ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  (108回)

2010年06月19日 | 思い出話
             平成15年11月20日
                結願の翌々日


          距離:5K  森本旅館 … 鳴門ドイツ館 … 第1番札所 霊山寺

翌朝、小雨が降っていました。宿を立つ時、なんと高野山のお坊様がお見送り
に玄関まで出てきてくださいました。遍路最後の宿、そして最後の朝になんと
ありがたいことでしょう。このめぐり合わせに驚きと共に喜びもありました。
お互いに合掌をしてお別れしました。

宿の前の第5番札所 地蔵寺に入ってみました。2年前、この門の前には、托
鉢のお坊さんが居て、私が次の第6番はどちらに曲がるのか?とまよって、何
気なく振り返ると、杖で行くべき方向を教えていただいた、アノお寺でした。
その時は再び此処を訪れるとは思っても居ませんでした。

いよいよ今日が遍路最後の日、やはり一抹の寂しさがありました。最終地に向
かって「さぁ!行こか…」と歩き出しました。

今日の距離は5Kです。昨日の強行軍が今日の余裕をもたらしたと主人の弁。
私はそれなら「鳴門市ドイツ館」に行きたいと思っていました。2年前歩き始め
た時、高台に白い建物が見えていて、「何?」と思っただけでドイツ館とは知り
ませんでしたが…。立ち寄ってみたいと思ったのですが、遍路第1日目だった
ので、あきらめて通り過ぎました。「昨日頑張ったから、行く時間はあるで~」
と主人は鼻高々です。





「鳴門市ドイツ館」は坂東俘虜(ばんどうふりょ)収容所『BANDO』の跡地である。日本
軍隊では戦争で捕らえられた状態を『捕虜』といい、捕虜になった敵国で拘束されてい
る状態を『俘虜』と言うそうです。

第一次世界大戦が始まると日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国の山東半島にあ
る青島を攻撃した。敗れたドイツ兵は約5千人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送
られたが、そのうち四国の徳島・丸亀・松山に約千人が1917~1920年の3年間を
坂東俘虜収容所で過ごしました。坂東俘虜収容所長の松江豊寿(まつえとよひさ:後
に第9代若松市長)は会津の生まれで「ドイツ兵も国のために戦ったのだから」と言う
広い心で接した。

収容所内では文化事業や商業活動も盛んにおこなわれた。ここの有名なエピソードは
『ベートーベンの交響楽9番』がドイツ兵による「徳島オーケストラ」で日本で始めて『第
九』が演奏された始めての地だということです。

私は年末になり、『第九』の季節になると何時も、『第九』が初めて演奏されたのは「何
処?」と思っていました。その疑問が思わぬ場所で「真相」を得たのです。ここ「坂東俘
虜収容所」が初めて演奏された土地だったのです。

        
                      尼崎のベートーベン

また今、日本で実施されている『保険の機構」もこの「坂東俘虜収容所」で実施された
ものを下敷きにしたものだそうです。収容所にはレストランやボーリング場など80件
もの店小屋が立ち並び、テニスや海水浴場、演劇などの活動、そして広報誌の発行が
行われ、開放的で活気にあふれておりました。

ドイツ兵の持っていた菓子つくりや農産物の栽培加工、建設設計などの技術は地域の
人々に伝授され、住民は「ドイツさん」と呼び、心通う交流が行われていました。

ドイツ兵は収容所の近くに11の橋(ドイツ橋)をつくり、今でも2つ残っています。



この橋はドイツ橋をコンクリートで作り直したものです。故郷、ドイツに帰ってからも、彼
らは「坂東俘虜収容所」を偲んで「バンドー会」を作って集まり、徳島の思い出を語り合
っているそうです。






ドイツ館の1階には売店があって、ドイツらしい質実剛健と言った感じの木製
の色んな玩具が売れれていました。お菓子類も豊富に売られていました。此
処が最後なのでクッキー類を3種類ばかり買いました。もう買えないからと、少
しずつ食べました。ところが、神戸のサンチカの輸入品店にどっさりと山積み…
あ~ぁ重いのに徳島から提げて来て損したよ! 自分が大都会の住民である
ことを忘れていたよ!

俘虜所に関する色々なものが展示されているのですが(宿舎のベッドとか)撮
影禁止だったのでしょうか、1枚も写真が無くて説明がしにくいのですが、上
記のような日常生活の模様(菓子作り、保険の書類等)も色々展示されていた
と思います。

隣に「鳴門賀川豊彦記念館』があったので入りました。両館に入ると入場料が
安くなると言うミミッチイ考えからですが。

賀川豊彦が『世界の三偉人』の一人だとは知りませんでした。「カガワ、ガン
ジー、シュヴァイツー」と言う1939年ニューヨークで発売された本が展示され
ていました。

展示物の一つに奥さんの卒業証書があって、氏名の右側に『平民」と書かれ
ていたのには驚きました。「賀川豊彦記念館」は神戸にもあるそうです。










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ハンド・ベル? ミュージック・ベル?

2010年06月18日 | 気にかかる
     
             「ギボシ」 薄紫がとても日本的   (10-6-11)
     

     

今日は一日雨でした。夜には相当の雨量のような、雨音が聞こえています。

雨の降る中、唱歌の学校に行きました。いつものピアノ伴奏はのりこ先生です
が、本番の時はやまもと先生で、今日来てくださるので、なるべく欠席しない
ようにと言われていました。

やまもと先生が言われるには「3曲とも、案外難しい曲を選ばれたな~、と思
っていました。上手に歌われて居て感心しました」と言う趣旨のことを話され
ました。リップサービスも入っているとは思いますが、みんなの顔はくすぐった
いような、嬉しいような…、ほめられたら、信じよう、喜ぼうとニコニコ顔でした。
ほめて伸ばすという手もありますよね。

実際に、私は、この3曲では「アカペラ(無伴奏)」は無理だろうと思いました。
私達のクラスでは2.3年前から1曲は「アカペラ」でと言うことにしていました。

私が一人で先生にその旨をお聞きしたら、又、色々異なった意見が出て、まと
まりにくくなるかも知れないと思ったものですから、皆さんの前で、先生方にお
聞きしました。「この3曲のうちで『アカペラ』で歌えるものはあるでしょうか?」
と問えば、私の思ったとおり「ノー」でした。「それぞれの曲の1部分に伴奏なし
では纏められないところがある」と言うことです。

何故私が、お訊ねしたかといいますと、今年の「音楽会」の世話役に当たって
いるからです。皆さんの前で、お訊ねし、「ノー」と言う答えをみんなで聞いて、
私が「では今年は『アカペラ』は見送りますが、よろしいですか」と決を採りまし
たから、皆さんに納得していただけたと思います。

来年は「アカペラ」で歌える歌と言うのも頭に入れて曲選びをするべきだとい
う反省を申し送りにしたいと思っています。


「ハンドベル・クワイアーへのお誘い」と言うパンフレットを頂、説明を受けました。

私が神戸のYMCAに通っている時、そこに「ハンドベル」のクラスがあって、覘
いていて「いいな~、やってみたいな~」と思ったことがありました。

ハンドベルと言うのは高価な楽器ですが、今ハンドベルと言っているのはそれ
ほど高価でもなく、小ぶりの鐘で「ミュージックベル」と呼ばれているものだそう
です。時々テレビで見るのは、YMCAのとはちがうな~と感じていた謎が解け
ました。「ミュージックベル」と言う小ぶりの鐘だったのです。

月2回のお稽古ですが、上達すると、色んなところへの慰問?にも行くようです、
それでは益々時間がありません。いまさらお出かけのお稽古事を増やすのは
駄目と決めていますから、あきらめることにしました。どのくらいの方が集まる
のでしょうね。「ハーモニカ」も習いたかったし…。でもこれ以上お稽古事を増や
すと、本を読む時間がなくなりそうです。これは絶対続けたいと思っていますから。

もう一つお知らせと言うかお願いがありました。「ニューイヤーコンサート」をし
ているザ・シンフォニーホールでの大阪フィルの公演会のご案内でした。

文化活動への予算が橋下知事によって大幅に削られた上に、今度は民主党
の仕分けでも削られ、内情は大変だそうです。そこで今までした事に無い「平
日午後の名曲セレクション」と言うプランを立てたのですが、切符の売れ行き
が芳しくない。そこでお昼の時間を自由に使えるわが唱歌の学校の生徒に「ぜ
ひ聞きに来てほしい」と校長先生にお願いにこられたようです。目の付け所は
良かったと思いますよ。さてさて、どのくらいの人が行かれるでしょうか? 
私? 残念ながら、その日は先約が入っておりますので…。



 ↑  「ミラクル・リーフ」 数え切れないくらい咲きました     ↓   「百合」 今年の新顔です
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国民年金と生活保護

2010年06月17日 | 気にかかる

           「京かのこ」   花もですが 葉の形も好きなんです


     

今日は暑かったですね。30度に届くだろうといわれていましたが…。

明日から当分雨だというので、昨日今日と主人は木の枝払いをしました。去
年は「今きったら枇杷はならないよ!」と言う私を無視して切って、今年は一
つも枇杷の実がなりませんでした。それで懲りたと思ったのに、先週花を一杯
つけた「ネズミモチノキ」の枝を払いたいというのです。「見てよ、今一生懸命
花を咲かせているのよ、可哀相な事言わんとって!」と言ったんです。一昨日
の大雨で「ネズミモチの花」は地面を真っ白に落花しました。それを見た主人
が「こんだけ落ちたから、切っても良いやろ?」と昨日から枝払いが始まりま
した。

私は草花の根元や低木の刈り込みをして、風が通りやすいようにしてやりまし
た。二人とも、2日続きで「あ~っ!腰が痛い!」と言いながらの庭仕事です。
もう一日中仕事をするという体力はありません。明日から、当分雨だそうです
から、良い休養の時間になると思います。


大阪市の外国人生活保護者が1万人を越えたそうですこれは市内の外国人
登録者の12人に1人になり、もっとも多いのが在日韓国・朝鮮人で国民年金
に加入していない「無年金世代」が高齢化したことが原因だそうです。

昭和36年から始まった国民年金制度では57年に国籍条項を撤廃した為に、
加入可能者も居たが、大半が加入していなかった。又将来の自国への帰国を
考慮して加入しなかった人もいたそうです。…が帰国せず、日本に留まり、生
活保護を受けているということですね。

一方、苦しい家計から保険料を納め、年金で細々と暮らす高齢者の中には、
生活保護費を受け取る無年金者との「格差」を訴える声も少なくない。

これは「正直者が馬鹿を見る」事になっています。なぜなら保険料を40年納
めた人でも老齢基礎年金は月約6万1千円(25年納付では4万1千円)です
が、65歳の人が受け取る生活保護費は月12万1530円です。どうして、お
金をコツコツ振り込んだ人が、1円の払い込まない人の1/2しかもらえないの
でしょうか?

今の若者に「無年金者」が増えているといいます。払い込んでも、もらえる金
額が月6万と聞けば払う気がしなくなるのは当然かとも思います。若者達は
言います、「食べていけなくなったら『生活保護』受けるよ」

私達の世代では「生活保護」を受けるなんて、恥ずかしいことだと思っていま
した。でも今は違うのですね「生きていくお金が無ければ、あげますよ」と言
うのだから、「遠慮なくいただくよ」と言う感覚なんですね。

年金を掛け続けた人が12万円で、生活保護者が6万円と、金額が逆さまなら
分からないこともありません。どうにも腑に落ちません。

近年増えている中国人など外国人定住者でも国民年金加入は進んでいない
様子です、今後も無年金による生活保護受給者は増加する可能性が高いと
いうのです。

この制度は大きな欠陥です。まして、外国人がその国の制度を無視して、挙
句の果ては「生活保護」をもらうなんておかしいです。そして自国の年金加
入者に6万円で生活せよとは言語同断です。

国民年金の低額は私のように、主人の厚生年金があり、その上でもらうなら、
文句の言い様がありません。しかし年金だけで細々と暮らしている人も居るわ
けです。その人は正直に年金に加入し、掛け金を払っていた為に、年金組に仕
分けされ、生活保護を受けることは出来ないのです。こんな馬鹿な話があるで
しょうか?

菅総理は選挙後、臨時国会で「郵政問題」を可決したいといっておられましたが、
そんなことより、この「年金と生活保護」の矛盾の解決をしていただきたいと思
います。



    「宝塚」    今年は花数も少なく 房も短いのです   去年 強剪定したからでしょうか
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老いてこそ上機嫌

2010年06月16日 | 読みました

                    尼崎・大井戸公園の「紫陽花」
        毎年葉だけ茂って、花をつけませんでした 今年は見事に咲きました



今日は露の晴れ間? 何だか1日おきに晴れてるようですが。洗濯物がよく乾
いて嬉しいです。

昨日の花々、適当な鉢の大きさに植え替えてあげました。昔は植え替えが邪
魔くさいと思ったのですが、近年こまめに植え替えてやるようになり、花も「あ
りがとう!」と美しく咲いてくれます。

相撲界の野球賭博大変な広がりを見せてきましたね。親方にも常習の人が居
て、現役時代からだったらしく、親方になってからは部屋子?にも勧めたと言う
のですから、「何をか言わんや」ですね。

琴光喜の名古屋場所出場辞退は佐渡ケ嶽親方の「土俵にあげられぬ」と言
う気持ちから、独断で決めたようですね。それはいいとしましても、琴光喜が
上申書を提出してから親方は会話をしていないというのです。そして当面は朝
稽古にも呼ばないそうです。う~んそんなものですかね~…親方と弟子とは親
と子の関係といいます。勿論親方の信頼を裏切ったのですが、こんな時こそじ
っくりと話し合うべきではないのですか? 悪いのは琴光喜です。口を利かない
より、会って話して叱り飛ばす方が良いように思いますが、違いますか?


        老いてこそ上機嫌     田辺 聖子


田辺さんの本を読むのは久しぶりです。「かもかのおちゃん」の出てくる頃のも
のはよく読みましたが…。「かもかのおちゃん」はお医者さんで、病院は尼崎・
杭瀬?だったかに在ったんですよね。NHKの朝の連ドラにもなりましたよね。
今は伊丹の住人ですね。そうそう、スヌーピィーがお好きで、お部屋中スヌー
ピィーで埋まっている写真を見たことがありますね。だから、今でもスヌーピィー
を見ると田辺聖子さんを思い出すんですよ。

この本はね、なんと言ったらいいのでしょうか、田辺さんが、今まで出された本
の中から、言葉を選び出して、それに講釈をつけてあるのです。

たとえば
老婦人は貴婦人、群れること無用
「熟年は和して同ぜず、若輩は動じて和せず」である。老婦人は貴婦人でもあ
らねばならぬ。群れること無用、一人を楽しみ、且つ、それで居てみんなで仲
良く…と言うのが良い。

私もそうだと思います。時には仲間と行動を供にする楽しみも味わいますが、常は体調を
見ながら、一人で行動します。これからは、うかつに人と約束できなくなるような気がします。
だから近頃は言っています「約束はするけど、ドタキャンOKね」って。無理して約束を守って、
気分が悪くなって、迷惑を掛けるより、思い切ってドタキャンしたほうがいいと思うのです。


世間の偏見に対抗する
一人暮らしの哀れな老人、と言う世間の偏見に対抗するためにも、最近流
行の洋服を身にまとい、きちんとしていなくてはいけない。真珠やダイヤの
指輪を無造作に指にはめていなくては安っぽく見られてしまう。

この考えには抵抗があります。世間の人皆が「一人暮らしの哀れな老人」と思っていると
は思えません。そんな人目を気にする必要は無いでしょう。人様に不快感を与えないもの
を着ていればそれでいいし、私なんか数少ない指輪も、もう何年もはめては居ません。
なまじ指輪に人の目が集まって、哀れにシワシワになった手を見られるようで嫌だわ。そ
んなことより、心豊かに、好きなことを楽しんだり、学んだりする事の方が大切じゃない?
心が満たされていれば、姿も哀れには見えないはずですよ。違う?


手持ちのカードで勝負する
若い時のような持久力、瞬発力が失われた、または、美貌が褪せた、と嘆く
人もあるだろうが、失われたものを取り返そうと思うと、これは「しんどい」事
である。去り行く一瞬一瞬を、身を揉んでよびとめ、追いすがり、「いかない
で!」と泣訴(きゅうそ)哀願すれば、そのぶん、エネルギーを消耗し、精神
的に落ち込んでしまう。それよりも、あとへ残されたもので勝負する、日々少
なくなるカードを切り直し切り直し、手持ちのカードだけで何とかやり繰りする
ほうがよい。

200に届こうという例題の中で、一番心を打ったのはこの言葉です。残り少ない手持ちのカ
ードを如何に長持ちさせるかと丁寧に使っている私です。それでも、無駄な時間だったな~
とか、こんなまずいもの食べるんじゃなかったとか、失敗もしています。でも自分の命をいと
おしみつつ生きている今日この頃です。




                     尼崎・高瀬公園の「立ち葵」
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あ~ぁ! ため息が出る今の日本ね

2010年06月15日 | 気にかかる

               我が家の「百合」たち     鉄砲百合


今日も一日中雨でした。阪神尼崎の緑の相談所に「コリウスの寄せ植え」の講
習を受けに行きました。

「コリウス」が3種類と「ペンタス」2種類「千日紅」「メランポジューム」等の寄せ
植えの材料におまけとして「コリウス」4種をいただきました。さて、寄せ植えの
材料なのですが、まず単品として大きくしたいと思います。色々増やし方も教わ
りました。増やしたいと思う品種もあります。さ~どのように料理しましょうか?
楽しみです。


                ↑    少しずつ家族が増えているようです    ↓

                     今年初めて我が家の庭に…


     テーマ川柳です   お題は「財政危機」


     生まれたら 借金まみれの国だった


本当にね。「子ども手当て上げるよ!」って言ったって、そのために膨大な
借金で「今、あげるけど、大きくなったら働いて返してよ!」といわれたら、
生まれて来たく無いわね~。

苦労なしに成長できるか、親の稼ぎによっては少し辛抱するような子ども時
代かも知れないけど、それはちょっとした運だわね。お金はあるけど、愛の
無い家庭かも知れないし、お金は無いけど笑顔一杯の家庭かもしれないし
ね。色々あっていいのよ。「子どもは社会が育てる」ものではなくて「子どもは
親が育てて、社会が見守り、手助けするもの」だと思うのよ。

     無い袖に債権入れて振りまくり

国債を一杯刷ってね、赤字部分の補填だって、その借金のかたは国民の預
貯金だって。私達年金者は、減りこそすれ、増えることの無い預貯金を勝手
に担保にされて、共倒れしたらどうする? その補償はあるのよね! もっ
ともっと気軽に私達の預貯金を手元に集めて、使おうってのが、「郵政改革」
らしいよ! 大きな目を開けてしっかり見ようね!


     足りなけりゃ言ってきなさい母が居る

鳩山元総理のお母さんのことだよね。自身の収入に関係なく、使いたいだけお
金が使えるってどんな気持ちなんでしょうね。ちょっぴりうらやましいような、けど
本当に自分でお金を稼ぐ喜びもそれを使う喜びも知ら無いとすれば、やっぱり
心さみしいかな~? これって羨ましいと思う心の裏返し?

     我が家より先にお国が火の車

不景気で給料は下がるし、子どもは大きくなって費用も掛かる、でも必死に
やり繰りして暮らしているのよね。一番割り食ってるの、お父さんの昼食代
だって、今は平均500円だってよ。ランチのお店も、どんどん値を下げざる
を得ないらしいよ。何処もかしこも尻どんね。でもお国のようにお金刷れない
から、やりくりしてるのよ。だのに、くれとも言ってないバラマキやって借金
を増やしてるのよ。核当者以外はやってらんない気分だよ!

     ギリシャから宅急便はすぐ届く

経済破綻のおすそ分け? そんなの入らないよね! でも上手いこと言うね。
この句が一番気に入っています。



     1球買ったのに数年後にはこんなに増えました 多産系? 消えた球根もあるのにね
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音楽劇からの幻想

2010年06月14日 | 気にかかる

 「泰山木(たいさんぼく)」  木が高いので 花が撮りにくかった (10-6-8  尼崎・鳥場公園     
     

関西も入梅とかで昨日は(13日)1日中雨が降っていました。その雨の中、吹
田の「メイシアター」に行ってきました。たかこさんからお誘いの電話があり、ご
一緒させていただきました。

今日の舞台は「音楽劇 心をいやす命の水」といい、元OSKや元宝塚のスタ
ー達が今活躍中の俳優・歌手・ダンサー達と競演と言う舞台でした。皆さん舞
台を卒業して30年は経っておられるそうですが、お若く見えましたね。元ス
ターさんにとっては「昔取った杵柄」と言うところでしょうか。

脚本・演出の先生がOSK関係の方だったらしく、主役は元OSKの方でした。

舞台は歌劇調の洋風でしたが、話の筋はといいますと、う~ん新派調。人情
物と言う感じでした。2時間半と言う長丁場でした。

歌とダンスの中で、私が感心したのは、今はやりの「ヒップホップダンス」でし
た。生で見るのは初めてでしたので「へ~ほ~」と感心して見ておりました。

大きな舞台だけではなく、今はこうして、こじんまりと出演者も、見る人も、昔
を懐かしみながらする舞台もあるのだな~と思いました。主役の方の過って
のファンでしょうか、盛んに拍手を送っておられました。

12日(土)には櫻井よしこさんの講演が大阪でありました。私は「当たって!」
と祈りながらパソコンで申し込み、3番だったのですが、祈りもむなしく、当選
せずお会いすることが出来ませんでした。全国縦断と言う事で月初めに長崎
から始まったようです。

論題は「21世紀の脅威は中国」とお話されたようです。「内政干渉などを止め
させる為に毅然として交渉しなければならない」「長崎の人が忌み嫌う核兵器
を作り続けている国がある。核の無い世を作ろうとするなら一番鋭く迫らないと
いけない国は中国だ」長崎での講演なので「核兵器」を話題にされたと思うの
です。大阪では何を中心に語られたのでしょうか? 本当に聞きに行きたかっ
たです。

又「国家の基盤は外交と軍事力。どちらが欠けてもまともな国ではない」とし
た上で「憲法を改正し、自衛隊を本当の意味での軍隊にしなければならない」
と持論を展開されたそうです。

伊丹の駐屯所に軍事パレードを見に行った時に感じた心細さが思い出されま
した。戦うのではない、世界から自国を守る為にもう少し頼もしい軍隊がほしい
と思いました。それが出来るまではアメリカの駐屯は必要です。いわゆる「抑止
力」の為にです。国旗国歌をないがしろにする菅総理に日本を守る「愛国心」お
ありだろうか? 日本をお願いして大丈夫でしょうか…。
                                (1400回)



                「ディエゴ」  (10-6-8  尼崎・鳥場公園)


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遍路 (107回)

2010年06月13日 | 思い出話
               平成15年11月19日
                結願の翌日 (2)





国道を歩いているから間違いはないと思いつつも、なかなか標識がないと心細
いものです。やっと警察を見つけて入っていきました。「○○寺の方向はこちら
で間違いはありませんね?」と訊ねると「XXさ~ん、道をおしえてあげて!」と
呼ばれた人が頼りない。壁に貼られた地図から、目的地を探すのに手間取りま
す。「此処ですね」と私の方が先に見つけた。「区域外ですので…、歩くのです
か?たいへんだな~」とにかくお礼を言って歩き始めると、署内で掃除をしてい
たおばさんが追っかけて着ました。「お遍路さん、昨夜ね友達とカラオケしてね、
干し柿を作るのが上手な人が居てもらったのよ。残り物だけど…」と私に袋を
握らせました。中には干し柿、蜜柑、おかき、そしてシップ薬などが入っていまし
た。ありがたくいただきました。

私の視線の遥か前方で、ひょこっと言う感じで、坊さん風の若者が国道に現れ
ました。しばらく目で追っていましたが、いつの間にか又かき消すように消えて
しまいました。

そうなると、自分の歩いている道が間違っているのではないかと心配になって
きます。今考えてみれば、私達は今夜の宿「森本旅館」を目指しているだけで、
逆打ちになる、それぞれのお寺に立ち寄るつもりは無いのです。けれど彼は立
ち寄りつつ歩いているのだろうから、現れたり、消えたりしても不思議ではない
のですが、その時はそのことに考えが及ばず心細く感じました。

主人はもっと遥か先を歩いています。実は5Kほど手前に一軒宿があったので
す、だのに主人が強引に「森本旅館」まで行こうと言ったのです。

行けども行けども着きません。そのうちに喉が渇いてきました。お水が飲みた
いのですが、リュックを下ろさなければ取れません。リュックを下ろすには腰と
胸のベルトを外さなければなりません。前を行く主人の携帯を何度も呼び出し
たのですが出ないのです(後で聞くと何時もは胸ポケットに入れているが、その
日はズボンのポケットにいれていて、その上マナーモードになっていた。マナー
モードになっていてもバイブレーションは効かしてあるのですが、足が始終動い
ているので、ズボンのポケットでは感知しなかったらしい)仕方が無いので力を
振り絞って走るが如くに主人に近づいていきました。

主人は横は見ますが、後ろを振り向かないのです。だから私が、主人が横を
向いた時に、杖を振り振り合図しても気づいてくれないのです。その日は遍路
地図を主人が持っていたので、自分でリュックを下ろして、水を飲んでいると主
人を見失って目的地につけなくなってしまうのです。前日の予定と違っているの
で、行き先が頭に入っていないのです。人が居れば聞けるのですが、四国の人
はほとんどが家に引っ込んでいるのか、めったに人に合わないのです。

だから水が飲みたい時は携帯で「水!」と伝えて止まってもらうより仕方が無い
のです。水飲みたさに主人への怒りを加算させて、それを馬力に半分走ってい
ると、丁度家から出てきたおばあさんに道を訊ねている主人の姿が見えました。
今しかないと私は必死で駆け出しました。道を聞き終えた主人が、やっと後ろ
を振り向きました。私は大声で「みず~!!」と叫びました。水を飲み終えた私
は「何で携帯にでないのよ!何で後ろをふりむかないのよ!!」と機関銃のよ
うに怒りをぶつけました。思いっきり走って、へなへなとその場に倒れそうな私
を怒りが支えていました。

「森本旅館」は第5番札所 地蔵寺の前の古いお宿でした。女将さんが「今日
は高野山からのお坊様が泊まっておられて、お遍路さんとお話がしてみたいと
言っておられたので丁度良かった」といわれました。泊まりはそのお坊様と3度
目だという男性と私達でした。男性とはお話が弾みましたが、お坊様は一言も
話さず、黙々と食べて折られました。話がしたいといって折られたはずなのに
と思ったのですが、お坊様は食事中は話さないのかも知れないと思っていまし
たが、お食事が済んだら、さっさと「お先に」と自分のお部屋に下がられました。
「あれ??お話したいのでは??…」と思いましたが…。

その夜、私は久しぶりにシップのお世話になりました。とにかく疲れました。私
は這うようにして部屋に帰ると、バタンキューと寝てしまいました。一度目覚め
た時に、隣に主人の姿はありませんでした。どこかで声だけがしていました。
私は宿の人とでも喋っているのだろうと思っていましたが、実際はお坊様のお
部屋で議論?をしていたらしいのです。「近頃のお坊さんは金儲けに走りすぎ
る…、坊さんに説教した」とか言っていました。坊様に説教する人が居るなん
て、お坊様もさぞ驚かれたことでしょう。

               11月19日  森本旅館  (6泊目)
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遍路  (106回)

2010年06月12日 | 思い出話
              平成15年11月19日
                  結願の翌日


              距離:35K   八十窪  ~  森本旅館(地蔵寺前)

2時間も歩けばスーパーぐらいはあるだろう、そこで「おにぎり」を買うか、また
は喫茶店があれば「モーニング」でもしようと言う目論みは外れました。

1番に戻るには道は2つありました。逆打ちをするか、卯辰越えの道を行くか、
始めは知らない道(行きに通らなかった道を行く予定でした。こちらの方が距離
的に短い(昨夜のご夫妻はこの道を行かれた)しかし遍路道でないために、お
遍路さんに出会わないのも寂しいと言うことになり、逆打ちコースを選びました。
しかし期待はずれの結果になりました。1番まで、歩き遍路さんに一人も出会
わなかったのです。やはり11月ともなれば、歩き遍路さんは少ないのだろうか。

国道の角に、かわいいピンクの壁が遠目に見えました「喫茶店だよ、きっと!」
私達は喜び勇んで駆け出さんばかりに近寄りました。残念!! そこは病院
でした。「何さ! 紛らわしい建物を建てないでよ! 如何見ても喫茶店だよ!」

大きな窓にはレースのカーテンが引かれています。その建物に向かって、私
は毒づきました。ど~っと疲れが出ました。あきらめて、左側を見ると、あら!
嬉しや!スーパーがありました。

おにぎりとお餅を買って、「お店の中で食べさせてもらっていいか?」と聞きま
した。「いいよ」と言って「座って食べなさい」と言って、大きな缶を椅子代わり
にと持ってきてくださいました。又「熱いお茶」を接待していただきました。

お腹に物が入ると、俄然元気が出て、「さ~、行くぞ!」と言う気持ちになりま
す。店の外に出ると、昨日、大窪寺の門前で写真を撮ってくれた、若いお坊さ
んが店先に座り込んで、何か食べていました。何時も此処で朝食なのかな~
と思いました。

観光バスの止まっている「うどんや」を見つけました。丁度、お遍路さんたちは
食べ終えて出ていく所でしたので、席は確保できました。

もう少し先のスーパーでトイレ休憩をして、高野山に御一緒することになってい
るこばやしさんに打ち合わせのお電話をしました。そこに、おばあさんが来て
「栄養ドリンク」をお接待してくださいました。ありがたいのですが、少しでも荷
物が増えるのが嫌なので、お腹に入れて運ぶことにしました。

此処から今夜の宿にと、一度お世話になった「たみや旅館」に電話を入れまし
たが「この番号は使われていません」を繰り返すばかりです。此処も廃業され
たらしい。(後で聞きますと、やはり廃業でした)「民や旅館」がないと次の宿ま
であと10K歩かなければなりません。もうすでに25K歩いてきているのに…。

考えていても仕方が無いので表に出ました。丁度そこへトラックが来ました。
荷台から降りてきたおじさんが「ふくれ菓子(お米を膨らませて、甘く味付けし
たもの)」の袋を2つくださいました。後10K歩かなければならないと心塞い
でいるときでしたから、嬉しいような嬉しくないような…。「ふくれ菓子」は軽い
のですが、量だかいのです。背中のリュックは満杯、仕方が無いのでリュック
に括りつけました。量高くて荷物になるとぼやきながら、結局はこの「ふくれ菓
子」家まで持って帰って、孫の胃の中に納まりました。

すがのさんとであった「民や旅館」「柳水庵」共に廃業のようです。こうなると、
歩き遍路は一日の距離を伸ばさないとならなくなります。必然的に老年は歩け
ないということになります。ただ一つの方法としては、出発の時間を4時、5時
に繰り上げるということをしないと、次の宿にたどり着けないということになり
ます。

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日本政府のコマーシャル

2010年06月11日 | 気にかかる

                「時計草」     何度見ても不思議な形です


    

暑くなりました。電車にも、唱歌の学校にも冷房が入りました。後2.3日で入梅
だそうです。又洗濯物の乾かない、じめじめとした季節が来るのですね。

だんだん発表会の日が近づいてきました。覚えては忘れ、忘れては覚えの練
習をしています。真面目に家でもテープを聴きながら練習しているのですが、
なかなかです。

発表会当日、私達の組の前は「高知シリーズ」とかで、鳴子を打ちながら賑や
かだそうです。私達のクラスはしんみりとした歌ですから、対照的なようです。
お聞きくださるお客様にとってはメリハリがあって、返って楽しめるのではない
でしょうか?

帰りには、ごとうさんが「むらさき玉ねぎ」をくださいました。「今年は失敗です。
大きくならなかった」と仰いましたが、小さいのも使い勝手がいいです。小さい
とはいえ、4個もいただいたので、ずっしりとしていました。新鮮野菜がいただ
けて、ありがたいことです。


菅内閣は発足いたしましたが、事務所費を不正処理した人、政治資金で漫画
を買った人(年1億もお金を貰っても、個人で漫画本も買えないの?)お金の遣
い方問題では「クリーン内閣」とはいかず「グレー内閣」と呼べそうです。
「蓮舫よ! お前もか!」と言う感じですが、制度自体があいまいなようです。

「子ども手当て」「高校無償化」を自画自賛したテレビコマーシャル、参議院選
挙を見据えてのものですか? スタッフが若返ると、することも違いますね。

私のように「子ども手当て」「高校無償化」に疑問を持っている人間には逆効果
のような気がしますが…。



      「孔雀サボテン」    今年はよく咲きました  白は咲きませんでしたが…
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半島へふたたび

2010年06月10日 | 読みました

                 なでしこ  (尼崎・武庫之荘の町角で  10-6-9)  綺麗!
     

今日は主人の夏物(普段着)を買いに行きました。ズボンのすそあげは何時
も家でしますから、ただウエスト周り寸法だけを合わして買っていましたが、
ウエスト周りが同じでも、タックなし、2タックとか色々とあることを知り、色々
勉強になりました。何時もはまず好みの色合い、その次がウエスト寸法、試
着、終わりでした。



           半島へふたたび     蓮池 薫


この本も借りるのは2回目です。前回も、借りたい人が多くて、延長できないと
言うので、今一度の申し込みをしました。

蓮池さんの本は勿論初めてです。今は翻訳者になっておられるのですが、翻
訳本は16冊を数え、書下ろしも2冊あるそうです。

早いもので、子どもさんが帰国?されてからでも7.8年経たれるそうですね。そ
れ以後一切の進展が無く、本のあちこちでも「拉致被害者のご家族も、待てな
いお年になっておられます、一国も早く帰国できますように…」とそのことに触
れておられました。

そういえば、今日久しぶりに拉致被害者家族の方を囲む集会があったようで
すね。めぐみちゃんは、何処でどうしているのでしょうか? 日本でこんなにみ
んなが心配し、貴女の帰国をご両親やご兄弟と共に、私達も待っていることを
知らないのでしょうか? こんなに電波が空中を飛び回っているのに…。今の
日本に生きている私には考えられないことですが、 北朝鮮って、そんな国な
んでしょうか?

この題名は「韓国」に取材旅行に行かれたことを示しています。前の方は紀
行文なのです。途中からは、関連はあるとはいえ、北朝鮮での生活、帰国し
てからの生活が主体となります。

24年間もかの地に居て、よく日本の字や言葉を忘れることなく、それのみか、
こんな本まで書かれるとは… とおもいました。しかし個人的にも努力はして
おられたようです。朝鮮語を日本語に書いておられたそうです。昔から「書く
こと」は好きだったそうですし、仕事としても確か韓国のものを北朝鮮語に翻
訳もしておられたようです。

紀行文の中で面白いのがありましたよ。日本の札幌ビルのJRタワーの男子
トイレの床がガラス張りになっていて、放尿すると下界に向かって尿を浴びせ
ている感覚になり、すこぶる開放感が味わえるらしいのです。

私達も札幌でタワーに上ったので主人に「トイレ経験してきたら?」と言った
のですが、主人は行きませんでした。残念ながら、女子のトイレはの床はガラ
ス張りではありませんでした。

韓国にも「眺望化粧室」と言って、同じようなトイレがあるそうで、日本と韓国
どちらが先に出来たのだろうか?と書かれていました。

韓国での生活では、自分の力で家族を養うのではないので、自分の力で、子
どもを養いたかったと書いておられます。単純に子ども手当てを貰って、喜ん
でいる親達に読ませたい部分だと思いました。子どもは親の甲斐性で育てる
べきだと私は思っています。

今は支給されるお金はありがたいと思うかもしれませんが、1年も経てば当
たり前と思うでしょうね。民主党も、生まれてしまっている子にあげて、少子
化対策になると何故思ったのでしょうね。これから生んでくれる家庭に上げる
なら判りますが…。「無駄な考え休むに似たり」です。

色々と考えさせてくれる本でした。


          ↑  金糸梅(きんしばい)         ↓  ビヨウ柳

      尼崎・武庫之荘の道路脇に混合で植えられています 金糸梅が少し多いでしょうか
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