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[ゆり」色々 今年は一寸花が少なかったです (14―6―25)
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今日は唱歌の学校でした。「第九」の音階の高さには悲鳴です。宿題も出ました
が、「調子」をつけて、歌詞を読んでくるという。「1日3回は読んでください」とい
われたのですが、今、思い出そうとしても、其の「調子」を忘れてしまっています。
今日もごとうさんの畑で取れた新鮮野菜を頂きました。サニーレタス、キュウリ、
パセリ、三度豆、岡ヒジキ。今晩早速にサニーレタス頂きました。とっても柔ら
かく、おいしくかったです。ありがたいことです。
菊日和 波乃 久里子
「母の日記が語る 父との恋と あの頃の東京の暮らし」という、長~い副題が
ついた本です。著者は今の、勘九郎・七之助の伯母さんに当たります。
仏壇に納められていた、母の日記は、父・勘三郎への気持ちを綴ったものでし
た。15歳年上の勘三郎(其の頃の名は『もしほ』)への恋心を綴っていた。
いつか人の目に触れる事を想定して、というよりは望んで書き残された物のよう
だという。それは綺麗に清書されていて、1字の間違いも、書き直しもなかった
という。
菊五郎の娘として生まれたのが久枝、日記の主であり、去年勘三郎を襲名した
のち、若くして亡くなった勘三郎の母である。久里子は長姉であり、姉3人の
後に4人目で始めて授かった男の子である。
歌舞伎役者の家というのは、役者同士の往来が始終だということ、歌舞伎を見
に行くのだからと、学校を休んでも、また、家で「お茶事」のお客が在るからとお
休みしたりしても、誰も何もいわないのだな~とか。やはり一般家庭とは違うな~
という感じを受けました。
小川ひなさんという懐かしい名も出てきました。ひなさんは萬屋錦之介の母であ
り、中村獅堂の祖母でもある。この方が、もしほさんと久枝さんの仲をお世話し
た方でもあったようです。
貧乏所帯を支え続けた久恵さんの心は、父・菊五郎のような立派な役者になっ
てほしいと、勘三郎支え続けたそうです。
勘三郎さんは、期待に答えましたね。そして、実力も、人気も高い息子・勘九郎
を育てました。