が多いよ
うです。トレーナーが言うには、今は会員の人は2人だといっていました。会費
さえ払えば、どのクラスにでも出来るのに慣れていますから、別料金と言うのが
一寸抵抗あるのでしょうね。

私だって、無いと言えば噓になります。ただ私は家族会員ですから、少し安い
んです。月に2・3回、その安い分だけ払ってもいいかな?と思っています。

何はともあれ、新しいことを始めてみました。
                                 (1390回)



                    ミニ・グラジオラス   (10-4-27)
     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルノワール展

2010年06月03日 | 一寸そこまで
    
                           チッケト

ルノワール展見に行きたいな~と思っていましたら、としこさんが招待券を送っ
てきてくださいました。とてもありがたかったです。としこさんは御主人とゴール
デンウイークに行くといっておられました。

大阪の「国立国際美術館」に行くのは本当に久しぶりです。何時もどうして行っ
ていたのかすっかり忘れていました。東西線に乗れば1本で行けるので今日は
そのコースを使うことに決めていました。所がです、地上に上がりますと、さて
さて、南へ徒歩10分と言っても、どちらが南なのかさっぱりわかりません。ヤク
ルトのお姉さんが居たので、聞きました。教えてくれたのが、正反対の方向でし
た。それから人に訊ね訊ねてやっと到着しました。

期間半ばを過ぎていますから、そろそろ込み合う頃だろうから、開館時間10時
に間に合うようにと9時過ぎに家を出ましたのに、迷子になったものだから、到
着したのが10時半でした。

思いは同じで、絵の前は3重4重の人だかりです。「いっそもう少し時間をずら
せて、昼時にすればもう少しましだったかもね」と話しましたが、どうしようもあ
りません。

作品も多いし、音声ガイドの付いた作品を中心に見ることにしました。「ルノワ
ール」と言えば、「肖像画」と思っていたのですが、「裸婦」の多いのに驚きまし
た。それも少々下半身デブの「裸婦」です。

私はやはり清純な「肖像画」が好きですね。何時まで見ていても飽きないです。
特にチケットの絵と買った葉書の「団扇を持つ少女」が大好きでした。

主人は少女達の髪の毛の描写に、いたく感動していました。髪の毛1本1本を
柔らかく描いているように見えると言いながら、離れたり近づいたりしながら眺
めておりました。

私はやっぱり花が好きですから、「花の絵」にもひきつけられました。特に、買
った絵葉書の(下の2枚)が好きでした。ルノワール夫人も花の絵を描いている
夫が好きだったらしく、何時も花を買って生けて居られたそうですよ。

これでもかこれでもかと言うほどの数がありましたから、途中の休憩場所で少
し休んでから後半を見ていきました。出口の売店が見えたときにはほっとしま
した。

こうして、見たいものが見に行ける健康がありがたいと思いながら家路につき
ました。


     
                       私の買った絵葉書3枚です
     

     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日蓮宗伝道大会

2010年06月02日 | 一寸そこまで
    
    
            入り口を入って始めに目に付いたのが、この「万灯」でした

先週、身延山で今日の(5月30日)のことは説明を受けましたし、事前に書類
もいただいて居りましたから、「行く?」「行こか」と言う事で、神戸に行ってきま
した。

神戸駅に降り立ちますと、団体さんやご夫婦やら、それらしき人が沢山居られ
ました。「きっと、あの人達も行くのよ…」と話しながら、まず昼食をと地下街に
降りました。

会場は「神戸文化ホール」でした。私がここに来るのは何十年ぶりでしょうか、
山本安栄さんの「夕鶴」を見に来て以来です。



伝道大会は開式の辞の後、幕が上がって「万灯」の始まりです。「万灯」は関東
では何百年も前から行われているのですが、関西では初めてだそうです。「万
灯」の作り方、団扇太鼓の叩き方など、何ヶ月も前から、雑司が谷の皆さんに
ご指導いただいたそうですよ。今日も来てくださっているようでした。そして「池
上本門寺(日蓮上人が入寂された地)では10月12には「万灯」があります。ぜ
ひ本場の「万灯」も見に来てください」と挨拶されました。「行くよ、行く行く」って
心で叫んでいました。本当にいけるかな~?

「万灯」は秋の行事で、春に行うのは今日が初めてだそうです。30分団扇太鼓
がなっていました。



次にお説教です。「日蓮聖人御一代記」です。1時間ほど掛かったのですが、
丸暗記しておられるのです。落語の語り口のように、左右に首を振ることによ
って、話している人の区別を付けておられました。何も知らない私はとてもお
勉強になりました。

池上本門寺も柴又帝釈天も名前は知っていましたが、日蓮宗のお寺とは知り
ませんでした。

シンボルマーク何かしらと思っていましたら、日蓮聖人がお好きな「みかん」
即ち「橘」だったのです。そういえば今私達が住んでいる所の住所は「橘」と
書いていました。今は「立花」ですが。なんだか親近感が深まりました。

右に座っているお坊さんが、一点を見つめ、微動だにされないのには、驚くと
同時に、修行とは凄い物だな~と感心しました。











次に「大会法要」がこれも1時間あります。立ったり座ったり、それもお念仏を
唱えながらですから、本当に修行です。

舞台の下に居る信者さんたちも、所どころ唱和するのですが、皆さんよく覚えれ
居られるのに感心してしまいました。私達は二人とも経が読めませんので「恥ず
かしいな~」と思いました。






    







そして、再び「万灯」です。今度は45分間です。勿論「万灯」「纏(まとい)」は人
が入れ変わります。如何にかっこよく振り上げるかが、自慢のようですね。

私達もいただいた、記念の団扇で一緒に調子をとるのですが、これがなかなか
難しかったです。終わりの方になってやっとどうにか付いていけたかな~と言
う感じでした。



この人(佐藤ゆかりさん)も来ていましたよ。今度の参議院選挙で比例区から
出るそうです。家が日蓮宗だそうです。う~ん、選挙ね~、美人であることに
間違いはありませんでしたが…。

4時間持つかしら?と思いましたが、最後まで参加できました。これも修行で
すかね~。4年に一度だそうですから、参加してよかったと思っています。














コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尼崎市役所ロビーでコンサート

2010年06月01日 | 一寸そこまで

                 翌日の紙上に載っていました  (10-5-29)


今日(5月28日)は「尼崎・花一杯の会」に寄せ植えの講習会の日でした。と
ころが友人から電話で「尼崎市役所で、今日、イタリアの弦楽合奏団のミニコ
ンサートがある」と言ってきました。それなら横滑りしてそっちにも行こうかと言
う事になりました。

一旦帰るのも面倒だし、いすの数が少ないので、早く行かないと座れないそう
だし、大きな鉢植え一式を持って、市役所に行きました。時間的に早かったの
で、私達が一番でした。だんだん人が集まってきて、大勢の人が立って、聞く
ことになりました。

偶然に、きみこさんを見つけました。きみこさんはマリンバ奏者ですから音楽
会に来ていてあたり前ですが…、あちらの方こそ意外だったでしょうか? い
えいえ1月にも私の唱歌の学校の演奏会に聞きに来てもらいましたから、少々
は音楽好きとご存知だったでしょう。


                    私が写したものです   (10-5-29)

    
                          バイオリン

    
                          バイオリン 
    
                        指揮とクラリネット
    
                           ヴィオラ
    
                           コントラバス

「イ・ソリスティ・アクイラーニ弦楽合奏団 尼崎公演」は明日(5月29日)アル
カイックホールであります。きみこさんが「明日の今頃空いてる? 招待券が
あるのだけれど行く? 知ってる人に会えばあげようと思って持ってきている
のよ」そのラッキーな人に私はなって、明日、公演を聞きに行くことになりました。


    
                    5月29日 当日のプログラム

考え事をしながら歩いていて、ふっと気がつくとどうも反対の方に歩いていまし
た。踵を返そうと、前を見ると、きみこさんが友人(私とも友人)と歩いてくる
のが見えました。あちらも私に気づいて「何でこっちに来るの」「反対にきたみ
たい。貴女と出会うためだったのかしらね~」と言いながら会場へ…。

一つ賢くなりましたよ。舞台の上を見て何時もと違う位置にピアノを見つけた
私は聞きました。「あのピアノえらい小さいね?」「あれはピアノと違うよ、『チ
ェンバロ』よ」さすが音大出、チェンバロの説明をしてくれました。私はチェンバ
ロ」と言う楽器があることは知っていました。しかし、それがピアノに似ている
(実際はチェンバロが先で、ピアノの出現で廃れた)楽器であるとは知りません
でした。現物を見たのは初めてです。

演奏が始まって、聞きなれない音が聞こえてきました「あれが『チェンバロ』の
音?」と訊ねました。正解! 今日はきみこさんの隣に座れてラッキーでした。
道を間違って帰りかけて、きみこさんに出会ったのも意味があったんだわ! 
人の行動は何かしら意味を持つと言うことを実感した一日でした。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする