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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

変わる歌舞伎界

2013年11月22日 | 今日この頃

          「金連花」      神戸・サンチカ     (13-4-23)




今日も「唱歌の学校」はお休みでした。今度はのり子先生が声が出なくなった
ということです。校長先生の看病の疲れからの風邪引きでしょうか。

寒さに弱い花たちを玄関に入れてやりました。下駄箱の上も一杯です。これで、
それでなくても狭い玄関は、来春まで、窮屈になります。


歌舞伎界も変わってきましたね。世襲制度が崩れてきたということでしょうか。
女の子しか生まれなかった家では、名を継がせるために、他の歌舞伎役者の
家から、芸のための養子を迎えてまで、世襲を守ろうとして来ましたね。

ところが、玉三郎、愛之助はまったく歌舞伎とは関係のない、一般のお家の人
です。

獅堂は、お父さんは歌舞伎の家柄ですが、役者を辞めてしまわれたので、後ろ
盾がないと言う事で、端役しかもらえず、苦労の後、今の地位を築いた方です。
テレビでの彼はあまり好きではなかったのですが、何時だったか、見に行った
歌舞伎で彼を見たときに、驚くほど綺麗な役者さんで、その時からファンになり
ました。あんなに舞台晴れする人も居ないのではと思います。

中車は猿之助の実子ですが、父の名は甥が継ぎ、彼は空席だった中車の名を
もらいました。今年の京都南座の顔見世は、市川猿翁、猿之助、中車の襲名
披露も兼ねていますから、例年以上に券が取れにくいです。

中車というより、香川照之といったほうがわかり易いと思いますが、香川さんは
猿翁と浜木綿子さんの子供ですが、離婚した時、濱さんに引き取られたため、
歌舞伎とは無縁の生活でした。父への思い、歌舞伎への想いはあったようで
すが、猿翁が会う事を拒否していたそうです。亡くなった藤間紫(2度目の奥さ
ん)の取り成しで会えたそうです。

香川さんも結婚して、息子が生まれたら、尚いっそう歌舞伎界のことが心に引
っかかった? 息子を歌舞伎の世界に薦めたい、ということでしょう、今40才
近くなって、歌舞伎の勉強を始めました。そして父、(父の名跡は子供の頃から、
歌舞伎界にいる従兄弟が継ぐ)息子、孫と、それぞれの名跡を継ぐことになり、
来月、南座で襲名披露となるのです。私は香川さんのファンですから、彼の晴
れ姿を観たいと思うのですが、かないそうにありません。

玉三郎さんも芸の養子に入った方です。若い頃からの舞台を見ていますが、
印象に残っているのは、女形で、背が高いものですから、(昔の役者さんは背
の低い方が多かったためか)半折れというくらいひざを折っておられたという
印象です。今は芸の養子というよりは、自分の芸で独り立ちという感じですね。
勘三郎さんが病気だったため、勘九郎の襲名披露のとき、親代わりでした。

愛之助は歌舞伎学校? の出だと思います。テレビで大活躍ですから、其の
方から人気が出て、「愛之助さんは歌舞伎にもでられるのですね~」といわれ
ると笑っていました。

こうして書いていますと、歌舞伎を見たくなりました。東京の新しい歌舞伎座
にもまだいっていませんしね。あ~行きたい! 見たい! 春が待ち遠しい!




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